【斉木楠雄のΨ難 1】

□【宙恋 / ソラコイ】
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「でもさ、まだ9時になったばっかだし。それに私一人でもちゃんと明るい道を通って帰ってるよ?」

[住宅街はもうこの時間になると人通りも結構少ないぞ]

「ここまで来たらあとはダッシュで駆け抜けてるから大丈夫っ!」

[おまえ50メートル何秒だっけ? ナマエ]

「うっ・・でっ、でも!くーちゃんテレビっ子なのに!それに今日は、毎週欠かさずに観てる2時間サスペンスの日だよっ?」

[今日のヤツはあらすじを読んだら、たいしておもしろくもなさそうだったからいいんだ]

「で、でもぉ、」

おどけるように言ってみせても簡単に言い返されてしまう。しかし名前は、楠雄の数少ない楽しみのひとつがテレビ鑑賞だということを知っていた。

とにかくその身に宿る超能力のせいで、人生において人よりも様々なものを奪われることの多いこの幼なじみの少年が興味を寄せる対象そのものがそう多くは存在しない。

なので、自分のせいで楠雄がそれを堪能出来ないとなると名前としてはそう呑気に構えてもいられないのが正直なところだ。

「あ・何ならくーちゃん瞬間移動で先に帰ってていいよっ?まだ時間的にも一人目の被害者が出たくらいだろうし、充分間に合うってばよっ!」

[あのな。それじゃあ迎えに来た意味がなくなるだろう。それにそんなことをしたら僕が母さんに殺される。一緒に帰らなきゃ意味がない]

「でも、」

焦って本末転倒・元の木阿弥なことを言い出す名前に、楠雄はやはり至極冷静に言い返す。なぜ端々でナルト口調なのかはいつも通りに黙殺して、まあそこで "瞬間移動で一緒に帰る" という発想には至らないあたりが、自分の父と違ってこの幼なじみはまだまだ純粋だと彼は思った。

[───名前、]

「え・・・、っ!?」

そして次の瞬間。前方の暗がりから不意に現れた人影にぶつかりそうになって、名前はビクリと身体をこわばらせた。

楠雄に腕を引かれて接触は免れたが、驚きで彼女の心臓は大きく跳ねる。

(ビッ、ビックリした〜っ)

楠雄に腕を引かれなければ、ひょっとしたらぶつかっていたかもしれない。

相手の姿は暗くてあまりよくは見えなかったが、家路を急ぐサラリーマンのようだった。鉢合わせになりかけた瞬間向こうも驚いたようで "すみません" と一言告げてはきたが、余程急いでいるのか足早にその場を去って行ってしまった。

「あ、ありがと くーちゃん!(あのさ、私いま結構大きな声で瞬間移動とか言っちゃったけど聞こえてなかったかな?)」

相手の姿がすっかり遠くに離れて行ったのを確認してから、名前はお礼を口にしつつも心配そうに楠雄を仰ぎ見る。

[大丈夫だ]

(ホントっ?よかった〜)

そこらへんのことは、きちんと楠雄も配慮済みだった。まあもし万が一でもそんな会話を聞かれたところで、それしきのことでは誰も超能力の存在なんて認めやしないだろう。

[・・・・・・・・・]

だからハッキリ言って、そんな些末なことはまったく問題ではない。

一見して普段通りの無表情を保っている楠雄にとっていま一番に大問題なのは、

とっさに腕を引いたその反動でごく至近距離になった名前の髪の毛から、シャンプーの甘い香りが彼の鼻腔をやわらかくくすぐったことだった。

[・・それより大丈夫か?ぶつからなかったよな?]

「うん 大丈夫!くーちゃんが引っ張ってくれたからぶつかってないよっ」

[母さんの言う通り迎えに来て正解だったな]

「あっ!いまくーちゃんまた私のことドンくさいとか思ったでしょっ!」

[ソンナコトハナイ]

「も〜っ」

急にカタコトになって答えると、名前はぷんぷんと怒り出す。そっぽを向いて歩き出した彼女に自分の動揺が伝わっていないことを確かめて、楠雄は内心で安堵した。


[・・・甘い、]

あまい、におい。

市販のシャンプーとか、そんな世間にはごくありふれて存在するものの香りが、なぜにいまこうも自分の胸をこんなにもしめつけるのか。

こんな。ただ名前から発せられたという事実だけで、それが楠雄にとってはこんなにもひどく甘い蜜のような誘惑に感じられてしまうのだ。

人間とは本当に欲深な生き物で。

いくら常人とかけ離れた超能力を持っていても、そこだけは皆と同じで自分もなんら大差がないことを楠雄はつよく思い知らされる。

ハッキリ言って昔は、名前がただ生きてさえいてくれればいいと思っていた。

彼女がこの地球上で生きて、ずっとずっと変わらないあの能天気な笑顔でいてくれれば。

そうすれば、例えいつか遠く離ればなれになったとしても───ただそれだけで、日々磨り減っていく自分の心は癒されるだろうと思っていたのに。

それなのに。

名前と過ごすこんな何気ない日常の瞬間が、最近ではひどく特別でいとおしいものに感じられてしまう。

生きて、しあわせで。

"僕の隣" で、いつまでも笑っていてほしいと。


「くーちゃん?」

[・・・・・・・・・]

不意に黙り込んでしまった幼なじみを、名前はきょとんとした顔つきで見つめる。

先程彼女が勢いあまってぶつけたおでこがもうきちんと治っていることに安堵しつつ、楠雄はそのまっすぐな瞳に答えを返した。

[・・・本当にもういいよ、別に。ちょうどコンビニにデザートを買い足しに行こうかと思っていたところだったしな。父さんに僕の分のコーヒーゼリーを食べられてしまったから]

「ええっ、またあっ?おじさんてば本当に懲りないひとだね・・・」

[フン。それなりの制裁はしっかりとさせてもらったけどな。軍資金もタンマリいただいてきた]

「もうそうなるってわかってるハズなのにねえ」

[あの人は学習能力のない生粋のダメ人間だからな、仕方がない]

「ん〜・・てゆーかさ、もしかしておじさんくーちゃんに構って欲しいのかもよ?」

[・・・・・・まあいい。 "あんなの" の話は放っておいて、コンビニ寄ってから帰るぞ]

「うんっ!」

確認どころか想像するのも嫌になるくらい気持ちの悪いことを言われ、うんざりしたような表情で肩を竦めると楠雄は名前と並んで彼女の歩幅に合わせて歩き出す。

ウルサイ世界。

いまこうして穏やかに過ごしている瞬間にも、外界からは絶えることなく聴こえてくる無数の "声" たち。

こんな世界を放棄せずに生きてこられたのも、

いま生きていられるのも。

そしてこれからもずっと、それでも生きていこうと思えるのも───大切な彼女と過ごす、このかけがえのない時間があるからだ。

[・・・・・・そういやさっきはツッコミ忘れたが、僕は "彼氏" じゃないぞ]

(へっ?・・・・・あ〜・・ "アレ"?ごめんやっぱり聞こえてたっ?なんかもういちいちいちいち否定するのもメンドクサイからテキトーにしちゃったっ)

コンビニの看板が見え始めた頃、楠雄は先程から気がかりにしていたことをようやく切り出す。

その彼氏云々の話は、名前が店内から出て来る前にバイト仲間たちと交わしたやり取りだった。もちろん超能力のおかげで一部始終見聞きしていた彼は、説明されなくたってその内容をもう知っている。

そして、"自分が知っていることを知っても"、やはりこちらの目を見てあっさりとそう答えて来る名前に、楠雄は思わず視線を逸らしてしまう。

[・・・テキトーにするな。困るのはおまえだろ]

( ? なんで?)

[なんでって・・・]

彼氏がいないのにいるなんて言ったら、バイト先での恋は期待出来なくなるぞ?

とか。あまりにもさらりと問い返されてしまうと、言いにくい答えというものはすぐに言葉になっては出てこないもので。

現にさっきいたバイト仲間の男たちのなかには、名前をからかいながらも内心ではがっくりとしていた者が少なからずいたことを楠雄はとっくに把握していた。

(毎回幼なじみですって言っても全然信じてもらえないし、だったら別にその方が変な詮索もされないからいいの。バイト仲間にも彼氏や彼女がいるコだって普通にいるしね)

[・・・・・・・・・]

「あっ、でもくーちゃんが嫌ならすぐにやめるよっ?」

[・・・別に・・・・・・・・嫌じゃないけどな、]

「ホントっ?じゃあそーいうことでいいんじゃあない?」

[そーいうものか?]

「そーいうものだよっ───あ!くーちゃん見て見て満月!」

[────・・]

話の腰をバッキリと折って名前が示した先の夜空を、楠雄は見上げた。

かかりがちな雲が途中でくっきりと晴れた間から覗くのは、まん丸の月明かり。

「くーちゃん月には行ったことある?」

[ないな。行こうと思えば行けるが]

「い〜な〜」

[行けるっていうか、小5までならたぶん()れたな]

「え?なに?」

[ナンデモナイヨ]


───"キミが望むのなら、月の石だって取って来てあげるよ。"

ここで父のようにそんなクサイ台詞のひとつでも言えたなら、この何とも宙ぶらりんな関係を一気に変えることが出来るのに。

何気ない日常のしあわせを噛み締める楠雄の心と足取りは、重くもあり軽くもありで複雑なものだった。










ψ【初恋のΨ難】
『宙 恋/ソラコイ』








2013.07.06
2017.05.10 加筆修正
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