【斉木楠雄のΨ難 1】

□【しあわせになるために】
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Ψ【しあわせなるために】
〜月だけが見ていた 幕間〜







隣の家に住む女の子。名前は楠雄が自我を認識した時にはもうすぐ傍らにいたし、もっと端的に言えば彼らは互いが生まれる前からずっと近くにいていつも一緒に育ってきた。

それはまるで、本当のキョーダイのように。

だからそんな二人が一緒にいることは無条件に当たり前で、その関係がいつか変わる日が来るなんてことは小さい頃には微塵も思っていなかった。

『同性同士なら私たちのような大親友で、男の子と女の子ならやっぱり私たちみたいなカップルになってくれたらいいわね〜』

それはかつて、互いの母親が冗談混じりに語り合っていた未来。

結果として男女の子供が生まれたことにより、単刀直入に言えば母親たちは後者を夢見ることになるのだが、まだ赤ん坊だった楠雄が母親同士がそのような趣旨の会話を交わしているのを初めて耳にした時、彼は隣でようやくすやすやと眠り始めた同じく赤ん坊の名前を見て、前者はともかく後者なんて到底ありえないと思ったものだった。

何せコイツときたら寝起きの時は何が気に入らないのか怪獣のごとく泣き叫ぶし、普段なんて楠雄の父の意味不明な変顔にきゃっきゃと手を叩いて笑っていた。

こんな笑いのツボすら理解不能な未知の生物を異性として意識するなんて、絶対に自分には無理だと。

彼はそう思っていた。

なのに。

『───くーちゃんっ!』

名前を、呼んで。

超能力者だという最大の秘密を知っていてなお、ずっと彼女は変わらない笑顔でそばに駆け寄って来てくれた。

うんざりしながらも気が付けばいつのまにか、彼女がそばにいるのは当たり前になってしまっていた。

"幼なじみ"。

言葉にすればそのたったひと言で表現出来るのに、そのたったひと言の言葉には、楠雄にとってたくさんの複雑な感情がこめられていた。

かけがえのない唯一の存在。

それは彼女が自分に向けてくるような単純な好意ではなく、もっと特別な。

そう、異性として。

けれども親同士の思惑にあっさりと嵌まるのも癪ではあったし、さらには自分自身の力と感情のコントロールに戸惑っていた楠雄にとっては、それはそう簡単には認めたりなんか出来やしない気持ちだった。

心の声だって駄々洩れなのに。

骨まで透けて見えるのに。

何より僕がこんな力を持っていることを知っている名前が僕を異性として好きになってくれるはずがないし、それ以前に男として意識すらしてくれるはずもないだろう。

[だから僕には誰かを相手に一対一で恋愛なんて出来るはずがない]

楠雄は自分の気持ちを認めるまで、超能力のことを知っていても気味悪がることも恐れることもなく無邪気に笑いかけてくる名前を見る度、何度そう自分に言い聞かせたか知れなかった。

思えばもうこの頃から、とっくに手遅れだったのに。

名前には笑っていて欲しい。ずっと。

そしてどうやったら彼女を守ってやれるのか。毎日のように考えた。

傷つけたりなんかしないように。

自分の持っているものの全部(すべて)を使ってでも守ってやりたい。

超能力よりもコントロールの難しいその想いは、日に日に増大していくばかりだった。

超能力者である限り、いつかは手放さなければいけない存在。

自分のものにはならない。それでも変わらず能天気に笑って、しあわせでいてくれればいいと。

そう言い聞かせて。

でもそんなのは無理だった。

いつか離れなければと。それがお互いの為なのだからと理由付けをして、でも今日は止めよう、明日にしようと決断を先延ばしにした結果は、ただ募る想いの積み重ねにしかならなかった。

"他の誰かのものでもいいからしあわせに" なんて、聖人ぶってカッコつけて嘘ぶいた。彼女が自分以外の誰かのものになったことを考えるだけで全身の血は沸騰して、力のコントロールを失ってしまいそうになるのに。

けれど。

それでもかつて実際にその現実を目の当たりにした時、楠雄の気持ちは自らの想像に反して凪いだ湖面のように穏やかだった。

でもそれはただ、彼の世界が真っ暗になっただけのことで。

名前がいなければ、楠雄の世界は途端に色を失う。失う覚悟もつかないままなんともない振りばかりがうまくなっていく日々のなか、心の真ん中に出来た穴は塞がるどころが広がっていくばかりだった。

ただ、それでも。

彼氏が出来たと名前が報告してきたその瞬間不思議と楠雄の力が暴走しなかったのは、大切な彼女が心からしあわせそうに笑っていたから。

例え向けられたその笑顔を引き出したのが、自分ではなかったとしても。彼女は本当にしあわせそうだったから。

そして唯一好きになった少女が好きになった少年は、悔しいけれど嫌いじゃない程度にはいいヤツだった。

やがて彼らの幼い恋がやむなく終わりを迎えてしまった時、安堵よりも先に落胆と喪失感を覚えるくらいには、本当に彼はいいヤツだった。

超能力者として生まれて、生きてきて。

そんな自分の人生において、こんなにも失いたくないと思うものが出来るなんて思ってもいなかった。

───だって、ただ愛しい。

こんな感情は名前にしか抱かない。

例えこれから先どれくらい生きて、どんな出会いがあったとしても。絶対に。

"自分のものにはならなくてもいいから。しあわせで、笑っていて。"

いまにして思えば、かつての自分が抱いていたその願いには、いつも仕方がないというあきらめが自己防衛のように先についてまわっていた。

そしてそれとは別に日々どうしようもなく募っていった想いは、いつのまにか僕をこんなにも欲深い人間にしてしまったようだ。幼かった日々のあれこれを思い出し、楠雄は自嘲する。

[ "しあわせになって欲しい" じゃない。"しあわせにしたい" んだ]

母さんや・・・まあ一応父さん。それに祖父母や変態ドSMな兄貴。

家族以外にも、不幸よりはしあわせになって欲しい人たちなら他にもいる。

けれどこれは他力本願じゃない。

他の誰でもない、僕自身のこの手で叶えたい願いだ。


[・・・やっぱりここにいたか]

人気(ひとけ)のすっかり引いた夕暮れの公園に辿り着いた楠雄は、透視によって遊具の中に座り込んでいる名前の姿を確認すると、無表情ながらに安堵の念を抱いた。

そこは幼い頃から、何かあると名前がよく姿を隠してはひとりで悩んだり泣いていたりしていた場所。

けれどこんな風にここに彼女が身を寄せた時、彼女を迎えに来るのはほとんどが楠雄以外の人間だった。

なぜならめったに塞ぎ込むことなどない名前がこの場所に隠れることになった原因の大半を占めていた楠雄は、千里眼や透明化で黙ってその様子を見ていただけだった。

いつだって本当は心配でたまらなかったくせに、いまよりも彼女への想いをもて余していた彼は、素直になることが出来なかったのだ。

しかし今日は、きっとまたここにいるだろうと迎えに出ようとした彼女の母親を制して、彼自らが志願してこの場所へとやって来た。

[・・・・・・・・・]

楠雄は緊張した面持ちで自らの手のひらを見つめたあと、決心したようにそれをギュッと握りしめて、名前のもとへと向かう一歩を踏み出す。

"努力を惜しみ、勇気を引っ込めるような者に恋愛の女神は微笑んでなどくれない。"

いつか母の心から聴こえたその "声" は、固くなった背中をそっと後押ししたような気がした。







ψ【初恋のΨ難】
『しあわせになるために』







2015.10.04
2017.05.13 加筆修正

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