little story 【林檎U】
□スプラッシュ・ミー
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「―― いーち、にーぃ、さぁーん」
床にぺったりと座り込み、大人しく本を開いていたフランが急に何かを数えだしたのでナイフを磨いていた手を止め、脚の間に陣取るフランの手元を覗き込んだ
「なぁに見てンだ?」
「んとね、これ」
両手を高々と突き上げたフランが手にしていたのはイタリア観光ガイド。名所や史跡の場所を示したおでかけマップ≠フページだ
「なに?おまえどっか行きてーの?」
任務の間、留守番ばかりさせている。それに対してフランが不満を口にしたり寂しいと言ってくることもなかったので気付いても気付かないふりをしていた
「うぅん、ちがうよ!」
慌てた風にぶんぶんと首を振り、ソファに腰掛けたベルに向き直る。床に膝立ちしたフランがベルの太腿に手を掛けて不安げに見上げてくるのでそのリンゴ頭をぽんぽんと叩いて宥める
自分に心配を掛けまい、煩わせまいとしているのは分かっていた。ガキのくせにいっちょ前に気なんか遣いやがってと思わないでもないが、任務が入ればそれが最優先になるのは仕方のないことだ。フランにもそれが分かっているから我が儘も言わずにいるのだろう
「んじゃ、ナニ?そういやさっき何か数えてなかったか?」
「あ、うん。あのね、ふんすいをかぞえてたの」
そう言ってフランが差し出した観光ガイドにはイタリア各市の噴水が特集されていた
「噴水?」
「うん、ふんすい!」
途端にフランの瞳がぱぁっと輝き出す
「おばーちゃんとこにはね、ふんすいなんてなかったでしょ?だからミー、はじめて見たときすごくビックリしたんだよ!」
フランスの秘境と言われるジュラは大自然に囲まれたところだ。都会の子なら逆に言葉を失うような断崖絶壁や瀑布がフランの遊び場だったのだ。そんなところに噴水などあるはずがない
「そっか。フランは噴水が好きか」
「うん!ミーね、おっきいふんすいもちっちゃいふんすいもだぁーいすき」
思わずバンザイしたフランの手を取り膝の上に跨がせる。そう言えば街に出るといつも噴水に駆け寄っては手を突っ込んでいる姿を思い出した
「あぁ、それでいつも手も服もビチョビチョにしてんだな」
「あ…っ、それは、ね」
ゴニョゴニョと言葉尻を濁すフランに怒っている訳じゃないと伝えるべくニイッと口端を吊り上げた
「イタリアってふんすいがいっぱいあるでしょ?だからどれくらいあるのかなーっておもったの」
フランの言う通りイタリア、ことローマには噴水が多い。それは古代ローマの時代に整備された水路の末端に記念碑的に造られたモストラから始まり、街角の小さな水飲み場から豪華で芸術性の高いものまでその数2000とも5000とも言われている。イタリアで一番有名なトレヴィの泉もヴィルゴ水道のモストラだ
「ねぇねぇ!ボローニャで見たふんすい、おもしろかったよね。だって、おっぱいから…ぷぷぷっ」
「あぁ、確かに。しししっ」
フランに指摘されるまで気にもしなかったマッジョーレ広場にあるネプチューンの噴水。台座の四角に配置された人魚の像はあらぬところから水が噴き出していてフランと腹を抱えて笑ったのは半年以上前だろうか。そう言えばもう随分とフランを連れて遠出していない。最後に出掛けたのはもうふた月以上前になる
「なぁ、おまえやっぱりどっか行きたいんじゃ……」
ガイドブックなんかを引っぱり出してきたのはそれに気付いて欲しいからなのでは、と単刀直入に切り出したベルの言葉にフランの言葉が被った
「ねぇ。どうしてヴァリアーにはふんすいがないの?」
「……は?」
フランの問いはベルの予想を大きく裏切るものだった
「噴…水……?」
うんうん、と拳を握り大きく頷くフランの目は真剣そのものだ。何故ヴァリアーには噴水がないのか――、いや、そもそもそんな疑問すら抱いたことはない
「なんで…って、…んー」
確かにイタリアの大きな屋敷や庭園には噴水がつきもので、ティヴォリには世界遺産に登録された噴水庭園もある。かつて双子の兄と投石、投岩を繰り返した屋敷の庭にも噴水があった気がする
「ふんすいあったら楽しいとおもわない?ミー、ずっと見てられるもん。夏になったら水あそびもできるよね」
どうやらフランの希望はおでかけすること≠ナはなくふんすいがあったらいいのに≠ニいうことらしい。普段、あれが欲しい、どこどこへ行きたいと駄々を捏ねるタイプではないから尚更その願いを叶えてやりたくなる
「そっか、噴水な。そンなん王子がちゃっちゃと造ってやるよ」
「ほんとにっ!?」
広大な敷地を有するヴァリアー本部に噴水のひとつやふたつ造ったところで警備上の問題が発生するとは思えない。資金ならいくらでもあるのだ。王子の経済力を持ってしたらイタリア1の彫刻家とイタリア1の造園技師を呼ぶことだって可能なのだ
「あぁ。でも一応、ボスとスクアーロには許可もらわねーと」
大抵のことは大目に見て貰える立場ではあるものの、さすがに今回は無断で始めるわけにはいかないだろう。万一、途中でストップがかかってはフランが余計悲しむのが目に見えている
「…そっか。そうだよね」
喜びにキラキラと輝いていた瞳が一気にしゅんと暗くなる。ベルの言葉に一喜一憂するフランを膝から下ろし自分も立ち上がって大きく伸びをした
「よぅし。そうと決まれば設計図作りに行くぜ!」
「せっけいずー?」
きょとんと首を傾げるフランを肩車して庭に出る。男所帯にしてはよく手入れされた庭はフランがいつも駆け回って遊んでいる場所だ。そこのど真ん中に拾い上げた木の枝で大きな丸を描く
「こンなもんか」
直径3m程の円の中心に立ち、ぐるりと見回すとその意図に気付いたフランが肩の上で手足をバタつかせる
「うぅん、もっともーーっとおっきいの!」
「っとォ、コラ暴れんなっ。よーし」
今度は木の枝を手にさっきの倍くらいの円周を走って跡を付けた
「ししっ。これでどーだ」
「うん。おっきーね!あ、そうだっ」
何か思いついたのか肩から飛び降りたフランがベルの手から木の枝を奪い円の先に2本の直線を引く
「ん?それなんだ?」
「こうやって…、ここのふんすいからかいだんみたくお水がながれていく道があったらもっと楽しくない?」
「お、いいなソレ。じゃあ…」
きょろりと周囲を見渡しスプリンクラーの位置を確かめる。フランは直線と直線の間に横棒を引き、階段を描くのに夢中でこちらを見ていない。その隙にスイッチを入れるとヘッド部分から勢いよく水が噴き出した
「ひゃあ、つめたーい!なに、なにー!?」
くるくると回転する散水口に狙いうちされたかのように、逃げ回るフランに容赦なく水が降り注ぐ
「おまえ、水に追っかけられてンぞ」
「わ、っぷ…つめたいよー!べる、なにするのー」
「いやぁ、噴水の水の量はどれ位がいーかと思ってサ。しししっ」
きゃーきゃーと走り回る姿を指差して笑っていたらすっかり瑞々しくなった巨大リンゴにどーんとタックルされてフランを抱いたまま尻餅をついた
「えっへっへー。おかえしだよー」
胸の上で四つん這いになったフランが雫を払う小犬のようにぶるぶるっと身体を振るのでベルもすっかりびしょ濡れになってしまった
「やったな、コイツ」
「きゃははー」
6月の陽射しをキラキラと反射させた水飛沫を浴びて、騒ぎをききつけたルッスーリアが奇声を上げて止めに来るまでふたりともずぶ濡れのまま庭を転げ回った
(2014.6/9)