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□時と願いの法則性
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「…基底状態に存在しないモノは安定化を図るマクロな変化の体系の流れに抗うことは出来ない。ここで流転する事象を、例えば空間的に同じだった場合に差別化を図る時間的間隔等を表す新たな座標系が必要となる。

つまり時間とは、現象の変化の過程を表現するために導入された変量なのである…」

無機質な夜の教室に講師の声が木霊する。それを白い制服の集団が静かに聴いている。時にノートを取りながら。窓の外では夕日の残光が消えて、赤み掛かっていた空は闇色へどっぷり染まっていた。

「…だが時間の矢はエントロピーの増大する方向にも向かっている…」

講義のテーマは、時間。拓磨曰く物理学会では近年発見されたミクロをきっかけに、マクロな体系での時の在り方は熱いトピックになっている、らしい。英も研究に携わらないかと企業から誘われたと聞いた。ひょっとして、老ヴァンパイアの講義は聞けば面白いのかもしれないけれど、神さまから悠久の時間を与えられている私はどうしてもそんな気になれなかった。

片目に眼鏡をかけているけれど、あれって何の役に立つのだろう。そんな生産性のないことを考えながら何気なく外を覗くと、風紀委員の男の子と女の子が屋上でじゃれ合っていた。女の子は優姫。暗闇の中を見られるのは便利だけれど、こういう時、自分がヴァンパイアであることを疎ましく思ってしまう。

無意識にかなめの様子を伺うと彼も窓の外を見ていた。多分、優姫を見ているのだと思う。その証拠に彼の瞳は、あの日以来決して私に向けられることの無い温もりを含んでいた。

人間になったあの娘をかなめは見守ることしかしない。本当に優姫が大切なのだろう。手を出さず静かに待つこと。それがどれ程切なくて歯がゆくて、遣る瀬無いことなのか。私はちゃんと知っている。

そう。ただ見つめるだけ。

…ねえ、かなめ、私思ってたの。
貴方から離れれば、穏やかな平生になるって。

だって、かなめさえ居なければ、私は恋の病に煩わされることはないもの。目が合って心臓が逸り立つことも、触れた指先から痺れるような感覚も、どうしようもなく胸が高鳴ることも、嫌われるんじゃないかって悩むことも逢えなくて苦しむことも、嬉しいことも悲しいこともそういった感情全部ぜんぶ。

でも、一緒にいられなくなったあの日からいくら経っても私に静謐な日常は訪れない。むしろ平穏からは程遠い、嵐のような感情を抱くばかりだ。かなめから離れようとすればするほど、どうしようもなく惹かれて、焦がれる想いは強くなって、やり場の無い嫉妬に苛まれるようになった。

もう好きじゃない、告げたら私の人生は灰色に変わるはずだったの。でも、世界には相変わらず色があって、かなめを想う綺麗だった感情はすっかり姿を変えて、私の胸には黒くて汚い感情ばかりが渦巻いている。

退屈な授業に辟易してかなめを観察していると、ずっと外を眺めていた彼がこっちを見た。一瞬だけ目線が絡みあう。ーー刹那、どうしようもなく心臓が跳ねた。

久しぶりに交差した枢の視線には、何だか形容し難い熱が含まれていた。私に向けられたそれは軽蔑か憎しみか。全てを射抜くようなかなめの瞳に耐えきれなくなって、私は目を伏せた。

嫌いだなんて嘘。
本当は好き。大好き。
『好き』なんて言葉じゃ表せないくらい、貴方を死ぬほど愛してるの。触れたら嬉しくて、近づきたくなって、…そして離れたら、もっと寂しくなった。

初めて出会ったあの日から、いつか訪れる最期の瞬間まで、きっと私はかなめの虜で在り続けるしか無いのだろう。いっそのことかなめを嫌いになれたらいいのに。そんな望みはとっくの昔に、時の薄いベールに覆われて、悠久の彼方へ消えていった。その事を、かなめは知っているのだと思う。知っていてなお、私を側におくのだろう。

貴方を想う心は日に日に大きくなっても、溢れる想いを伝えることはできない。ただ、見つめるだけ。本当はそんな資格すら、私にはないと分かっているのだけれど。

そして分不相応な想いを手放せず、苦しんで、自分が李土の娘として生まれた事実に後悔ばかりを繰り返す日々。

それがきっと私に対する罰。

『時は全てを癒し、そして消し去る』

人は変わる、と誰かが言っていた。いつになったら私はかなめを見て、心を乱されることがなくなるんだろうか。

だけれど、もし、絶対に有り得ないけれど、例えば、もし。地球が大爆発を起こして星が魚に変わった弾みに、もしも万に一つ、貴方がもう一度、李土の娘じゃなくて、私自身を「私」として見てくれる日が来たとしたら、私は多分、さようならを言えないだろう。

ずっと嫌いでいてくれなければ貴方の願いを叶えることはできない。たとえ自分が嫌われて、軽蔑されて、憎まれて…側にいることが叶わなくても、かなめだけは幸せになって欲しい。それこそが私の願い。

だから。いつか、必ず来るその日までどうか、神さま。もしも本当に、貴方という存在が在るのなら、どうかかなめに伝えてください。

"May thy heart always be there,"

(私に、迷う隙を与えないで)

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