【斉木楠雄のΨ難 1】
□【斉木 空助のΨ難 @ 】
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───僕ら兄弟にとって、"彼女" の存在はずっと特別だった。
Ψ【斉木 空助のΨ難 @】
僕の名前は斉木 空助。
超能力者の弟がいること以外は、至って普通の凡人だ。
だけど周囲の人間たちは、皆こぞって僕のことを天才だと騒ぎもてはやす。
だが何度だって否定しよう。僕は決して天才などではない。
なぜなら僕の知る天才というのは、現在の科学も常識も定説も、そのすべてを一瞬にして無意味にしてしまう───そういう存在であるからだ。
そんな "本物" を前にして軽々しく自らを天才などと語れる程、僕の自意識は過剰に出来てはいなかった。
凡人は、天才には敵わない。
心の内ではそれを認めてはいても、しかしその事実をどうしても受け入れるわけにはいかない事情が僕にはあった。
そう。何よりも僕にとっての最大の不幸は、僕自身がこれまで世界で唯一本物の天才だと認めたその相手が、血を分けた実の弟であったということだ。
これは弟を持つ人にならわかるかもしれないけど、兄が弟に負けるなど、決してあってはならないことなんだ。
だから僕は必死に勉強した。運動もした。それ以外にも凡人である自らを高めるためにありとあらゆることにチャレンジし、そのすべての分野において第一線で活躍出来るだけの知識と技能を会得した。
だがそれでも僕は弟に───楠雄には、一度として勝てなかった。
兄としての意地もプライドも投げ捨てて、楠雄に煩わしく思われていることも承知で勝負を挑み続けたのに、僕はじゃんけんですら弟に勝つことが出来なかったんだ。
3歳までは向かうところ敵なしだった兄の人生に、以降ずっと土ばかりをつける超能力者の弟。
『───くーちゃん!』
だけど僕は知っている。
その生まれもった力のせいで人間に絶望し、人生を悟ったようなポーカーフェイスを気取るあの弟には、全幅の信頼を寄せる唯一といっても過言ではない少女がいることを。
その娘の名前は名字 名前ちゃん。
楠雄と同い年の彼女は僕らの両親とは大親友である名字夫妻の一人娘であり、僕と楠雄にとっては実のきょうだいのように育った幼なじみの女の子だ。
昔から "遠くの親戚より近くの他人" とはよく言ったものである。
祖父母にさえ隠すことにした楠雄の秘密を、両親は名字夫妻にだけは早々に打ち明けていた。そしてそれは他でもない当時まだ2歳だった僕のアドバイスだ。
遠い地に離れて暮らす祖父母と違い、すでに僕らと名字家はあまりにも深く関わり合っていたし、その関係はもはや家族同然かそれ以上のものになっていたから。
それでなくとも僕らの両親は、嘘や隠し事をするのには夫婦揃って完全に向いていない。よって彼らに秘密を隠し通すことは不可能だと判断した僕は、ならば逆に名字のおじさんたちにはすべてを打ち明けて理解を求め、協力者になってもらった方がお互いの家族のためになると言う結論を導き出したんだ。
『へ〜 空助もう喋れるんだって?すごいな〜』
『ホントすごいわねー!あ〜 何だかうちも子供欲しくなってきちゃったわ〜』
それに。僕が生後1ヶ月で日常会話を流暢に話すようになった時の名字のおじさんたちのこのユル過ぎる反応からして、楠雄の超能力のことを話したとしてもさして問題はないだろうと言うことはわかっていたから。
ちなみに前述の通り、楠雄に敗北を喫した3歳のあの "屈辱の日" から勉強や習い事に明け暮れていたので、僕は幼い頃からほとんど家にいるということがなかった。
さらには成長するにつれ僕が自宅に帰って来ていたのはほぼ楠雄に勝負事を挑む時だけで、そして敗北を重ねれば重ねる程に僕は自己鍛練に躍起になっていった。
そんな風にあわただしく過ごしているうちに月日は流れ14歳の時には高校を飛び級してイギリスに留学していたから、これまでずっと両家族の団欒に僕の姿が見られなかったのはそのせいでもある。
だからその辺に関しては、決してこのサイトの管理人が僕の存在や登場をまったく予期していなかったということではない。そう、決して。
ああ、だいぶ逸れてしまったので話を本題へ戻そう。
僕が名字家の人たちに楠雄の秘密を打ち明けることにしようかどうかを考えた時、一番気にかかっていたのは他でもない名前ちゃんのことだった。
生後たった14日や1ヶ月で会話を始めたりするような僕ら兄弟とは違って、彼女は "普通の子供" なのだ。
そして幼い子供というのはまっさらで純粋な分、時には至極残酷になる生き物でもある。赤ん坊の時ならいざ知らず少しずつ自我が芽生え始めていく過程で、"普通" である彼女が楠雄の超能力をどのように理解して受け止めていくのか。はたまた気味が悪いと罵って敬遠しまくるのか。それはいま思えば研究者としての性なのか、僕にとっては非常に興味深いことだった。
だけど。名前ちゃんはさすが "あの" 名字のおじさんたちの子供というだけあってか、この実験の結果は僕が思っていたようなものにはならなかった。
そうしてそれは彼女本人を観察するよりも、楠雄の様子を見ているだけですぐにわかることだった。
[ねえ、ママ。なんで神は人間という愚かで醜い生物を創ったの?]
かつてわずか2歳にしてこんな台詞を母に向かって口にしていた弟は、確かに人間に失望し世の中すべてを冷め切った目で見ていたはずなのに。
でも弟のそれは、名前ちゃんの成長と共に少しずつ違うものへと変化していったんだ。
『───くーちゃん!』
彼女に名前を呼ばれるたび、
危なっかしい足取りで、彼女が楠雄のいる方向へとまっすぐに駆けていくたび。
まるで細胞が新しく生まれ変わっていくみたいに、僕の弟は "僕の知らなかった弟" へと変化していった。
名前ちゃんはとにかく不思議な女の子だった。
赤ん坊の頃からずっと楠雄の超能力をまったく怖がることがなくて、それは成長したいまでも全然変わっていない。
『 ? ちょうのうりょく持ってたら、バケモノなの?』
『ふつうじゃなきゃバケモノなら、わたしはまわり中がバケモノだらけだよ〜』
『足のはやいコだって、おうたをじょうずにうたえるコだって、とび箱ピョンピョンとべるコだって、みんなみーんな "バケモノ" になっちゃうもん』
『自分にできないことをすいすいできるひとは、ナマエはすごいなあっておもうよ』
『わたしもがんばらなきゃなあって、おもうよ!』
弟に負け続ける日々。表面上は平静を装っていたって、あの頃の僕の心は楠雄に対する嫉妬や劣等感や嫌悪でいっぱいだった。
『超能力なんて普通じゃないよ、化物だ。名前ちゃんは楠雄みたいな化物と一緒にいて、怖くないの?』
だからそんな意地悪で荒んだ心のまました僕のその質問に、彼女はきょとんとした顔を一瞬だけしたかと思ったらすぐにあっけらかんとした笑顔で答えてきて。
僕はそれで、楠雄が益々羨ましくて妬ましくて仕方がなくなったんだ。
特になんの努力をしなくても、あっさりと僕に勝利し続ける超能力者の楠雄。
そうやって最初から何もかもを手に入れていてなお、最愛の少女まで側に置いて。
それなのに自分はさも何も持っていないかのような冷めた態度でポーカーフェイスを気取り、当たり前のように兄に勝ち続けるあの弟が───僕は憎らしくて憎らしくてたまらなかった。
そう。兄が弟に負けるなどあってはならない。あってはならないことなんだ。
だから僕は、兄である僕に当たり前のように勝ち続ける楠雄が憎らしくてたまらない。
たまらないのに。
だけどその感情と隣合わせにあるのは、どうしても捨て切ることの出来ない家族としての愛情だった。
───ああ。
もしも楠雄が弟じゃなければ。
弟じゃなければ、僕はこんなにも楠雄との勝負に執着することはなかっただろうに。
運命とは皮肉なものだと僕はつくづく思い知らされた。