□1.闖入者
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 胸の前で両手をぎゅうと組み合わせ、千鶴は蒼ざめて、土に倒れた奇妙極まる身形(なり)の人間を見下ろしている。
 手を離れポコッと軽く鳴った瓶、中の液体は深い紅で千鶴が言った通り、山南さんが研究しているあの薬と同じ色だ。
一体、何処のモンだ?
 平助は腹を立てた風でイライラと刀を収める。
 倒れたフリでもしているのかと怖々脛の辺りをつま先で蹴ってみる。
「平助君、やめて。ほんとに気絶してるんだったらこのまま捕まえて調べた方が……私、松本先生にお願いしてくるから、」
 健康診断が済んだ後山南と話していたからまだ間に合うかもしれないと、千鶴は走っていく。
「…ったく、酔った新八っつぁんより始末に負えねぇぜ。」
 残された平助は布で出来たヘンな黒い笠と、握るとペコペコ凹む妙なギヤマン[ガラス]の瓶を拾い上げ、あらためて不審者の横顔に目を遣る。
 服装から毛唐かと思ったが、発音は妙ながらやはり言語は同じだった。
 顔立ちは……
なんかちょっと生気がねぇよーな……アノ薬呑んでるとこうなるのか……見たことねぇ種類の顔だな。
 
 汗で湿っぽい身柄をうんせと肩に担ぐと、初めての服地の感触が薄気味悪く伝わってくる。
 あんな薬を所持しているからには厄介な素性の者に決まっているが、拷問に遭うかもしれないと思えば多少なりとも平助の情け心をそそっていた。
ま、隊務だから。
しゃーねーな……

 
 
 平助が運んできた若い不審者に松本医師は眉を顰めた。
「これは……西洋の衣類だな。」
「この際そんなコトぁどっちでもいいですよ、薬に耐えらんなくなっても暴れねぇよーに早めに牢にでもブチ込まねーと、」
「それは近藤さんにでも訊いてみないとな。
 ああ、液体の方は山南さんに持って行って調べてもらってくれ。」
 平助が出て行くと千鶴に手伝わせて筵(むしろ)に寝かせる。
 頭部も身体も皆熱く、顔面蒼白だ。
「日射病を起こしているが、千鶴君、助けたいかね。」
「え?」
「侵入者なのだから、ここで永らえたってどの道処分されてしまうかもしれない。
 正気を失って暴れ始めれば尚更、ここの人間は生かしてはおかないだろう。どうする?」
 千鶴は迷う。
 山南の症状からも分かっていた。
 薬に負けて苦しむ姿は目も当てられない。
 この陽に焼けた髪が真っ白になり、血の色の眼をして刀を噛み砕いたりしたら……。
 ここの誰かに心臓を刺し貫かれて絶命するのだ。
 けれどどうも、この身体は肥えてこそないが脂肪質で小太刀も…いや、竹刀だってロクに振れそうには見受けられない。
「助けてください、処分されるってまだ決まった訳じゃないですし…」
「なら、水と塩を持って来なさい。」

 
 

 報せを受けた幹部達が松本の去った部屋に集まった。
 不審者は水と塩で息を吹き返し寝巻
――先達て不逞浪士から後ろ傷を喰らって切腹させられた平隊士の遺品だ――
 に着変えさせられてまだ筵の上でぐったりしていた。
 反抗する者を捉えたという訳でもないので、忙しい近藤には報せず、土方以下幹部が招集されていた。

 「これか、庭でアノ薬ガブ呑みしてた不審人物ってのは。」
 不衛生と不摂生が祟り、松本医師によってこの日隊士の三分の一が梅毒など各種の病だと診断された。
 風呂の設置以外今後どう対策を打ったものかと土方は苦り切っていた。
 そこに転がり込んだ厄介事だった。

 「女性です。松本先生のお話に拠ると、着ていた物は西洋の男用だそうです。
 推定十五歳で日射病だという事でした。」
 着物より随分身体の形に近い線に仕立てられている妙な服地を目の高さでグイと伸ばしたり縮めたりしながら土方は胡散臭そうにフーッと息を吐く。
「もー、メンド臭いなー、斬っちゃいましょーよ。
 どう贔屓目(ひいきめ)に見ても怪しーでしょ」
 沖田は冷ややかに、面白そうに笑う。
「ま、妖しーっつーか、おかしーって方が合ってるけどな。
 刀の刃を指でつーっとなぞって、勝手に倒れたんだぜ。」
 平助はまだ驚き冷めやらなかったが、胸に裏返しに引っ掛かっていたものがふと面を向いたような具合だった。
この女何っ処かで見てる……。
何処で会った…?

 「そいつぁやっぱりおかしいっ、頭のイカれた女はさっさと町会所にでも引き渡して」
と言う永倉に斎藤がプツリと答える。
「新撰組(うち)の手に負えぬものを町会が引き取る筈がなかろう。」
「オレ…こいつ見たコトあるかも……」
 そこに居た者の視線は平助に集まる。
 千鶴も戸惑った様子で頷く。
「…平助くんも?私もそう思ってた。」
 実はオレもと永倉が白状し、思い出せないと斎藤が呟く。
「ってことはぁ、島原(サト)の芸者で長州の諜報員でもしてたのが、頭がおかしくなって追い出されたとか?身受けのハナシが潰れたんじゃないの?
 僕もなんだか見覚えがあるよーな気がしてしょーがないんだ。土方さんはどーなの?」
 沖田が土方をチラと見る。
「……何処の揚屋だったかオレも、思い出せねぇでいるんだが…
 こっちも忙しいんでな、気がつくまで待つなんて悠長な事ぁ言っちゃいらンねーんだっ、
 オイッ、起きろ!」
「土方さん…っっ」
 千鶴が止めるのも聞かず土方は不審者の頬をペチペチはたく。
う………、
 眉根を少し寄せて不審者が頭を動かした。


2.どーやらそーゆーコトらしい

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