【斉木楠雄のΨ難 1】

□【そして誰もいなくならなかった】
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「はひゅ〜〜〜っ」

楠雄の部屋に入るなり大きく肩で息をつくと、名前は床へと勢いよく倒れ込んだ。

「おばさんもようやく落ち着いてくれたよ〜っ」

[ご苦労だな]

自室でテレビを観つつも事の顛末はすべて "聴こえていた" 楠雄は、ぐったりと疲れ果てた様子の幼なじみに対してテレパシー越しにそう労いの言葉をかける。

しかし彼のその表情にも声にも、相変わらず一切の抑揚は見られない。それよりもむしろよくやるなと言いたげな呆れの混ざった眼差しを向けられたような気がして、名前はぐったりした体勢のままでピクリと頬や目尻をひきつらせるのだった。











Ψ【そしていなくならなかった】












(・・・そう思うんなら、楠雄くんも少しはフォローしてくれたらいいんじゃないかなあっ?)

[なんで僕があんな箸にも棒にもかからず犬も食わないような夫婦喧嘩の仲裁に入らなければならないんだ?]

(うあーうあーうあぁ〜 またそーいうカワイクナイことを言う〜)

「くーちゃんが間に入ってくれたら、チョチョイノチョイで解決する問題のような気がナマエはしてるんですケド!」

やはり気のせいなんかじゃなかった。眉ひとつ動かさないクールな態度で非協力的な言葉をさらりと浴びせてくる幼なじみの少年に対して、名前は嘆きつつも唇を尖らせてジタバタと悔しがる。

そしてその内心では "くーちゃんのバカたれ" だの "うんこったれ" だのとまあ散々な罵りようなのだが、当然ながらそれらはすべて楠雄本人にも筒抜けだった。

しかもそんな風に好き放題言いまくっている彼女の方もまた、それを百も承知でいることは言うまでもない。

[あれは二人の問題だ。他人の問題にむやみに力を使うべきじゃない]

「・・・他人って。自分の親のことでしょ」

[肉親だからこそだ。親とは言え毎回人のトラブルにいちいち首を突っ込んでいたら、体がいくつあっても足りなくなるからな]

(む──・・それはそうかもしれないけどさ〜・・・)

うんこたれか、上等じゃないか。いまさら好き放題に罵られたところでそんなのは慣れたことだ。楠雄はそれくらい意にも介さない。

一方で、無表情にしれっとと繰り出された正論に反論を返せず名前は眉根にシワを寄せて口ごもる。そうして幼なじみの少女の意見をピシリと一刀両断にしたところで、それまで楠雄が視聴していたドラマのエンディングがしっとりと流れ始めた。

テレビの電源が前触れなくフツリと消えたのは、彼が音もなく立ち上がったのと同時のことだった。

おかげで一見して静かになった室内。しかしテレパシーで必然的に半径200メートル以内にいる者たちの心の声が聴こえてしまう楠雄には、たかだかテレビ一台を消したところでその喧騒にさしたる変化をもたらすということはない。

(んあーそろそろ風呂にでも入っかなあ・・)

(明日5時起きとか最悪だし)

(スペシャライザー実写映画化?!六神通主演てマジかよ!)

曰くそれは休日のフードコート並みの騒がしさなのだが、16年以上もそんな環境で生きてきた楠雄にとってはそれももはや日常の一部でしかなかった。

[スペシャライザーの実写化・・・興味深いな]

それでもこんな具合に、時には自分にとっての思わぬ有益な情報をゲット出来たりすることもある。

とはいえ勿論大部分ではテレパシーを煩わしく思うことに変わりはないし、だからと言ってどうしようも出来ないのもまた事実だ。

現在進行形で思考の中を次々と行き交う様々な心の声たちは人間から動物に至るまで老若男女入り乱れ、それは楠雄が起きている限りほぼ途切れることはない。

[肝心なのはあきらめと慣れとスルースキルだ]

そんな悟りをひらいたような心境で楠雄は付けっぱなしのラジオのように流れる雑音たちをBGMにして、わずかに残っている宿題を早々に片付けてしまおうとシャーペンを手に取った。

(ううっ、ママ!ママごめんよ・・!)

[・・・・・・・・・]

その時だ。ぴったりとチューニングを合わせたように、一際大きな "声" が彼の頭の中に届いた。

実を言えば先程から周囲のノイズに混ざって聴こえてきているそれが、同じ屋根の下にいる父親のものだということを楠雄はとうに気が付いていた。

(ママ、嫌いなんて嘘だよ!)

(またカッとなって心にもないことを言っちゃったぁぁあぁ!!)

(名前ちゃんも楠雄の部屋に行ったみたいだし、じゃあママはもう寝ちゃったのかな・・・)


[やれやれ・・・そんなにウザいくらい後悔しているのなら、早いところ謝って仲直りでもなんでもすればいいのに]

最近では、夕食後の習慣のようになってきてしまっている父親の懺悔の声。

普段から聞き慣れている分それは嫌でも余計に耳に入ってきてしまい、楠雄は呆れて肩を竦めた。

そもそもの話。名前が冒頭からあんなにも疲労困憊していたのは、楠雄の両親が数日程前から繰り広げている夫婦喧嘩が原因だったりする。

そうそれは、一体何が原因だったのか。その始まりこそどうでもいいくらいにごく些細な言い争いだったのに───しかし、売り言葉に買い言葉。滅多に喧嘩などしない (というかここまでの喧嘩は初めてかもしれない) 脳内お花畑で幼稚な両親は、喧嘩の仕方もまるで子供のそれだった。

お互いがつい勢いで言ってしまったことをお互いがそのままと言うかそれ以上に真に受けてカッとなり、いまや顔を合わせるだけでくだらないいさかいが絶えなくなってしまっているのだ。

挙げ句喧嘩勃発から数日経った現在では寝室までもが別となり、もはや家庭内別居に近い状態になってしまっているのが現状だった。

[父さんが会社に行ってる間にベッドを運び出すなんて、母さんもなかなか根性あるな]

そしてつい先日はあのほわほわな外見に似合わずかなりパワフルな一面を披露した母だが、それでも父以外にはいたって普段通りの穏やかで優しい母のままだった。楠雄にも名前にも、いまのところはまだ直接的な実害がそうあるという訳ではない。

いやむしろ、普段はかなり調子こいている父が母にやり込められている姿なんてのは、端で見ていてもかなり痛快で清々しいものだったりする。

そんな訳もあって、余計に両親の喧嘩の仲裁に入ろうという気持ちが起きていない楠雄なのだった。

(はひゅ・・・帰ったら宿題やってお風呂入んないと・・や・・お風呂先にしちゃおうかなあ・・・でもそしたらお風呂出たら寝ちゃいそう・・)

[ここでは寝るなよ]

「だい・・・じょうぶぅ・・ZZz」

[うん。全然大丈夫じゃないな]

フローリングの床に上体を軟体動物のようにうなだらせて、名前はあふっと大きくあくびをした。今日はバイトが休みだったとはいえ平日なので明日も当然に学校がある。普段ならば夕食後の雑談も程々にして、とっくに自宅へと戻っているような時間だった。

[まずいぞ]

両親の喧嘩による実害は、やはりそろそろ少しずつだがこちら側にも及びかけてきている。

いまにも夢の世界へと落ちて行ってしまいそうな幼なじみの姿を見て、楠雄の頭をそんな嫌な予感がよぎった。

父親の困る姿は見ていて痛快だからというただそれだけのことが理由で、楠雄がここまでの傍観を決め込んでいるのだと名前に勘違いをされてしまうと、言い争いの後に両親の愚痴を聞く羽目になってきている彼女の不満は近いうちに大爆発を起こしてしまうだろう。

[38か・・・昨日よりもだいぶ上がって来てるな]

それだけはなんとしても避けたい楠雄は、好感度メーターのように名前に溜まったストレスを測定する。するとやはり彼女が現在抱えているストレスは、案の定少しずつだが数値が高くなってきていた。

普段がだいぶ能天気で、そんなものはほとんど溜め込まない幼なじみな分、これはちょっと放置出来ない数字である。

[やはりこのままでは名前に溜まったストレスは、いずれ僕にも降りかかって来ることになるな]

予知能力でなくてもそれくらいは楠雄にも普通に予想のつくことだった。

しかし、 だからと言ってあんな二人の喧嘩の仲裁に入るのは出来ることならば避けたい。避けたくてたまらない。

両親 (主に父親) の調子コイた顔を思い浮かべただけで、その想いは更により強固なものとなる。

[名前、ちょっといいか]

「へ・・・?」

そう思った楠雄はふと名案を思い立って、うつらうつらしていた名前へと "とある能力" を行使することにするのだった。
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