★思春期リンゴ物語★
□クライ・ミー
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扉を開ければいつも転がるように飛び出してきて足元にじゃれついていた幼な子は、いつの間にか自分の手元を離れ任務ですら一緒でない事も増えた
『おかえりー、べるっ!』
『やった!明日も一緒の任務だねー』
そんな言葉に心を躍らせていたのだと気付いたのは、それを聞かなくなってからだった
扉を開けたその先の部屋はシンと静まり返り、フランを迎えるまでは人に煩わされる事を嫌い、ひとりを好んでいたというのに、そこに足を踏み入れることを躊躇わせる程の静寂を舌打ちで破る
乱暴に脱いだ隊服を放り投げ、以前ならば『しょーがないなー、もぅ』と言いながら拾い上げる姿が瞼に浮かぶがそれを打ち消すようにソファにどかっと腰を下ろし、背もたれに左右に伸ばした腕を引っ掛けそのままズルズルと前方に身体をずらして顎を反らせ、背もたれのへりに後頭部を預けた
ジュラから連れ帰り、自分のあとをヒナ鳥のようについて歩くフランを一度たりとも煩わしいと感じたことはなく、一緒にいることは息をするのと同じくらいに当たり前のことだった
その姿が現実に少しずつ少しずつ自分から離れてゆくことを肌で感じ、そうして自分の中にあるフランへの想いが何なのか目を逸らしていたくせに、前髪の奥の瞳はいつもフランの姿を追っていた
「……」
大股に開いた足の間が定位置で、ぺたりと床に座り込んで本を読んだりおやつを食べていたフランを見下ろしながらナイフの手入れをしていたのが遙か昔のことのように感じられた
『ねー、べるー。これなんて読むの?』
髪と揃いの翡翠の粒をきらきらと輝かせて振り返るフランの幻影を白いブーツで蹴散らすとテーブルがガタンッと派手な音を響かせる
「…壊しちゃだめだよー」
いきなり耳に飛び込んだ声にがばりと身体を翻すと開け放したままのドアから部屋を覗く真っ赤なリンゴが目に止まった
目が合った瞬間僅かに俯きおずおずと自分に近付くフランの動きをただじっと見つめる
「どしたの?やつあたりー?」
ベルの座るソファを大きく迂回して反対側に立ち、ずれたテーブルの位置を直す
「はっ。別にぃ」
ぶっきらぼうな口調が余計にフランとの距離をつくると判っているのだけれど、そんな態度しかとれない自分に苛立つ
「…べるも帰ったばっかり?」
「…あぁ」
「ミーもね、今帰ってきたとこ。ドアが開いてたから帰ってるのかなーと思って」
えへへとぎこちなく笑う表情(かお)からはもう、かつての純粋さを感じることが出来ない
「帰ったンならまずスクアーロに報告だろ。オレんとこに寄り道してんじゃねーよ」
プイッと横を向き、フランが直したテーブルにブーツのまま足を乗せる。その音にビクッと肩を竦めるフランの気配を感じたがそのまま無視をした
「あー。今日の任務は隊長と一緒だった…から」
この場から立ち去らせる理由をあっけなく却下され、ふたりの間には沈黙が降りてくる
このまま喋らずにいたら諦めて出て行くだろうか。むしろそうあって欲しくて身動ぎもせずその沈黙をやり過ごす
しかし、所在なげにしていたフランは放り投げられていたベルの隊服に気付くと以前と変わらぬ口調で「しょーがないなー、もぅ」と呟きながら拾い上げ、ばさばさと払ってベルが座るソファの背にそっと掛けようとした
「…っ!」
その手首を掴み、ぐいっと引き寄せればバランスを失って手に持った隊服ごとソファに乗り上げる動きがスローモーションのように映り、驚いて顔を上げたフランと至近距離で見つめ合った
ベル自身、何をしたかった訳ではない。ただ咄嗟にそうしてしまっただけで足元に転がったリンゴメットよりも真っ赤に染まったフランの顔に気付くと自分で掴んだフランの手を振り払うように離した
「…ガキがっ」
思わず口をついて出たその言葉がフランの耳に届いたのかは判らない
逃げるように部屋を出て行ったフランの足音がふたりの距離をまた遠ざけた気がして、リンゴメットを拾い上げるとフランのあとを追った