★思春期リンゴ物語★

□ティーチ・ミー
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丸みのあるふっくらとした手足はいつの間にかほっそりとした少年のそれに変わっていた

ベルの部屋で眠ることもなくなり、あの幼児特有の高めの体温だったり、柔らかく立ち上る独特の甘い香りをその腕の中に抱いていた頃を、独り寝のベッドでふと懐かしく感じている

必死で自分の後を追ってくるのも、帰りを待ち侘び足元にじゃれつくのも、もう随分と昔の事のようで、無邪気な笑顔が、絶対の信頼と憧れを抱いて真っ直ぐにこちらへと向けられていた瞳が、少しずつ遠くなってゆく事をどうする事も出来ず、己の感情の行き先はただ任務に没頭する事のみで、カタチを変えた欲望は無慈悲な殺戮で得られる快感にすり替えていた

未来から受け取った記憶を辿り、再び出逢ったあの6年前の夏

その姿はあまりに幼く、あの未来で共に闘った事も、前任の身代わりだと被せた滑稽なメットも、『恋人』と呼ばれる関係であったことも、すべてがゼロに帰していた

呼び捨てにするなと何度言っても『えへへ』と笑って『べる』と呼んだ

『センパイ』と呼ばせたのは、任務に出るようになってからだったろうか

かつての−−、いや、未来の関係などその記憶にも身体にも残っているはずもないのに、何故か「センパイ」と呼ぶその声にフラン自身が恥じらいを見せた


『せんぱい。べるせんぱい』


常から毒を吐く事にのみ長けているその唇がその言葉を紡ぐ時、まだ触れてはならない琴線の微かな揺れに胸の裡に灯る炎が刺激されていった





「べる……せんぱい。昨夜戻らなかったけど、どこに行っ…−−」

ベルが脱ぎ捨てた隊服を拾い上げるフランの言葉と動きが止まる

「…香水、変えた?」

「は?なンで?」

「…うぅん、なんでもない」

春をひさぐオンナを金で買い、その名残を隠す事をしなかったのは自分自身への牽制でもあった

自らの意志で暗殺部隊に身を置く事を決めたフランに、マフィアの世界を、任務での敵との間合いを、術士としての役割を教えた

幼いフランにこの世界で生きることを課してよいのか迷いながら、ひとつひとつ……

真っ白でふわふわの真綿がぐんぐんと水を吸い込むように、フランの成長は著しかった

早く共に闘った未来の自分の姿に近付きたいと必死に願い自らを鼓舞する姿の裏に、いつしか信頼や憧れだけではすまない恋情を感じ取っていた

正面から向き合っていた関係を、肩を並べる関係へと変えたがっているフランに気付かないふりを通した

未来の記憶が戻らないまま過ごした6年の月日は、新しい思い出と経験を積み重ね、新しいふたりの関係を築こうとしている


あの未来と違う、今−−−


「ねぇ、べる……話があるんだけど」

「あ?また今度な。オレ疲れてンだよね。シャワーも浴びてーし」

無造作にシャツを捲り上げ均整の取れた体躯をわざと見せつけるようにすれば、呼吸すら止めてこちらを凝視する瞳とピンッと張りつめた空気に耐えきれず先に口を開いたのはベルの方だった

「…なぁ、一緒に入る?昔みてーに髪洗ってやろーか?しししっ」

脱ぎ去ったボーダーを肩に担ぎ、顎でバスルームの方向を示せば急にスイッチを入れられた人形のようにぎこちない動きで自分の左右と天井へ視線を彷徨わせ「も、う…子供じゃないですー」と、それだけ言ってぱたぱたと部屋を出て行った

静かに閉じられたそのドアの向こう側に力無く凭れ掛かるフランの確かな気配を感じる


もう子供じゃない
まだ大人じゃない


ベルのなかにドロドロと渦を巻く、キレイ事だけではすまない情炎にフランは気付いているのだろうか


思春期を迎え、身体の変化に追いつかない心
心とは別に、反応だけを示すようになる身体


一番不安定な年齢であることは同性である自分にも覚えのあることで、常に行動を共にし一番身近にいるベルに対する信頼や憧れといった類の感情を「恋」と錯覚しやすい年頃でもある

瞳と揃いの色をした髪がさらさらと風になびき、頬に掛かるそれを煩わしげに払う指に見惚れ、重なった視線をお互いに外した任務からの帰り道

前任の身代わりではないから意味のないカエルメットも

成長と共に自ら被ることをやめたリンゴメットも

ふたりを繋ぐ象徴のようなそれは、ふとした瞬間に心を奪う翡翠の絹糸を隠すものは、今はなにもない



『べる、おしえて。ミーにおしえて』



なんでも教えてやるつもりだった。どんなことをしても護りたかった

しかし、今、問われたら何と答えたらいいのだろう



『べる、教えて。この揺れる気持ちの正体はなに?』



もしそう聞かれたらオレは答えられるのだろうか

否定も肯定も出来ないその問いに、今はまだ自分自身が揺れているのだから



『ねぇ、べる。ミーはべるのことが−−−』



まだだ。まだ早い

ふたりがその答えを出すには、もう少しの時間が必要なのだ

ドアの向こうのフランに背を向けて、じっと見つめていた手のひらをぐっと握り込んだ



(2012.2/28)

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