【斉木楠雄のΨ難 1】
□【月だけが見ていた】
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Ψ【月だけが見ていた】
「・・・どうしよう、」
ポツリ。すっかり日が暮れてひとの気配が減ってしまったとある公園の片隅で、途方に暮れた名前のつぶやきは照らす月明かりに儚く溶けて消えていく。
昼間空港まで出迎えに行った母と地元の最寄り駅で一度別れた彼女の足は、自然とこの場所へと向かっていた。
幼い頃よりも身体が成長したいまは、少しだけ窮屈なサイズに感じられるようになった遊具。しかしアスレチックの一部でトンネルのような形になっているそこは、昔から何か考え事をしようとする時に名前が駆け込む場所だった。
潜り込んでしまえば通りすがる人の目にもつきにくくて、ゆっくりとぐちゃぐちゃな自分を整理出来る場所。
大抵のひとはそれが自分の部屋なんかで簡単に済ませられるのに、だけど名前にとってはそうもいかない。
なにせ彼女の家のお隣に住んでいるのは、200メートル以内にいる人間や動物の心の声が "聴こえてしまう" 超能力者の幼なじみだから。
筒抜けになるものはしょうがないし、楠雄だって聴きたくて "聴いて" いる訳ではない。
それでもテレパシーについては透視と同様に、能力そのものをそう理解して割り切ってしまえばすんなりと受け入れられた。
あるものをないことにしろと言われたって自分なら出来ない。白は黒に見えないし、黒は白に見えない。
自分に出来ないことを他者に強いることは傲慢だし、それが楠雄にとってのありのままの状態ならば受け入れたいと名前は思うのだ。
そしてまず何よりも。
楠雄がそれらの能力を悪用して悪さをするなどとは、名前ははじめから微塵も思っていない。
幼い頃ならただ無邪気に受け入れられたことも、互いが成長するにつれ嫌悪や拒絶へと変化をしていってもおかしくはなかったのに。
しかし名前にとって楠雄はすでに、それくらいのつよい信頼を寄せられる存在になっていた。
生まれ持つ力のせいで、彼はきっと普通なら味わわなくてすむような経験をして、たくさんたくさん傷ついたり辛い思いをしてきたはずだ。
生来の気質なのか、はたまたその過酷すぎる経験の反動なのか。楠雄は物心つく頃にはもう人前では無口で無愛想な少年になってしまっていた。
『俺 斉木誘うの嫌だな〜。アイツ全然喋らねーからつまんねーもん』
『でも斉木くん来ないと名前ちゃん来ないって言ってたよ〜?』
『げっ、またかよソレ〜!なんで名字あんなヤツと仲良くしてっかなーっ』
『あー名前ちゃんて斉木くんと家が隣だからね。やっぱ気を遣ってるんじゃない?』
まだ互いにいまよりもずっと幼かった頃。自分の知る幼なじみと周囲の彼に対する辛辣な評価とのギャップがあまりにもあり過ぎて、仕方がないことだとわかっていても悔しくなることが多かった。
"全然平気だ" って、そのたびに楠雄は言っていたけど。
"なんでおまえが泣くんだよ" って不機嫌だったけど。
だけど私は、たまらなく悔しかった。
楠雄の優しさも、キレのある鋭いツッコミも。辛さも苦しみも。
何にも知らないくせに。
ひたすら好き勝手なことを言われて私は悔しかった。
───悔しかったんだよ。
『くーちゃん!・・・あのねっ、ナマエはくーちゃんの味方だからっ!』
だからある日。そう言って指切りしようと名前が小指を差し出すと、眉間に盛大なシワを寄せながら渋々とそれに応じた楠雄の仏頂面が思い出されて。するとその記憶に付随して、名前のなかで楠雄と過ごしてきた日々の思い出が甦る。
『ナマエは絶対なにがあっても!ずぅーっとずぅ───っと!くーちゃんの味方だからね!』
空に浮かぶシャボン玉、キラキラの。
夜空の真上から見る花火は、宝石箱をひっくり返したみたいに綺麗だった。
彼は、私にこの世界の美しさを教えてくれたひと。
だから幼いながらも思った。心から。
いつだって世界は自分を裏切り欺き続けるのだと嘆く彼を、私は絶対に何があっても裏切らない。嘘をつかない。
嫌だって、ムカついたって、ふざけんなって思ったらそれも伝える。
大好きだってことも、ちゃんと伝え続けるから。
無愛想でもぶっきらぼうでも超能力者でも。
そういうの全部ひっくるめて大切な幼なじみのくーちゃんだから。どこの誰に何を言われても、私は自分の信じる楠雄を信じる。
くーちゃんが変わらずにずっと優しいまんまのくーちゃんなら、私も絶対変わらないよ。
─── "絶対" 。
そう思っていた。何の疑いもなく。
それは幼いがゆえの、純真と傲慢さで。
「はあ・・・、」
とはいえ。楠雄をして単純短絡思考と言わしめる名前だったが、それはやはり彼女なりに様々なことを経験し考えて悩んできた結果に辿り着いた境地だった。
そんな紆余曲折の末に辿り着いた境地ですら、しかし今回ばかりはしょうがないとは到底言えないし思えない。
だから名前は悩んでいた。悩んで悩んで、その結果いつもなら "なんとかなるなる" という境地に達することが出来るはずなのに。
なのに出来ない。
あるものをないことには出来やしない。
黒は黒にしか見えないし、
白は白にしか見えない。
そう考える自分の考えが正しいと思うなら、それはもう受け入れるしかないのに。
(・・・そんな、いまさらどんな顔すればいいの?)
いざ現実に他の誰かに獲られそうになって、初めて気が付いた、なんて。
バカ過ぎる。
そんな愚かで醜い気持ちを知られたら、きっともう戻れない。
だってとっくに知られてるのに。
心なんか綺麗でも清純でもない。
天女でも女神でもない。
そんなのとっくにまるごと全部お見通しで。
なのに、いまさら。
いまさら こんなの。 絶対困らせるだけなのに。
「・・・苦しい、」
ああ、いつか。
いつか くーちゃんの側にはいられなくなる日が来るのかな。
そんなことはあの瞬間まで考えたこともなかったことで。
ああ、でも。本当はずっと、ちゃんと考えなくちゃダメなことだった。
当たり前なんてないってわかっていたのに。どうしてそんなことも忘れてしまうんだろう。
くーちゃんが私じゃない子と歩いていくのを、"声" の届かないくらい遠くから眺めるしかない日が来ちゃうのかな。
───そんなの、やだよ。
ずっとずっと、側にいたいよ。
「・・・苦しいよ、」
「なんだ、カニでも食い過ぎたのか」
「 ! 」
「やっぱりここにいたな。てゆーか携帯の電源切るなよ。連絡つかないだろ」
「※$〇∞★*§¥〜〜!?!?!」
トンネル型の遊具の天井にはポッカリと穴があいていて、外部のアスレチックに移動可能なハシゴが設置されている。その穴から煌々と差し込んでいるのはまん丸の月明かりだった。
どうしようもないぐちゃぐちゃで真っ黒な気持ちを持てあまし、そんな自分とは悲しいくらい正反対に輝く月を名前が見上げた時。
真横にあるトンネルの出入口から届いたその聴き覚えのあり過ぎる声に、彼女の心臓は口から飛び出すのではないかというくらいに跳ね上がった。
ψ【初恋のΨ難】
『月だけが見ていた』
2015.06.28
2017.05.13