ファーストラブ(長編)

□ファーストラブ 5
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健二との回線が切れた途端、発作的に近くにあったペン立てを掴み、壁に向かって思い切り投げつける。
ガシャーンッッ!!と、思っていた以上に大きな音が響いたが、抑えがたい衝動が湧き上がってきてそんな事に気を留めている余裕は無かった。が、間もなくバタバタと誰かが階段を駆け上がってくる音がする。

------まずいっ

佳主馬は急いでコートを羽織り、財布をポケットにねじ込んだ。
ドンドン!と少し乱暴にドアが叩かれた。

「佳主馬?どうしたの?大丈夫?」
鍵を開けて、ガチャリとドアを開けると、母親の横をすり抜ける様に部屋を飛び出した。

「出かけてくる。」
母親の顔も見ずに言い捨てると階段を駆け下りそのままの勢いで玄関に向かう。

「ちょっと、佳主馬っ!?何処へ行くの!!!」
呼び掛けには答えず、家を出た。









いつもならば、絶対について行かなかった。
けれど、今日は自分の中で荒れ狂う凶暴な何かを吐き出さずにはいられなかった。
だから、明るい所に居たくなくて、閉店した飲食店のシャッターの前に座っている時に声をかけてきた女についていった。
ついて行ったら、どうなるかは大体予想していたし、やはり、予想通りの展開だった。

気持ちが付いて行かない行為は、特別気持ちがいいとは感じなかったが、行為に没頭することで、瞬間、何かを忘れていられるのが楽だった。
精を吐き出す度に、自分の中に溜まっているドロドロとしたものが、少しは外に出ていく様な気もした。
それは、あくまで錯覚でしかなかったけれど……自分のバランスを取るために、その行為に縋った……。








そっと玄関をくぐり、2階へ上がろうとした俺を、物音を聞つけてリビングから出てきた母親が呼び止めた。どうやら寝ずに待っていた様で、とても疲れた顔をしていた。

「佳主馬。こっちへいらっしゃい。」
母親を酷く心配させたであろうことは十分わかっている。けれど、だからこそ、母親を直視する事が出来なくて…無視して部屋へ入ってしまおうかとも思ったが、さすがにそれで済ませては貰えないだろうと思い直し、大人しくリビングへついて行った。

「佳主馬。いったい、どうしたの?何か、悩みがあるのなら、話してちょうだい。」

『別に何もない』と言うのも、あまりにも白々しいし…かと言って、話すつもりも微塵もない。
だから、黙っていた。適当な嘘もつきたくなかったし、正直に話したくもない。
母親が何を言っても、下を向いて、ずっと黙っていた。
何分たっただろうか…とうとう母親は諦めたらしく、深いため息をついた後、

「キッチンに、ごはんがあるから…食べなさい。」
そう言い残して、2階の寝室に上がっていった。







財布をポケットから取り出すと、白い紙切れがポトリと床に落ちる。何だろう。
広げてみると、11ケタの数字の羅列。

------ああ、そういえば、あの女が…

ほんの数時間前まで一緒にいた女の顔が、もうよく思い出せない。
しつこくケータイの番号を聞かれたが、無視していたら『連絡ちょうだい!』と言われて紙切れを無理矢理ポケットに突っ込まれた。
クシャリと手の中で握り潰すと、ゴミ箱へ投げ捨てた。










健二さんが、俺の知らない誰かと居る。
楽しそうに笑い合って、肩を寄せ合い、影が重なる……

-------ヤメテッ!ケンジサンッッソンナコトシナイデ!オレヲミテ!オレノソバニイテッッ------




「ちょっと!あんた、大丈夫?!」
激しく体を揺さぶられて、悪夢から覚める。
動悸が激しく、全身に嫌な汗をかいていた。さっき夢で見た光景が脳裏にチラついて、なかなか動悸が収まらない。
-------大丈夫、あれは夢だ。
自分で自分に言い聞かせながら、右手のひらで瞼の上を押さえてゆっくりと呼吸を繰り返すと、やっと落ち着いてきた。

「すごく、うなされてたわよ?」
心配げに覗き込んで来る女が鬱陶しい。身体を起こしながら手で押しのけた。
そのままベットから降りると、ソファに投げ捨ててあった上着を手に取る。

「え?ちょっと、もう帰る気?待ちなさいよっ。」
未だ半裸状態の女に一瞥もくれる事無く、佳主馬は部屋を出た。

薄暗い廊下には、左右に同じ様なドアがいくつも並んでいる。
足早に廊下を進み、狭いエレベーターに乗り込む。
無人のロビーを通り抜け表に出ると、東の空は白み始めていたがまだ薄暗かった。
ケータイを取り出し、時間を確認する。始発電車はとりあえず動いている時間だ。

寝不足で重い頭を軽く振って、駅に向かって歩き出した。
------俺は、一体何をしているんだろう…。
いつも、事の後には後悔をする。

ほぼ毎日の様に交わしている健二さんとのチャットのあと、どうしようも無い絶望感に駆られる事がある。
部屋でジッとしていると、頭がおかしくなりそうで…いや、もう十分オカシイのかもしれないけれど…
一度知った人肌に縋って………
けれど、重ねた肌があの人のモノじゃない事に、ひどい嫌悪を感じる自分……。
最悪だ。自分でも分かっている。けれど、抜け出せない。
心とは裏腹に、若い身体は、内に溜まった凶暴な熱を吐き出す事を熱望する。


少しはこの陰鬱な気分が晴れるかと、日ごとに緑の息吹が強くなるこの季節の明け方の澄んだ空気を思い切り吸い込んで息を止めてみる。
…が、やはり、何も変わることはなく、思い切り吸い込んだ分盛大なため息がもれるばかりだった。
刻々と空が白んでいくのと共に、じりじりと気温が上がっていくのも肌に感じる。もうすぐそこまで夏が来ている。

正月同様、きっとこの夏にも健二さんは上田を訪れるに違いない………

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