【斉木楠雄のΨ難 1】
□【広がる世界を望み怖れたのは僕の方】
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"───キミがいればいい。"
そう僕の世界は、ただそれだけでもう充分に満たされていたはずなのに。
Ψ【広がる世界を望み怖れたのは僕の方】
"明日は待ちに待った体育祭!"
"スポーツで汗を流しみんなで団結力を深めつつ、輝く青春を謳歌出来る素晴らしい秋の行事───・・
それが体育祭!!"
[・・・とか何とか今頃考えているのは、どうせ灰呂とその仲間たちだろうが、]
───冗談じゃない。
楠雄はいつにもまして憂鬱な面持ちで、今日学校から帰宅して何度目になるのかわからないため息を大きくついた。
そんな彼が視線を注ぐのは、リビングの壁に掛かっているカレンダー。明日の日付をぐるりと大きく囲んでいる丸印は楠雄の髪と同じピンク色で、"それ" は先日彼の母が嬉々として書き込んだものである。
そしてその日付の下には、これまたあの母親特有の可愛らしい丸文字で "くーちゃん運動会♪" などと陽気に記されていた。
「くーちゃんもういいかげんあきらめなさいってば。そんな何百回カレンダー見たって、PK学園の体育祭はもう明日だよ?」
[・・・・・・・・・]
背後からかけられたその半ば呆れたような声に、楠雄は無言で振り返る。
すると振り返った視線の先にいるのは、見慣れたエプロン姿で夕食後の片付けの仕上げにテーブルを拭いている名前だった。
そして、楠雄と姉弟同然に育った彼女は誰よりも彼のことをよく知っている。
だから超能力者じゃなくたって、学校から帰って来てこっち楠雄が憂鬱そうにしていることとその理由も、彼女はもちろん最初からすべてお見通しだ。
なので、自分のかけた言葉に対し予想通りに憮然とした表情を見せる楠雄には構わず名前は先を続ける。
「それにおばさんたちが揃ってあの様子じゃ、休むのなんて到底ムリだよ」
[・・・・・・・・・]
いまどきの女子高生にしてはやたらと慣れた手つきでテーブルを拭き終えると、ダメ押しをするように名前は肩を竦めた。
彼女にそう言われてやはり無言を返す楠雄の脳裏には、先程バタバタと明日の体育祭応援に必要なものを買い足しすると言って二人揃って出かけて行った、自らの両親の顔が思い浮かぶのだった。
『ダメよ!ちゃんと行かなきゃ!』
『そうだ!その為にほら、ビデオカメラだって買ったんだ!』
それはいまから時間を少しだけ遡り、今日はバイトが休みだった名前も交えて食卓を囲みながらの夕食時のこと。
[明日の体育祭は休むつもりだ]
楠雄がそう伝えた途端、両親はそんな感じでそろって猛反対をしてきたのだ。
父は息子の勇姿を収めようと先日購入したばかりのビデオカメラの使い方を入念にチェックし、
母は『お弁当のおかずはくーちゃんの好物とスタミナのつくものにするからねっ♪』と言って張り切っていた矢先のことだから、それはまあ言うまでもないことだったりするのだが。
そんなワケもあり、それから両親は楠雄が体育祭に参加すると (渋々) 答えるまで延々と息子を説得し続けたのだった。
余談として語ると、高校生になって家族が運動会の応援に来ると言うのもあまり聞かない話だが、PK学園の体育祭はこの辺りの学校のなかでも割と盛大に行われることで有名なので、父兄の応援観戦もそう珍しいことではない。
しかしそれは、"徒歩通学が可能な自宅から一番近い学校" という理由のみでPK学園の受験を選択した楠雄には、まったく以て預かり知らぬことだった。
事実、彼がその厄介な話を知ったのは1年時の体育祭の数日前であり、2年生になった今年などは、ひと月前に同じクラスの超熱血漢・灰呂に入場門作りを手伝わされるまで、体育祭がいつ行われるのかということすらまったく知らなかったくらいだから。
「私もPK学園の体育祭行きたいなあ〜うちの学校の体育祭なんてこんなに盛大にやらないもん」
[いまからでも遅くない。僕はTK高校に転校する]
「おおっ!昼食タイムには蝶野さんのマジックショーだって!いいな〜」
[無視かい]
片付けを終えて一息つこうと入れたお茶を飲みながら、楠雄が持ち帰って来た体育祭のプログラムを広げて名前は呑気にそんなことを言ってくる。
『アメージ〜ング!!』なんて言って、楠雄とはなんやかんやと縁の浅からぬそのイリュージョニストの決め台詞を口にしたりして。
「あ〜あ、明日のバイトお昼じゃなかったら観に行けるんだけどなあ。やっぱりいまからでも夜のシフトの人に言って交換してもらおうかなあ」
[いや、そういう急な話は先方にも失礼だ]
「む〜・・だよねえ」
[そんなに観たいなら、今年は父さんがわざわざビデオカメラを買ったとあんなに張り切っているんだ。あとで撮影した映像を観ればいいだろう]
「う〜ん、でもなあ」
[・・・・・・・・・]
"おまえがうちの学校に来るとなると、色々と厄介なことになるのは目に見えてるからな。"
最後のそれは、楠雄がテレパシーを遮断して思ったことだった。
すでに名前とは面識のある燃堂や海藤などを筆頭に、最近では何かと自分を構いまくってくる同級生の厄介な面々の顔を思い浮かべると、楠雄としてはやはり名前には応援に来てもらいたくはないと言うのが正直な気持ちになる。
よって土曜日で学校は休みだがバイトは休めなかったとひどく残念がる名前には申し訳ないが、楠雄はただホッと胸を撫で下ろすのだった。
[・・・しかしそうなると、手を抜き過ぎて無様な姿を撮影される訳にはいかなくなるな]
向かい側で唇を尖らせている名前には悪いが安堵をしつつ、しかし父が置いて行ったビデオカメラを視界の端にチラリと入れると、今度はそんな別の意味での厄介事が楠雄の頭を掠める。
これはもういままでに何度となく楠雄自身の口から語られてきたことだが、常人とかけ離れたパワーを持つ彼は昔から体育がとにかく苦手だった。
なぜならその身に有り余る力を並の人間の標準に合わせるのは、楠雄にとっては大変神経を使い労力を要することだったから。
[いっそのこといま超能力で細工をして、カメラを壊してやろうか]
先日『楠雄の為に思いきって最新型のビデオカメラを買って来たぞ〜!』などと誇らしげに語っていた父の下心が、
『これでママとの甘〜い一時を撮影するんだゲヘヘへヘへ☆』だということを、楠雄は勿論もうとっくのとうにお見通しだった。
ましてやあの悪ノリがとにかく大好きなお調子者のガキ大将のような父だ、普段は斜に構えている自分の息子が失態を犯せば彼はそれを嬉々として撮影することはまず間違いない。
"そういうこと" に関しては異様な程の才覚を発揮する自らの父の特性を、楠雄はやはり見抜いていた。
[もし僕が万が一転んだり最下位になったりしようものなら、それをネタにしてしばらくウザったさ1万倍で絡んでくることはまず間違いないな]
自分を構ってくる時の父親のウザイ顔を思い浮かべると、いますぐにでも傍らのビデオカメラを壊したくなる衝動にかられる楠雄だった。
───が、しかし。
『ボーナス払いで奮発したの〜』と笑顔で語っていた母親と家計のことを考えると、それは容易には行動に移せないことでもあった。
「くーちゃんは2年V組だよね?おぉ!スローガンは"ネバーキブアップV組"か〜」
[なんだ、そんなことまで書いてあるのか]
「うん!えーとね ほら、ここに全クラスのが載ってるよ?あはは、2年○組のスローガンおもしろいね〜! "○組優勝しちゃうぜぇ〜ワイルドだろォ〜?" だって!あはははっ」
[なんでおまえのものまねはいつもいちいちそんなに堂に入っているんだ]
名前は広げたプログラムを楠雄の方へと向けながら、今年世間で流行したお笑い芸人のギャグをパロッたらしい他クラスのスローガンを自らのものまねも交えて軽妙に読み上げる。
ぶっちゃけそのギャグの何がそこまでおかしいのかは楠雄には理解の難しい話だったが、しかしいま目の前でケラケラと楽しげに笑っている名前のその笑顔だけは、やはり彼にとっては唯一無二とも言えるものだった。
(くーちゃんは100m走に出るんだよねえ)
(う〜観に行きたい観に行きたい観に行きたい!)
(バイトやっぱり替わってもらおうかなあ・・・)
[・・・・・・・・・]
百面相をする幼なじみから伝わってくるそんな "声" に、普段はただ真一文字に閉じられた楠雄の口もとは自然とその口角を上げる。しかしとうの名前はと言えば熱心にプログラムに見入っていて、そのことにはまったく気が付いてはいなかった。
"おまえがいたら、僕は競技に集中出来ないんだ。"
もしもこの場でいま、僕のその正直な気持ちを伝えたなら。
ナマエ。
おまえは一体、どんなかおをするんだろう───・・?
「 ? なに?くーちゃん」
[・・・いや、]
例えばそんな、いまはまだ到底伝えることの出来やしない想いを告げる自分の姿を想像しても、しかしそれで楠雄の脳裏にパッとすぐに思い浮かぶのはただきょとんとした表情を浮かべる名前の顔だけだった。
『え〜?私ちゃんと静かに応援してるよぅ?』
なんて言って、邪魔者扱いされたと勘違いした彼女は次の瞬間には頬っぺたを膨らませてそう憤慨するのがオチかもしれない。
楠雄だって超能力なんか使わなくても───もうこの鈍感な幼なじみの少女のことならば、それくらいはすぐにわかるのだ。
でも。
[それでもいつか、この気持ちを僕は───・・]