【斉木楠雄のΨ難 1】
□【そもそもの生い立ち】
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Ψ【そもそもの生い立ち】
いまから16年前。ある平凡な二組の夫婦に、それぞれ男の子と女の子の赤ん坊が生まれた。
しかし女の子に比べて男の子の方は平凡とはとても言い難く、彼は生後14日にして言葉を発した。(それも声を出さずに)
さらに生後1ヵ月で歩くことが出来た。(それも空中を)
1歳ともなると初めてのおつかいをこなし、これにはさすがの母親も動揺したのだが───しかし。
彼女が心配をしていたのは、実は『我が子がみりんを万引きしてしまったのか』ということ『だけ』だった。
"こんな子供気味が悪い。"
普通の親ならばまずそう言って、病院や研究施設に連れて行くのが当然の行動だったろうに。
しかしこの夫婦、かなりユルかった。(頭が)
なにせもともと揃って能天気な性格な上に、ちょっと尋常じゃないくらいのバカップルぶり。(我が子のことを世界で "お互いの次にかわいい" と本気で思っているくらいなのだから相当だ)
テレパシー、サイコキネシス、透視、予知、テレポート、千里眼、念写、etc…
我が子がどんな超常現象を目の前で見せても、彼らはそれをすべて蝶よ花よと褒めそやし可愛がる始末。
───そして。
そんな脳内お花畑な夫婦の学生時代からの親しい友人というのが、お隣に住む夫婦であり女の子の両親なのだった。
まあ当然の成り行きから、すぐにこの友人夫婦は男の子が超能力者だということを打ち明けられて知ることになるのだが。
だからそこは、やはり普通ならばそんな赤ん坊は病院や研究施設送りにすることを友人として強くオススメするというのが普通の反応だろう。
しかし、この夫婦も大概に適当だった。
『超能力か〜・・まあでも、おまえらの子供ならアリなんじゃん?』
『ねえねえ!それってぶっちゃけ世界最強の男ってヤツ?やっぱり娘の旦那になる男は強くないとね〜っ』
・・・と言った具合に。
何だかちょっと聞き捨てならない台詞が主に女の子の母親側にあったものの、そんな訳もあり───おかげで男の子は自らが持つ力の不自然さに、周囲の彼らと同様に何の疑問を持つこともなく順応したのだった。
とは言えそれくらいにトンデモな大人たちにも男の子は、自分がどんなにすごい超能力を持っていても、それを普段他人の前で披露することだけは固く固く禁じられた。
その力を堂々と使っていいのは、自分の家とお隣の家の中でのみ───父と母と兄と、女の子とその家族の前でだけ。
それだけが唯一、このユルッユルな大人たちに約束させられたたったひとつの決まり事だった。
"当然のように使いこなせるもの" を、
"当然のように使ってはいけない" という不自然さ。
リモコンひとつで何にでもスイッチが入るように、
蛇口を捻れば水が出るように。
携帯を片手にメールやネットをするように。
現代人にとってはもはや当たり前となったそれらのように、男の子にとっては大抵の超能力が呼吸をするくらいに当たり前のことだった。
しかし幼い頃の男の子にはまだ、自分がそれをまわりの大人たちに制限させられることの意味も、あまりよくは理解出来ていなかったから。
(くーちゃんすごーい!なんでそれできるのっ?)
[こんなの簡単だ。むしろナマエはなんでできないんだ?]
(ね〜くーちゃん!いまのもういっかいやってっ?)
[やったらおやつのコーヒーゼリー、ナマエの分もくれるか?]
(えぇっ、・・・う、うん!い、いいよぅ!)
[しょうがないな、ホラ]
(うきゃ〜っ!くーちゃんすご〜いすご〜いっ!!)
[大袈裟なヤツだな]
"当然のように使いこなせるもの" を、
"当然のように使っていい" という居心地のよさ。
特別なものを持っているのにそれを人に見せてはいけないということは、買ってもらった流行りのおもちゃを誰にも自慢出来ないのと同じ。
そして子供というのは、殊更にそれを見せびらかしたくなるもの。当時はやはりまだまだ幼く未成熟だった男の子にとって、大抵が非常に窮屈を強いられる生活だったので。
だから力を使ってみせてもいいと許された数少ない相手であり、そしてその能力を一切気味悪がることもなくいつも手放しで褒めて喜んでくれる女の子の存在は、
男の子にとってはずっとずっとひたすらに───癒しであり救いだった。