【斉木楠雄のΨ難 1】
□【誰かも彼女に恋してる】
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彼女は、とてもつよい人だと思った。
Ψ【誰かも彼女に恋してる】
「───名字さん!」
水曜日。彼女のクラスの5時間目の授業が体育だということを、僕はもうずっと以前から知っていた。
なぜならば、僕のクラスは5時間目が理科なので昼休み中に理科室へと移動しなければならない。体育館へ向かう彼女と、その時にほぼ毎週のようにすれ違っていたからだ。
彼女の名前は、名字 名前ちゃん。
僕の学年では知らない人がいないくらいの人気者で、明るくてかわいい女の子だ。
「 ! はい!」
名字さんは僕にいきなり名前を呼ばれて驚いてはいたけれど、どんぐりのように大きな目を丸くしつつ律儀に返事をして立ち止まってくれた。
「なぁに?」
僕はこれまで、彼女と同じクラスにはなったことがない。
だから普段なら絶対に話しかけたりなんてしないのに、でも今日の僕がそんな大胆なことをしたのは、今日の彼女が珍しく友だちと一緒ではなくて、一人で歩いていたからというのが理由としては一番大きいかもしれなかった。
「あの、ちょっとこっち来て!」
どうしても彼女に伝えなければいけないと思ったことがあった僕は、キョロキョロと辺りを見回してクラスの見知った顔がないことを確認してから、それでも念の為に彼女を廊下の物陰へと誘った。
「えーと・・・1組のひと、だよね?楠雄と同じクラスの?」
「 ! ・・・う、うん、そうだよ」
1組のひと。さすがに名前までは覚えられていなかったけど、彼女のなかで自分のクラスと顔が一致していることに僕は多少の驚きを覚えた。
そして彼女が口にした "楠雄" というのは、僕と同じクラスの斉木くんの名前だった。
彼女と斉木くんは、家が隣同士の幼なじみらしい。
親同士もとても仲がよくて、二人は生まれた頃から一緒に育ってきたというのは僕らの学年では知らない人がいないというくらいに有名な話だ。
そして、今日僕が彼女に意を決して話しかけた理由も実を言えばそこにあったりする。
「あのさ、これなんだけど・・・」
もう一度よく考えてから、僕は "それ" を名字さんに見せる覚悟を決めてズボンのポケットに手を突っ込んだ。
そこから取り出したのは、1枚の紙切れ。
目の前に差し出されたシワの寄ったルーズリーフの切れ端を、彼女はきょとんとした表情で見つめていた。
そこに書かれている一文を目にするまで。
「これ・・・っ!」
「今日の1時間目に僕の・・・いや、"斉木くんのクラス" でまわっていた手紙だよ」
「何これ・・・」
"斉木くんの" という部分を強調して、僕は伝える。それはその紙片に書かれていることが、彼に関係することだったからだ。
【斉木と口きいたヤツはハブる】
そこには子供の・・・特に男子特有の乱雑な字で、そう書かれていた。
理由も何もなく、ただ一言それだけ。
そしてその癖のある文字には僕自身見覚えがあったし、それを書いたであろう人物のこともおおよそで見当はついている。でも僕は、いまは敢えてその人物の名前は口にはしなかった。
「やだな〜1組ってこんなくだらないことする男子がいるの?」
「えっ、あ、・・・うん。ごめん」
「 ? なんでキミがあやまるの?」
「いや・・・ホラ、同じクラスとしては、恥ずかしいから・・・」
「だよね!私だったらこんなヤツが同じクラスにいたらボコボコにしちゃうかも!」
目の前でわかりやすく怒り出す彼女を見て、僕は少しだけ呆気に取られた。
文字を見ただけで男子と特定するあたり、彼女はその可愛くてぽやんとしたイメージよりも全然鋭くて男勝りなのかもしれない。
というのも、名字さんと同じクラスになったことがない僕はたまに斉木くんを放課後に教室まで迎えに来る時の彼女の顔しか知らない。
それ以外でも移動教室でたまに見かけるくらいで、そんな時いつも彼女は友だちに囲まれて楽しそうに笑っていたから。
「まあくーちゃ・・楠雄ってばあんな感じだから、昔から結構 "敵" が多いんだよねえ」
「て、敵」
「そ〜 "敵"。ホントにしょうがないひとだよねえ」
メモとにらめっこをしながら、彼女は肩をすくめる。やれやれといったその表情は、こういうことには何だか慣れっこというような感じがした。深刻な事態とも受け止めてはあまりいなさそうだ。
そして確かに斉木くんという人は、少しだけ変わった人だと僕も思う。
それと言うのも、実を言えば僕は、彼が誰かと喋っているところをこれまでほとんど見たことがない。それはこの名字さんでも、例外ではなくて。
彼女が斉木くんに話しかけている時は、一方的に彼女が彼に話しかけていることが多いのだ。それで一体どうやってコミュニケーションをはかっているのかはわからないけど、彼らの間で意志疎通はしっかりと成り立っているようだった。
名字さんが話しかけて、斉木くんがチラリと彼女を見る。
すると時々、それで何かが伝わったのか伝わっていないのか。何が楽しいのかも嬉しいのかもわからないけど、名字さんはすごく楽しそうに笑う時があるんだ。
そんな二人を見た時は、まるで以心伝心って言葉がぴったりで。
羨ましいような、苦しいような。
そんな気持ちになる時が、ある。
そしてそれは、彼女に "くだらないことをする" と言われてしまった男子も、同じ気持ちなのかもしれなくて。