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□予感
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華奢な腕が伸びてきて、そっと首に巻き付いてくる。
そのアクションに応えるように彼女の腰を抱き寄せた。
「……ん、っ」
腰を抱いて改めて実感する痩身、今にも折れてしまいそうな程細く華奢な彼女の身体は酷く繊細だ。
それでいて柔らかくて、頬に耳朶にと触れる箇所全てに瑞々しい弾力がある。
勿論、重ねた唇にも。
「アラン君、キス……好き?」
「それは自分だろ?」
「ふふっ、それはどうかしら?」
「……嘘つけ、好きなくせに」
初めて唇を重ねたのは少し前、彼女の方からだった。
好奇心旺盛な彼女の純粋な興味からか、パーティーの最中兄の目を盗んで作った僅かな時間、不意にキスをしてきた彼女。
「悪戯」と称したそれは目眩がする程甘美で、以降病み付きになった。
好きな相手に戯れといえどもキスをされて、嵌まらない筈が無い―――。
「アランく……、ん」
最初でこそ触れ合うだけだった唇は、勝手がわかってくると舌を絡めたそれになった。
国も違う、互いに護衛や監視の目が常に周囲にある中で、それでも合間を縫ってはキスをした。
キスだけを何度も。
それ以上は―――進みようが無いのだ。
「アラン君、お願い……ずっとこのままキスして……?」
「言われなくても……そのつもり」
「んっ、ふ…ぁ……」
彼女の身体に宿る病魔は一旦は葬られた筈だった。
だが再び再発した病の治療は、気が遠くなる程の長い長い年月を余儀無くするものだった。
今の彼女は硝子細工のように美しく儚く、脆い。
「キャシー………」
―――彼女の身体は性行為に耐えられないのだ。
いつだったか、キスをして抱擁してはキスをして、そんな二人きりの時間に彼女が突然泣き出した事がある。
自分は恋は出来ても女性としての喜びを知る事は出来ないのだと、それが一生続くかもしれないと、可憐な笑顔を歪ませて微笑みながら泣いていた。
そして聞いた、自分の事を「ずっと好きだった」と嗚咽混じりに告げた彼女の告白を。
同じだった、両想いだった。
それは恋が叶った瞬間で、本来ならば喜ぶべき奇跡だった。
でも―――。
「アラン君に女の子にして貰いたかったな……でも、きっとずっとそれは叶わないの、私……アラン君と本当の意味で一つにはなれない身体なんだもの」
そう言って箍が外れたように泣きじゃくる彼女を抱き締めて、遠くの夜空に浮かんだ月を見上げたんだ。
それでもいいと、身体が繋がる事は無くても心が繋がっているのならいいと、そう心底から思えた。
「……呼ばれてる」
幾度となく唇を重ねていたなら、不意にキャサリンがハッと顎を引いた。
彼女の姿を探すリュークの必死な声が中庭まで届いたのだ。
「行かなくちゃ……」
「……行くなよ」
「でも、もしリュークに見られたらアラン君との事をお兄様に言われてしまうわ、だから……」
「それが何だよ…っ……」
首からするりと解かれていく細い腕をぎゅっと掴み、身体を離す彼女を今一度抱き寄せた。強く。
「アラン君…っ…」
「ずっとキスしてろって言ったの誰。自分で言っといてそれかよ」
「……っ、もう!ふふっ、悪戯はおしまいよ?でないとしっぺ返しされちゃうわ」
「そうやってはぐらかすなよ、はぐらかして誤魔化すなってば……いつでも泣きそうになりながらキスしてくるくせに、無理して笑うなよ……!」
明るい口調と人当たりの良さは昔から、懐こくて誰にでも朗らかに優しくて。
無邪気に微笑んでは芯の強さもあるからか、時々人をからかうようにはぐらかし、そうして本心を隠すのだ。
だから、つい見落としがちになる。
彼女の笑顔の下にはいつだって泣き顔がある事に。
「……っ!お兄様に知られたら絶対アラン君が責められるわ…!嫌よ、こんな……こんな私のせいでアラン君が責められたら私……っ」
「……“こんな”って何」
「…え…?」
「“こんな私”って何って聞いてんだよ」
「アラン君……」
「俺にとってのキャシーは……“こんな”なんかじゃないんだよ……!」
雲が晴れ、月が月としての輪郭を露にしていく。
静寂の中を彼女を探す呼び声が徐々に大きく響き出す。
強く抱き締めた腕の中で次第に聞こえてくる小さな啜り泣き、そして胸に埋めた彼女の頭が金髪を揺らして小刻みに震えていて。
「アラン君……いつか、いつか私の病気が治ったその時は……私を抱いてくれる?」
背中に回された彼女の手が、きゅっと正装の上着を掴む。
まるで神様にでも祈るように自分の上着を握り締める彼女に、自分は神に誓って答えた。
「当たり前だろ?病気が治った時、キャシーが白髪のお婆ちゃんになってたって抱いてやる……」
抱き締めた、目一杯。
折れそうな程細い腰を背中を、力強く目一杯に抱き締めた。
――――その時。
「キャサリン様。リュークさんが先程からお探しです。お戻りください」
中庭を青白く照らし始めた月明かりの中、今の今まで気配の無かった黒いシルエットがそこに立つ。
微動だにせず真っ直ぐと正した姿勢、赤毛の毛先だけを夜風に靡かせている縦一本に伸びる黒い影。
「テ、テオ……!」
カァッと真っ赤に顔を赤らめてキャサリンがバッと腕から擦り抜ける。
途端に風通しの良くなる腕に名残惜しくなりつつ、彼が来たからには彼女と抱き合っている訳にもいかない。
「ええ、わかったわ。今戻るから……じゃあね、アラン君」
「……ああ」
「ではキャサリン様、こちらへ。雨に濡れて滑り易くなっております、足元が悪いですのでお気をつけて」
中庭を後にする彼女とテオの後ろ姿を一人見送る。
それもあっという間に城壁の影へと消えた事で、彼女を追い掛けていた視線に次の役目を与えようと、ぼんやりと夜空を見上げてみた。
雲の切れ間から覗き始める星の輝きを、一つ一つ瞳に留めていく。
「あいつの事……守れる力が俺にはあるって誰か言ってくれよ……。口約束だけにするつもりは無いんだよ……っ」
本心で思う。
自分は一生、彼女を腕に抱けなくても構わないと、欲しいのは身体が繋がる快楽ではなく、彼女自身なのだからと。
それでも彼女からすれば病が治らなければ女性にはなれないと、愛する自分と想いが通じた所で純潔なままでいる事が辛いという。
勿論、そうなれればいいとは願っているが、肌を重ねずとも今のままでも自分は十分に幸せなのだ、それが―――……。
ある日、突然崩れ出す。
築き上げた砂山を最初でこそ撫でるようにそっと払い退けていくような、そんな些細な変化が起こり始める。
そうして気付いた時には崩されていた。
手に確と掬えた砂が、見る見る指間から零れ落ちていったんだ。
彼女を最初に抱いたのは俺じゃない。
――――――彼だった。
予感
I'm falling in love with him,this person who keeps hurting himself to protect the people he cares about.
20120308