実家の俺の部屋には俺が赤ん坊の頃の写真が未だに飾ってある。
当時から車が好きで手には車のおもちゃを持って最高の笑顔をしていた。
「ブーブー屋さんになりたい」が幼少期の夢だった。
「この頃は希望に満ち溢れていた・・・」
と進学校で挫折して卒業後ニートやってた時に寝転がりながら漫画読んでたら
部屋に入ってきた母親が疲れた顔をして、その写真を見ながら漏らした。
その数日後から母親は体調不良で寝こみ、数週間起き上がれなかった。
病院に連れて言ったら癌だと申告された。
俺は人が変わったように勉強に明け暮れた。勉強と食事と排泄以外はしなかった。
死ぬかもしれない母親に東大合格という最高の結末を出すことで親孝行ができると考えた。
偏差値は55→75まで上がった。東大に合格するには不足はない成績だった。
でも結果は不合格だった。しかし後期で地底(まあ県名で分かるだろうが)には合格できた。
そのまま院に進学し、就職も問題なかった。就職先はもちろんブーブー屋さんだ。
癌を克服した母親にも初任給で何かかってやりたいと思う。

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