Short

□風邪っぴきの少年
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Sideシエル


「ケホッ、コホンっ」


しんとした部屋に乾いた咳が染みわたった。三日前から続いていた。僅かな音を受けた壁は、よりいっそう、白くなって、人気の無さが際立った。

一人、部屋にいるぼくはベッドの天井を見上げる。四本のはしらによってはられた布は、フレームのふちからたれていた。ここのところ数日の変わらない風景。

「...コホッ」

何日か前からあんまり具合が良くなかった。ねぇさまは心配してたんだけれど、そんなことよりぼくといっしょに居てくれたことの方がうれしくて、平気だと思ってはしゃいでた。ついに三日前の夜なんかくらくらするなぁって思ってたら、ぼくとおでこをくっつけたねぇさまがびっくりしておおあわてでベッドに寝かされた。次の朝起きると声が出なくなってた。

ぼんやりとこれまでのけいいを考えているとドアからぼそぼそと話し声が聞こえた。何かもめてるみたい、耳をすませてみる。ねぇさまだ!...とマディソン。

「...ですから、駄目です」

「でも、」

「何度頼まれても駄目なものは駄目です」

「ね、ちょっとだけ。十分...ううん、五分でいい。お願い、マディソン」

「お気持ちはわかりますよ。確かに坊ちゃまは喘息持ちで咳も重くてお可哀相です。ですが貴女だって決して丈夫なお身体ではないのですよ!染ったら今度はお嬢様が重傷になります!

私は、あくまで貴女の執事なのですよ」

それから話し声は聞こえなくなった。ねぇさまはもどっていってしまわれたらしい。...マディソンのバカ。

心の中で悪態をつく。だがそれ以上に一人でいる言いようのない寂しさが急にこみあげた。ぼくはこのままだれにも気づかれずに死ぬんだ。人気のない静かな部屋で思わず涙がにじんだ。

地獄で待っているよ、白い壁に映った陰影が、ぼくに向かってにんまりと笑った気がした。

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コンコンと扉をたたく乾いた音に目を覚ました。あんまりにえんりょがちだったから、声を聞かなくてもすぐに誰がたずねて来たかわかった。

「...ル、シエル」

ねぇさま!

声を出したつもりだったのに聞こえたのは気管のかすれる風の音。それでもねぇさまには聞こえていたみたいでかちゃりとドアの開く音がした。

『ねぇさまっ』

「大丈夫?気分はどう、シエル」

『コホッ...っ、ねぇさま〜』

「ってまだ喋れないわよね。ごめんなさい。スープ持ってきたの。何も食べてないでしょう?」

手に持っていたお盆には、ほんのりと湯気の立つチキンヌードルスープ。でも香りだけでおなかいっぱいになった。ぼくは食べる気がしなくていつまでも下を向いていると、かしゃんと机にお盆を乗せた音がした。

「うーん...食欲がないのね。わかるけれど...食べてほしいな。シエルに元気になってほしい」

ねぇさまは少し困ったようにしている。そんな顔しないで。ねぇさまには笑っていてほしい。でも食べたくない。なやんでいるとねぇさまはぼくにふわりと笑った。

「この方がいいなら食べさせてあげるから。ね?」

それを聞いてぼくはこくりと頭を下げた。あんまり食欲はなかったけれどねぇさまが食べさせてくれるなら、がんばって食べよう。ぼくの返事にねぇさまはにっこりと笑い、早速準備をなさる。陶磁器と金属が愉快な音をたてていた。


「はい、あーんして」


ねぇさまがすくいあげたスープを、スプーンごとふーふーと冷ます。その様子をじいっと眺める。ぼくの視線に気づいたねぇさまはあわてて少し照れたように、ね?と笑った。促されるまま飲んだスープは思いのほか美味しくて、食欲はなかったはずなのに気づいたら全部食べていた。少しだけのどの通りが良くなる。おおよそ三日ぶりにささやききに近い声で話し出した。

「...ぼく、マディソンきらい」

「そう?」

手を止めることなく、ねぇさまはカチャカチャと食器を片付けた。なんだか少し嬉しそう、目が笑ってるもん。

「だってぼくにいじわるするんだもん。キライ。ねぇさまは?さっきだってドアの前でケンカしてたよね?」

「やだ、聞いてたの?」

「うん」

「...そうね」

片付け終わり、ようやく手を止めたねぇさまの瞳は遠くを映していた。...何を思ってるのかな。マディソンのこと、きらいじゃないの?ねぇさまは視線を外し一度、二度目をしばたたかせたかと思うと、ふっ、と小さく微笑んで語る。

「そうね、たしかに意地悪ね。でもねシエル、マディソンにもいいところはあるのよ」

そんなことを言うなんて、おどろいて多分しかめっつらをしていたぼくにねぇさまは、ふふっと微笑んで続けた。いつか、シエルにも専属の執事さんができたらわかるんじゃないかしら、と言われたけれど、いまいちなっとくいかない。でもねぇさまがそう言うのなら、そうなのかな...

「それはおいといてシエル、しっかり休んで。

早く元気な声を聞かせてね」

微笑むねぇさまは、昔見た本にえがかれた天使みたいだった。ほんとうにおやさしいし、きれい。大好き。

「...ねぇさま」

「うん?」

「スープ、おいしかったです」

ついでにこのまましばらくそばにいて、とお願いしようと思った。だけど。次の言葉でそれはできなくなった。

「じゃあ私は失礼するね。そろそろマディソンが戻ってくる頃だと思うから。シエルも怒られたくないでしょう?」

やっぱり。

パタンと閉まったドアをじんわりあふれるなみだごしにながめた。こげちゃのとびらはゆっくりとりんかくがぼやけていく。もう一度、だれもいなくなった部屋で小さくこぼす。


「マディソンのあくま...」


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