【黄瀬涼太の決意】
IHが終わった。試合に勝っても負けても日常というのはやってくるもので、今日も変わらずコートを走り回る毎日だ。体育館にはバッシュのスキール音が響きわたっている。室内の熱気と心地よい疲労感に頭が少しぼうっとする。手にしているボールの感触だけが確かだった。
「…あちーっスね」
黄瀬はそう無意識に呟いて、自分の順番がくるまで隅でコートを眺めた。シュートしたボールがネットをくぐる音につられてそちらを見やると主将の笠松がシュートを決めたようだった。毎日のように繰り返されるグループによるシュート練習だったが、そんなことは関係なく今日も笠松の怒号は響く。相も変わらず真面目で暑苦しい。
「それでもIHで優勝する。それがオレのけじめで主将としての存在意義だ。」
青峰との念願の対決である桐皇高校との試合の直前に聞いた、三年である笠松のバスケに対する想いはあの敗北以来ふとした時に頭をよぎる。あの時の笠松の言葉は黄瀬の勝ちたいという気持ちを増幅させたのは確かだが、だからといって理解できたわけじゃない。
だってなんだかモヤモヤするのだ、どうしようもなく。でもそれが何故かわからない。
そんなことを考えながらも練習は続いているが、習慣というのは恐ろしくも素晴らしいものでボールを持てば自然と体が動き、気づいた時には練習は終わっていた。
「黄瀬、ちょっと待て」
見なくとも声の主がわかってしまい恐る恐る振り返る。嫌な予感しかしなかった。
「なんスか、先輩」
とりあえず笑顔を張り付けてみたが、それが通用する相手でないことは知っている。あぁ、怒ってるなぁなんて他人事のように思う。見抜かれていたのだ。
「後半のプレーはなんなんだよ!思いっきり上の空だったじゃねぇか!シバくぞ!」
そう言われた瞬間にはもう蹴りを入れられていた。口と足が同時にでるので言い訳さえもさせてはくれない。
しかし今回は自分が悪いのだとわかっているので「スイマセン!」と叫ぶ。それにしてもどうしてこの人は気づくのだろうか。たぶん他のメンバーには気づかれていなかったと思うのだが。確かに集中していたとは言えないが目立ったミスはしていない。だからといって無論、自分だけが目に置かれているなんて自惚れはしていない。誰かを余計に贔屓するとか、そういう人でないことはもう十分に知っているから。
主将笠松幸男の視野は驚くほど広く、コート内のメンバーの動きを常に把握し、必要に応じて声をかけている。主将だからと言われればそうかもしれないが、
「疲れないんスか…」
ぼそっと呟くと、笠松が怪訝な顔をする。聞き返されるのはなんだか嫌で何か聞かれる前に遮ろうと、これからさらに自主練をするのであろう笠松に問う。
「俺も自主練つきあってもいいっスか?」
* * * * * *
ボールが弾む音が響く。大勢より一人のほうがその音は大きく響いて聞こえるから不思議だ。それもそのはずで体育館には黄瀬と笠松しかおらず静まりかえっていた。黄瀬は邪魔にならない程度の距離をとってただじっと見ていた。本当は黄瀬も練習するつもりでいたのだが怪我が治ったばかりだというのもあって全力で止められた。というかシバかれた。
黄瀬はバスケをするのが好きだが、見るのも嫌いではなかった。他人のプレーを瞬時に模倣する能力をもつ黄瀬にとって、他人のプレーを見ることは情報であり経験に近いものがあった。知らなくてはコピーできないのだから。
「黄瀬」
ふと名前を呼ばれた。気づかないうちに観察することに集中していたらしい。
「…お前、えらい集中して見てるけど、なんだ?俺のコピーでもするつもりか?」
「え、」
その発想はなかった。不思議なことに海常のメンバーのコピーをしようと考えたことはなかった気がする。きょとんとしているとそれが気に障ったのかあからさまに額に筋が入った。
「俺のコピーなんてする必要もないってか。まぁいいけどな。」
「だ、誰もそんなこと言ってないじゃないっスか!でもそうっすね、必要があればするかもしれないけどたぶんしないっス」
「なんで」
「だって先輩たちは同じコートにいるじゃないっスか、仲間として」
そう言って笑うと、「お前はたまにものすごく素直で困る」と笠松は顔をそらした。
同じチームの仲間として本人が自分の技を使うならわざわざ黄瀬がコピーする必要はない。模倣するのは閉ざされた道を打開するためなのだから。
「じゃあ今日はなにが目的なんだ?」
「目的?」
「ただ、俺の自主練を見たかったってわけでもないんだろ」
そう言われると困ってしまう。自分でもよくわかっていないのだから。でも考えてもわからないのならいっそ本人に直接聞いてしまうのもいいのかもしれない。
「笠松先輩。責任とかけじめとか、そんなんでバスケ楽しいっスか?」
「お前、ほんとう脈略とかねぇなぁ。」
眉間にしわをよせている。脈絡がないのは黄瀬も承知だ。前置きなんてしらない、ずっと心に引っかかっていたのはこのことだった。
「楽しいとか、楽しくないだけでバスケやってるわけじゃねぇよ。でもそうだな、楽しいぜ?」
こちらを見てにやりと笑う。その答えは何だか前にも誰かから聞いたことがあるような言葉だった。黄瀬は楽しいからバスケが好きだ。それはとてもシンプルで、だからこそわからない。
背負わされるのは窮屈ではないのだろうか。黄瀬は極力身軽でいたいし楽しみたい。責任といえば聞こえはいいかもしれないけど、結局は重石だと思う。
「この苦しみもバスケの一部だ。だったら甘んじる。嬉しいとさえ思う。そう思えるくらい強かになってみせる。」
そう告げる瞳はまっすぐだった。
あぁ、この人は強いんだな、そう黄瀬は思った。おそらく自分らキセキとは異なる性質の強さなのだろう。何かがかすめる、たぶん懐かしさのようなものを。
「潰れないでくださいっスね?」
「言ってろばぁか。シバくぞ!」
わざと挑発的に笑えば容赦なく蹴られた。
想いの強さでバスケをする人を知っている。尊敬した、心からすごいと思っていた。そしてある日忽然と姿を消した友人。その強さも脆さも、知っていた。
あぁ、だから
あの時この人を勝たせたいと思ったのかもしれない。
「先輩、俺いまものすっごくバスケがしたいっス!」
「はぁ??」
「One on Oneしましょ!!」
突然の発言に、しかも今までの会話はなんだったのかとぽかんと呆けている笠松の腕を容赦なくふりまわす。そして笠松は我に返る。
「だから今日はお前駄目だ!つってんだろ!!」
そんな笠松の怒鳴り声と黄瀬の楽しそうに笑う声が夜の体育館に響く。
償いも救いもいらないと言っていた。
だったら報われるぐらいしてもいいのではないか。
そう思った。そしたらバスケがしたくてたまらなくなった。
笠松に怒鳴られながらも朗らかに笑う。だって答えがでたのだから。
存在意義だとかそんな悲しいことを言わないでほしい。過去からの責任を背負い続けて色んなものにがんじらめになっているのなら、その糸をゆるめていきたい、ほどいていきたい、そう思う。決して自分本位にバスケができないこの人の代わりに自分はどこまでも自由にバスケをしよう。
ねぇ、バスケは楽しいんスよ?
それを思い出させてくれたこのチームで、
海常で勝ちたい。
その気持ちが真実になったのは、この日だったのかもしれない。
* * * * * *
【笠松幸男の真実】
楽しい楽しくないだけでバスケをやっているわけじゃない。
それは本当だ。責任という重石もバスケから齎されるものなら喜んで甘んじる。
「強かになってみせる」
この言葉は真実だ。それなのに自分を必死に言い聞かせているように感じることだってある。顔が歪みそうになるのを堪えた。
強くなりたい、もっと。三年だからといってそう大人ではない。しかし馬鹿正直に真正面から「バスケが楽しいか」などと問う黄瀬はまだ一年で、自分は後輩を導く立場だった。揺らぐわけにはいかない、少なくともこの場では。自分自身がそれを許せない。くだらない意地だった。でもゆずれないぐらいには大事な意地だった。
だけど本当は自分をどうにか奮い立たせるのに必死で。
「潰れないでくださいっスね?」
ムカつくくらいに綺麗で、それでいて挑発的な笑み。このくらいでたじろいで堪るかと足に力を入れる。
その言葉に不敵に笑ってみせるから。どうか気づいてくれるなよ、黄瀬。
了