悪ノ物語

□ごめんね
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 君がそこにいる。
 ボクはナイフを握りなおした。迷いは無い。ある筈なんか無い。なのに、汗で柄が滑る。

 暗い暗い部屋の中。彼女の髪が、さらりと音を立てた。
 一瞬起こった驚きの瞳の色は、ボクを確認するとすっと引いてゆく。

「…ああ、あなたはあの時の…」

 ほっと息を吐いた緑の彼女。心配気に握り締めた両手が、胸の前で震えていた。

「大丈夫? ―どうして、ここに?」

「…ボクも、逃げてきたので」

 自分の口から、そんな言葉が滑り出た。

「私たち全然訳が分からないの、黄色ノ国の兵士がなんで―。
あなただって黄色ノ国の人なのに」

「…王女は乱心のようだとの噂を聞きました。きっと独裁者の彼女の命令でしょう」

 ボクの言葉に、彼女はその声を荒らげた。

「―どうしてそんな―ひどいよ! 理由は、私たちは何をしたっていうの…!?」

 正義でありたい、彼女の必然の台詞だった。

 ――けれど、ボクはそれを許せない。

 …許してしまえない。


「―その言葉は、王女への反逆ですか」

 何を言っているのか分からないという風に、彼女は目を丸くした。

 ボクは続ける。
 自分の物であるはずの声は、気味が悪いほど落ち着いていた。

「王女様の名を借りて、―あなたを処刑します」

 彼女の肩が震えた。

 ――でも、それはどこかまだ現実味を帯びていないようだった。
 悪い冗談でも相手にしたように、彼女は狼狽えながらも笑顔を作る。

「…嘘…だよね? 一体何の話? あなたは黄色ノ国の…」

「―私は黄色ノ国の王女付き召使い。…王女は、…彼女は」

 徐々に広がってゆく、戸惑いと絶望。

 いくら怯えていても綺麗だと思った。

「…やめて―」

 でも、憎い相手なんだ。
 彼女は王女の『悪』だから。

「―私の姉です」

 ナイフを握り締める。
 鈍く光る刃の先に、涙を溜めた彼女がいる。

「い、嫌―ッ!!」

 ボクを見る目が恐怖に変わっていく。

 ――そんな目で、ボクを見ないで。


 君は優しかった。美しかった。君は悪くない。悪いのはボクだ。
 『悪』の名を背負うのはボクなんだ。


 叶うだなんてはじめから思っていなかった。

 ――でも、幸せになりたかった。


「…君に会わなければ良かった」


 ごめんね。







 さようなら。


 
 

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