【斉木楠雄のΨ難 1】

□【近すぎて儘ならない】
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「お、おばさんっ?」

「なまえちゃん本当にかわいいっ!」

「???」

久留美のそんな突然の行動に、されるがままの名前は顔いっぱいにハテナマークを浮かべて目が点になる。

親代わりという欲目を差し引いても、名前は幼い頃から可愛らしい容姿と明るく社交的な性格で、同性の友人たちはもちろんのこと異性にも随分と人気のある女の子だった。

しかしこの子はとにかく色恋というものには興味が薄いのか、それはもうかなりの鈍感で。

いままで本人から直接その答えを聞いたことはないが、表には出さずとも自分の息子がこの幼なじみの少女に深い想いを抱いていることなど、母はとっくにお見通しだった。

更には "お見通しなことをお見通し" であろう楠雄自身にも、時折父親にからかわれてはウザそうにしているということはあっても、それをハッキリと否定されたことはない。

なので母はその沈黙を勝手に肯定と受け取って、この10年以上の歳月───息子の初恋を、ただ側で温かく見守ってきたのだ。

(二人が別々の高校に進学するって聞いた時は驚いちゃったけど・・・かえってそれがなまえちゃんの気持ちに変化をつけたってことなのかしら?)

自分の夢を叶えるという明確な理由があるとはいえ、名前が楠雄とは違う高校に進学すると聞いた時は、久留美は思わず我が子の進路の方を変更させようと企んだものだった。(どうせ楠雄の高校選びの最重要基準は、自宅から歩いて通える距離か否かなのだし)

けれど先程目の前で寂しげな表情をしていた名前を見たら、この災いはもしかしたら転じて福と成ったのかもしれないとさえ思えてきた。

『なまえちゃんはくーちゃんのこと好き?どう思ってる?』

自分の気持ちをなかなか表に出さない息子に代わって目の前にいる少女にいますぐにでもそう訊けたら。そうは思っても母はその衝動をグッと抑え込む。

なぜなら自分の知らない楠雄がいることを寂しいと口にした名前は、そう感じる自らの気持ちをまだあまり理解はしていないように見えた。

この段階で下手に外野が口を出せば、藪から蛇をつつき出してしまうかもしれない危険性は充分にある。うまくいくものもいかなくなる可能性は膨らむばかりだ。

(それになまえちゃんが自分の気持ちを自覚してるなら、それこそくーちゃんには筒抜けになっているハズだものねえ・・・)

どこで何をしているやら。誰よりも大切な少女に寂しい思いをさせているとも知らず、まだ帰宅して来る気配のない愛息の顔を思い浮かべて久留美はそう推測する。

"ずっと一緒だった二人" が、別々の高校に進学して既に一年以上。

それによる諸々の変化はあっても、それらが彼らの関係性にまで変化を及ぼすことはなかったのに。

"自分の知らない楠雄を知る燃堂や海藤たちがうらやましい。"

母親である自分と同様に、楠雄に友だちが出来て嬉しいと語ったその気持ちに偽りがないことは事実であろう反面、楽しさや嬉しさを共有出来ないことが寂しいのだと名前は言っていた。

久留美にはそう語っていた時の彼女の表情は、もう立派な恋する乙女に見えたのだ。

まあ、現段階の名前のその気持ちが恋心にせよ何にせよ。

とにかく彼女と楠雄の距離は、いままでが逆にずっと近すぎたのかもしれない。

ある時は姉や弟のように。

ある時は兄や妹のように。

文字通りに楠雄と心を "通わせて" 成長してきた名前には、これまでずっと楠雄の存在というのは近くに在って当たり前だったはずなのだ。

やはりその気持ちの正体が何なのかを、きちんと彼女自身が自分から認めない限りは二人の恋は何も始まりはしないだろう。

愛する一人息子の片恋を近くで見守ってきた母には、昔から楠雄がいかにこの少女との繋がりを大切に思っているのか───そして、『大切だと思っているが故に踏み出せずにいる一歩』というものがあるのだろうということも、とっくに理解していた。




「あっ!くーちゃん帰って来た!」

「 ! 」

それからしばらくして。玄関から届いた物音と気配に反応した名前の表情は、それまで曇っていたのが嘘のようにパァッと花が咲いたようになる。

久留美自身名前と過ごしてきた16年以上の歳月で、彼女がいい()だなんていうことはいまさら確かめる必要もないことだった。

『───ねえママ。何で神は人間という愚かで醜い生物を創ったの?』

他人の心の声が聴こえてしまうことで齢2歳にしてこんなことを口にしていた程に人間不信だった息子が、それでもなお側にいることを許し、望んだ少女。

俗に『初恋は実らない』なんていう言葉はあるものの・・・そんなものは、なんの根拠もない先人たちの負け惜しみだ。事が我が子のことに関するとそうキッパリと断言出来てしまう。

親バカだとは思うが、母として。

楠雄にも、そしてもちろん名前にも。しあわせになってほしいと願う気持ちなら、世界中の誰にも負けない自信が久留美にはある。

「くーちゃんおかえりーっ!」

勢いよく出迎えに向かった名前の元気な声が、玄関からリビングまで届いた。

「ひどい!私 犬じゃないよ〜っ」

「くーちゃんの帰りが遅いからおばさんと待ってたトコだったの!」

「今日はね、二人でコーヒーゼリー手作りしてみました!」

ふふっ。やがて玄関から聴こえてきたその弾む声に、久留美はほほえましさを覚えて笑みをこぼす。

楠雄はテレパシーで受け答えしている為に、彼の言っていることまでは久留美にはわからなかった。しかしリビングに入って来ると、珍しくやたらと自分にまとわりついてくる幼なじみの少女の行動を息子は、表面上は面倒くさそうにあしらっていて。

いま泣いたカラスがもう笑うではないが、先程まで自分が何を憂いていたのかなんてことは、名前はすっかりと忘れてしまっているに違いない。

そしてそんな彼女を見た楠雄は『犬みたいだな』と、そういつものポーカーフェイスで "言った" のだろう。

確かに御主人の帰りを待ち受けていた飼い犬のような名前の興奮ぶりに、それはまた何とも言い得て妙な表現だと久留美は感心する。

楠雄に必要なのは、あと一歩を踏み出す勇気。

でもそれはきっと、"どんな恋だって" 一緒だ。

努力を惜しみ、勇気を引っ込めるような者に恋愛の女神は微笑んでなどくれないのだから。

(くーちゃんの恋は前途多難なのね)

[ ! ]

名前のバイトが休みということもあって、個性的な同級生たちからの攻勢を何とかかわして急ぎ帰宅した楠雄を最後に待ち受けていたのは───母親からの、そんな何とも意味ありげなテレパシーなのだった。







ψ【初恋のΨ難】
『近すぎて儘ならない』









2013.06.05
2017.05.09 加筆修正
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