【斉木楠雄のΨ難 1】
□【天使の福音】
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Ψ【天使の福音】
これはいまだから語れる話。
実を言うと、僕は生まれたばかりの頃名前のことがたまらなく嫌いだった。
・・・いや。正確には、彼女の存在そのものが煩わしくて仕方がなかった。
なぜなら名前はその当時の僕にとって、一番身近にいた "究極に理解し難い謎の生き物" だったからだ。
僕は生後14日で言葉を発し (声は出していなかったが)、更には生後1ヶ月で (空中を) 歩くことが出来たのだが、
そんな僕の兄・空助もまた、生後1ヶ月で日常会話を流暢に話せるようになったことは、みんなももう知っていることだと思う。
[ママとおばちゃん・・・なまえちゃんのおむつビショビショだよ・・・]
そして生後14日の僕が生まれて初めて喋ったと言うテレパシーはそれで、
「う"〜〜うっ、」
[・・・ママ、おばちゃん。なまえちゃんがオムツ換えて欲しいって]
「だぁーだっ」
[・・・・・・ママ、おばちゃん。なまえちゃんがお腹すいたって]
赤ん坊の名前が発するそれらの まだ言葉にならない訴えかけに一番早く気付かされる羽目になったのは、いつも彼女の隣に寝かされていた僕だった。
そう。生まれてから割とすぐに何でもこなせるようになっていった僕ら兄弟と違って、僕よりも少しだけ早く生まれたはずの名前は何ともゆったりとしたスピードで成長をしていったのだ。
いまにして思えば、それが人間の赤ん坊としての普通なのだということは───充分に理解ができるのに。
けれども昼夜の見境なく発動する超能力…主にテレパシーや透視の能力に、当時の僕はすっかりと心身ともに疲弊し、消耗仕切ってしまっていたから。
「あだー」
[・・・・・・]
「あぶぅ〜」
[・・・・・・・・]
「きゃっきゃっ」
[・・・・・・・・・・・・]
"コイツはなんて平和なヤツなんだ。"
生後数ヶ月を経てもその程度の言語しか発せず、1年近くの月日が経過してようやく "まんま" だの "おんも" だのの拙い発声での意思表示が出来るようになった名前のことを、僕は正直言ってかなり面倒くさい存在だと感じていた。
何よりも。
両親同士の仲の良さからいって、この1歳になっても自分で自分の排泄物の処理も出来ず、一人で満足に喋ったり歩いたり食事することすらもままならない生き物は、これから先もずっとずっと長く、数年単位で僕の人生の近くに存在し関わりを持ち続けることになるのだろう。
予知能力を使わなくてもわかるその何とも厄介で面倒くさいばかりの未来は、心に余裕をなくして自分の力を持てあましていた当時の僕にはとにかくただひたすらに頭痛の種でしかなかった。
まず意思の疎通がはかれないと言う点において、僕にとっては虫も赤ん坊も皆等しく同類の忌み嫌うべき存在だった。
それでもそれらの大概は滅殺もしくは完全無視を決め込むことでやり過ごすことが出来ても、しかし名前だけは述べた通りの関係性もあってどう足掻いてもそういうわけにはいかなかった。
(だりーなあ、学校休みて〜)
(うわ、あの男キモッ)
(はあ〜アイツマジでぶっ殺して〜)
うるさい、
うるさい、
うるさい。
傍らにそんな厄介者のお荷物を抱え込んでいても、僕の頭のなかには四六時中ところ構わずに様々な "声" が土足でずかずかと入り込んで来た。
そうしてそんなこんなで1年近くもこんな世界を生き抜いてみれば、超能力がどうにも自分にのみ起こる現象であり降りかかっている災難なのだということも、僕自身認識せざるを得なかった。