Novelette 幕末
□前川邸還魂記 一、花曇桜鬼(はなぐもりはなおに)
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それぞれがそんなハズはないと薄気味悪さを飲み込み、元の仕事に戻ろうとしたとき。
――ムシスルデナイー
「いや、聞こえねぇ」
土方がうっかり口走る。
「俺だって聞こえねぇ」
新八も耳を塞ぐ。
「副長、このところ働き詰めでお疲れなのでは」
「お、おぅ実は凝りと疲れが取れなくてよ。
斎藤、後で灸でも据えてくれるか」
「わ、私が團十郎艾(だんじゅうろうもぐさ)[江戸ではいろいろな商標に團十郎とつけられていた]買ってきます!」
――團十郎艾が京で買えるか!
「探せばあるかもしれないですし」
――田んぼで蛭を捕ってくりゃタダ同然だぞ。
「イヤに金銭感覚のある童(わっぱ)だ」
斎藤が呟くと俄(にわ)かに輪郭が強くなり人が一人、千鶴より五つばかり下に見える少年がいた。
「ホレ見、視えてるモノを視えぬと言い張るのは自らを欺く事ではないのか」
そりゃそうだが…。
この童の言う事に一理あるかないかはここではさして問題ではないのに土方がいち早く気づく。
「ガキ、何処から入ってきやがった!
とっとと出て行かねぇとぶった斬るぞっ」
「塀を乗り越えてきたコソ泥にでも言うような剣幕だな」
「塀を乗り越えてきたコソ泥だろーが!
新選組の屯所に何の用だっ」
あぁ、あぁと少年は頭(かぶり)を振る。
「ヒトの声とゆーのは大き過ぎても何を言っておるのか分からぬなぁ、も少し大人しくならんか」
新選組と聞いても火消しか何かの組名としか受け取っていないらしく子供に動じる様子はない。
土方は完全に怒った。
柄に手が掛かっている。
もし巡察中道端でこんな童から仮に因縁を付けられたとしたら土方はやはり剣を抜くのだろうか、千鶴達は緊張に凍りつく。
「土方さん待てよっ、どっちかってーと俺らよっか坊さんの領域なんじゃぇのか?」
新八の冷静な見解に耳も貸さず足袋のまま庭土に降りるや兼定が宙に閃き明らかに少年の身体を襷掛けに……斬った…筈だ。
少年は眉間からつま先まで真っ二つである。
ゆらゆら両の半身は揺れ若木の前の空間に吸い込まれた…のだろう。
皆視ていた。
「…まぁ、春はヘンなのが多いからな。
気にすんな」
新八が団子でも買いに行くかと懐に手を遣る。
果たして「ヘン」で片付くのか、でも終いにせねば仕方がないから皆無理やり考えない事にする。
当の土方すら振り下ろしたきりやり場に困った兼定を無言で鞘に収める。
しかし考えても仕方ない事を思案し続けるというムダをまだムダと知らない千鶴は口にする。
「土方さん、今のって…幽霊…ですよね…?」
「雪村、手前ぇは今俺らがどんだけ精力注いでムダな疑問を廃棄したか解ってねぇっ」
また刀の柄に手を掛けそうな勢いなのをまぁまぁと新八が抑える。
嫌な寒気を感じながら斎藤だけが桜の若木を見詰めていた。
この怪事の前と寸分変わらぬ、太さの足りぬ頼りない幹、皮の凹凸の受ける日光も同じ曖昧さである。
微風ぐらいはさっきと違うものが流れているだろう…。
温(ぬる)い日差しを浴びているのにこの寒気はと斎藤が珍しく不安になったときだった。
蒼白い二朶の影がスイと集まって
「あー、魂消(たまげ)た!」
少年が姿を結び、土方に言い放つ。
「お前はな、斬らんと真(まこと)に念じておらぬから斬れぬのだ」
副長に説教を?!
なんと生臭な[生意気な]っ。
いやしかし…それが問題ではなく。
こうなるともう、認めたくはないがこれは…。
なおも戸惑う斎藤の傍から土方
「いい加減にしやがれこの悪霊!!!!
屯所(ウチ)に何の用だっ」
「いや、頭ごなしに悪霊と決め付けられては説明しにくいのだが…あ、また斬ってやるとか思っとるな」
「土方さんここはひとつ小僧の話を聞こうじゃねぇか。
もしかしたら壬生寺で俺らの稽古がうるさくって目が醒めちまったホトケさんかもしんねぇぜ」
「筋骨(きんこつ)男お前御仏の御利益があるぞ」
「ホントか!
待ってろ、団子でも買ってくるぜ」
「新八、幽霊に褒められて喜ぶなっ」
ふん、少年が傲慢そうに横目を遣う。
「お前、一度に団子何本喰う?」
「…五、六本だな」
「舌が惜しくないなら嘘を吐け。
閻魔羅闍は容赦せんぞ」
「…ンなら十本」
「さて串団子の値が大体四文、お前が無駄に今十本喰ったれば四十文。
酒の上物が一合呑める額面ではないか、始末せい」
「ナニお前お袋??お袋実は男だったの?
ってかお前ホントは婆ぁとか?」
「斯様に総身に知恵の廻りかねる筋骨漢(おとこ)ウチのコじゃないわ」
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新八っつぁん固まってるよ。
辛辣。
土方までもが木で竹を括った言い草に失念した。