【斉木楠雄のΨ難 1】

□【 Ψドストーリー】
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P15【深海の部屋】の頃のお話です。




Ψ【神出鬼没タイラント・
ジョーカー】

















[朝っぱらから一体なんだ]

『いや、名前ちゃんに彼氏が出来ちゃって楠雄がものすごいショックを受けてるっていうメールがママから来たからさ〜』

[別に受けてない。むしろ受けてるのは父さんや母さんだ]

『ホントにぃ〜?』

[ウザイ]

テレビ電話にでかでかと映り込んだ実兄の顔は、楠雄の寝起きでことさら低いテンションとは真逆に相変わらず胡散臭いまでに爽やかなものだった。

起き抜け真面目に相手をするにはだいぶかなり厄介な人物と話題なので、楠雄は早々に回線を切断しようと決める。

[用がないなら切るぞ。ロンドン(そっち)は夜中かもしれないが、こっちは朝で忙しいんだ]

『まあ待ってよ。で?相手はどんな()なの?イケメンくん?』

[人の話を聞こうか]

大迷惑だとハッキリ顔に貼り付けて答えた楠雄に対し、ここが攻めどころとばかりに嬉々として(ひと)の傷口へ塩どころか毒薬でも塗りつけるように、空助は直球な質問の矢を放ってくる。

しかし、膿んだ傷口にしっかりグサリと刺さったその言葉の矢を、もはや痛みの感覚の麻痺した感情で楠雄はさらりと受け止めた。表向きは何てことのないように。

[・・・別に。小学校からの同級生で、普通にいいヤツだ]

"超能力者(ぼく)なんかと違って。"

すっかり(ひね)くれて曲がりまくってしまった自己評価をうっかり口にしてしまいそうになったが、そこはどうにか自分の心のなかだけにとどめる。

[母さんめ、よりによって一番厄介なヤツに速攻で連絡入れてくれたな]

とはいえ勘働きと洞察力だけは予言者並みにいい兄である。母が知らせずともいずれにせよ早い段階で "事" は露見していただろう。

超絶無駄な程に天才な兄を持った弟として、あきらめと共に楠雄は画面越しに空助と向かい合った。

『ふーん?そうなんだ?』

楠雄の答えを聞いた空助は、興味津々で訊いてきたのがまるで嘘のように無関心につぶやく。彼の興味はすでに名前の彼氏よりも実弟へと移ってしまっていた。

『それで?おまえはホントに大丈夫なの?』

[何がだ]

『いや。本当に冗談抜きでママが楠雄を心配してたからさ。息子(おまえ)がどんなに隠したって、母親ってのは敏感に感じ取っちゃうんだろうなあ』

[・・・・・・・・・]

しみじみと語る兄にやはりどうってことはないという素振りを見せても、普段ならば朝起きてすぐに聴こえてくるはずの母のご機嫌な鼻唄が今朝は聴こえてきていないことに、楠雄はとうに気が付いていた。

名前に彼氏が出来たことは、彼女のことを本気で楠雄のお嫁さんになると (当人たちを差し置いて) 信じ込んでいた父や母に相当な衝撃(ショック)を与えていたりする。

それでもこれまで重度に恋愛脳な父母のその思い込みを楠雄は否定も肯定もつよくはしてこなかったし、これからだってするつもりはなかった。

超能力者として生まれてしまった以上、人並みの恋愛などとうにあきらめている。

こんな気持ちは自分の胸のなかだけに閉じ込めておくべきだと思うから。


『あのさ楠雄。僕はずっと、おまえのことをすごいなあって思ってたんだよね』

[・・・は?]

相手が普通の人間なら何を考えているのかがわかるのに。

しかしいまはこの兄の思考が伝わってきたとしても、理解(わか)ることは出来ないかもしれない。

突拍子もなく世辞めいた言葉を放られて、楠雄は混乱した頭でますますそう思った。

『だっておまえ、こんな世界ずっと全然好きなんかじゃなかった癖に』

[ ! ]

『好きじゃないどころか、むしろ憎んでただろ?だからすごいなあって思ってた。全然好きじゃないのに、憎んでるのに。そして "世界(それ)" を簡単に壊すことの出来る力を持っている癖におまえは耐えて、耐えて、耐えていたから。おまえはそれくらい大切なんだよね。家族や───あの子のことが』

[────・・]


"全然好きじゃないのに。"

"憎んでるのに。"

" "世界(それ)" を簡単に壊す "力" を持っていてもなお、"

"おまえは耐えて、耐えて、耐えていたから。"

割れ鐘のように響いて繰り返す。

楠雄の内側(なか)で、いままさに兄に告げられたばかりの言葉たちが。

───なんで。

"おまえはそれくらい大切なんだよね。家族や───あの子のことが。"

そんなことを。

よりにもよってこんな(ヤツ)に。

こんな。

世界で一番厄介で大嫌いな(コイツ)に。

───でも。

確かに嫌いだった。言われたように憎んでいた。

こんな世界。

毎日毎日止まることなく呪いのように押し寄せてくる "声" の波。

見たくないもの、聞きたくないもの、知りたくなんてないもので楠雄の世界は溢れていた。

真っ暗で、ただ生き苦しくて。

壊してしまおうと何度も思った。

だけど。

『───くーちゃんっ!』

それでもそんな瞬間(とき)に限って聴こえてくるあの声に。

『───くーちゃんだいすきっ!』

あの笑顔に。

救われてきた。ずっと。

なのに。

『くーちゃん!ねえくーちゃん聞いて!』

『あのね!私!』

『───私、彼氏が出来たの!』

この言葉を聴かされた瞬間。

あの太陽のような、花ような笑顔を。

自分をこれまでずっと生かし続けてくれた彼女の存在を。

これから先の未来永劫、呪いのように感じて生きていかなければならないのだと。

僕はそう思い込んでしまった。

"おまえはそれくらい大切なんだよね。家族や───あの子のことが。"

そう大切。大切に。

大切にし続けてきた。

こんな超能力者(じぶん)は離れなければと思って、でも出来なかった。

出来なかったんだ。

[・・・ああ、いいのか。別に]

彼氏が出来たと名前に告げられてから、これまでずっと胸につかえていた何か。それが、兄の言葉を聞いてすとんとすべり落ちていく感覚を楠雄は覚える。

覚悟はしたつもりでも、いざそれを目の前の現実として突き付けられたら覚悟なんて全然出来ていなかったことをただ思い知らされて、焦ってしまった。

もう離れなければ。急いで忘れなければと。

けれど。

名前が誰を好きでも。

誰かのものになっても。

僕は別に、このままでいていいのか。

あの存在を変わらず大切に想っていても、別に。

いま確かに、(つら)くて、苦しくて、悔しくても。

だからって、"あの日々" までもがすべて失くなってしまうわけじゃない。

名前が誰かのものになるのは悲しい。

だけど名前は笑っていた。心からの笑顔で。

不幸でいるより、ずっといい。

そう思うこともまた事実で、

そう思える自分を "嫌いじゃない" と思えるなら。









それが、兄がどんな真意を以て告げた言葉だったのかは楠雄(おとうと)にはわからなかった。

画面の向こうで黙り込んでしまった弟に対して、空助もそれ以上その件に関して突っ込んだ発言をすることはなかったから。

しかし。

「ねえ以前(まえ)から訊きたかったんだけどさ。楠雄は名前ちゃんの一体どんなところを好きになったの?」

ワザと場の空気を読まずに嬉々としてぶち壊すのが趣味の兄は、突っ込んだ発言どころかさらなる別の大きな爆弾を放り込んで来た。

ちょっとだけ、本当に本当にほんっっっのちょっとだけ兄を見直しかけていたのも束の間。

もんのすごく余計なお世話だと言わんばかりに、楠雄は鏡の前で練習したという迷惑顔を躊躇なく再び空助に向けた。


『やだな〜実のお兄ちゃんに向かってそんな顔しないでよ。僕はこれでも本気で心配してるんだよ?』

[・・・・・・・・・]

『だってただでさえ名前ちゃんは超がつくくらいに鈍感なコだしね。自分がおまえにどれだけ大切にされているのかなんてこと、あのコはまったく考えも及んでいないよね』

通常他人にはほぼ無関心だが、名前に対しては昔から不思議なほど無条件に甘くなるはずのこの兄にしては珍しく、それはまるで彼女のことを非難するような口振りで。

面と向かってならばともかく、画面越しではテレパシーは機能しない。ゆえにこの激しく胡散臭い笑顔の裏に隠された兄の本心など、推しはかることはやはり困難だった。

『あのさ楠雄。自分を安全圏に置いてばかりで手に入る大切なものなんて、きっとないって僕は思うんだよ』

[ ! ・・・なんだそれは]

『ん?弟想いなお兄チャンの素敵で的確なアドバイスだよ?』

[・・・僕は別に、]

『あ、僕そろそろ研究所(ラボ)に戻らないといけない時間だ。実験が立て込んでて今夜は徹夜になりそうなんだよね。忙しいからもう切るね』

[おい、]

『じゃあ頑張って楠雄。お兄ちゃんはおまえを応援してるからね。ま、中学生の恋愛なんて十中八九ダメになるに決まってるからさ♪』

[あっさりひどいこと言うな]

『じゃあね〜☆』

───ブツッ!

意味深な言葉を残すだけ残して、そんな音が本当に聞こえてきそうなくらいあっさりと回線は遮断された。

[・・・朝からなんだったんだ、本当に]

すでに何も映さなくなったパソコンの画面を見て、楠雄は呆気に取られたようにポツリとつぶやく。

嘘か本心かはともかくとしても、"応援している" なんて初めて言われた。

そういえば、いつも一方的かつ意味不明な闘争心で吹っ掛けられる勝負を抜きにして兄とふたりきりで会話をしたのは、これが初めてのことではないだろうか。相変わらずの飄々としてイラッとさせる喋り方のせいで気付くのが遅れたが、兄に勝負を挑まれなかったことを楠雄は意外に思った。

[・・・・・・・・・・・]

しかし、一見して誰から見ても変わらない、いつもの低いテンションを保ったままでやり過ごそうと決意していたはずの今日という一日。

それでも先程までとは明らかに違う突然一点に射した光明を、兄のおかげだなんてことだけはそう簡単には認めたくない楠雄だった。








おわり







2016.10.26
2017.05.13 加筆修正
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