HONN

□温かいものたち
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たゆたう時間の中の一瞬。

けれどその一瞬でお前に出会った。


そこで何かが、変わって来たのかもしれない。


*********
「こら、まさむね!!」

今日も今日とて良い天気だった。

深く根ざし頭をもたげるしだれ桜の間をすいすいと黒猫は歩く。

その後を小走りで追いかける少年。

時々躓きそうになりながら、黒猫の「まさむね」を追いかけていた。

まさむねは春の空を仰ぎ見て、差し込む光とそれをたくさん受けて自分を追いか
ける少年を観た。

一房だけ長い髪が、まるで猫の尻尾の様で。

きらきらと反射しているように見えた。


猫が秘密の抜け穴を教えてから少し経ち、ちょくちょくと脱走する弁丸は本当に
良く笑う様になった。


だから、黒猫も気分良く散歩に出かけ新しいものを弁丸に見せようとしていた。



「今日は何を見せてくれるのだ?」

少し息を切らせ、それでも期待と好奇の目で幼い瞳は黒猫に問う。

黒猫はただ黙って頭をめぐらして、その先にあるものを見るように促す。

「わぁ…!!」


そこには一面の菜の花。かすかに向こうの山々が新緑を見せている原だった。

「すごい!!まさむね!!」

嬉しがる少年をよそに、黒猫は菜の花の中に入って行った。
「あ、待って…」


黄色にはあまりにも目立つ黒。

けれど、猫は背が低いため茎々の間に消えかけそうになり…
あわてて弁丸は追いかける。


ざっ、と入ると菜の花の匂いが鼻についた。

風が舞えばどこからか桜の名残花弁が飛んできた。

「まさむね?…」


いつの間にか黒猫はどこかへ行ってしまった。


ぽつん、とおかれた弁丸は寂しげに菜の花畑の間に腰を下ろした。

茎々の間からなら、あるいは黒猫が見つかるかもしれない。

思えば、黒猫が散歩中に弁丸から離れる事は無かった。


…寂しい。


だんだんと胸を占める悲しみに、弁丸は情けなく涙を浮かべた。


ほどなくして、ついに泣きそうになった時、

がさがさ

と音がした。




猫ではない。小さな動物の動くそれでは無い音に

「…、」

弁丸は恐怖を覚えて、息を詰まらせた。

がさがさがさがさ


(…ちっ近づいてくるっ)


ただ訳のわからない足音と菜の花を強引に掻き分ける音

あまり穏やかな印象ではない。


竦んでしまった足をなんとかしたくて、でも動かない事に弁丸はもうべそをかい
ている。


がさっ

いよいよ音がそばになり弁丸は、ぎゅ、と目を瞑った。



「…っ」

「ah,お前何やってんだ?こんな所で縮こまって。」

「…え…」


頭の上から降る声は、聞き慣れないけど「あたたかい」声だった。

顔を上げると、背の高い男がこちらを不思議そうに見下ろしている。

太陽に反射して輪をつくるほど黒い髪。
右目は髪に覆われて見えないが、片方の目が不思議そうに細められていた。


「…だれ?」

「…ここらの人間だ。お前に名乗る名は…」

そう言いかけて、男はしゃがんだ。

見上げていた目線が自分より少しだけ高い位置へと移った。
「ha,こうして見ると小さいんだな」

馬鹿にしたように弁丸の頭をわしゃわしゃと撫で回した。

「やっいやだ!弁丸は童では御座らぬっ」

「さしずめ迷子で半べそかいてたんだろ?餓鬼以外の何だっていうんだ」


にやりと笑いながら弁丸の髪をくしゃくしゃにした。
当の本人は悔しくて唇をぐっと真一文字にした。


「That's really something,...Good boy.」
「わっ…」

何やら異国の言葉を紡ぐと、急に弁丸の視界が上がる。

男に担がれるように体を持ち上げられた。
途端に視界が開け、眼下には花畑が一望出来た。

「小さい上に、アンタ軽いな」

しがみついた弁丸に笑いかけ、男はまた乱暴に花畑を歩き始めた。

「出口はどっちだったかなぁ、視界が違うと鈍るな」
「…?あの、」
「Ah?」

おずおずと居住まいを気にする弁丸。いくら男の肩幅に収まる体躯をしていると
はいえ、見ず知らずの人間に親切にされる理由はわからない。

「弁丸を助けてくださるのか」
「まぁ、ここでlost child なままじゃあ困りもんだな」
「ろす…?」

ああ、迷子迷子、と軽くいう男。
態度や言葉は雑なところがあるが、悪い人間では無いらしい。

現に弁丸を送ろうとしている。

「有難うございます」
「礼は無事に家につけたら、言えよ」


感謝さえさらりと受け流し、隻眼は笑う。

「それより、ほら、見てみろ」

促され、視線を隻眼の向ける先へ。

一面の花と空、風に舞う桜。


とても綺麗だった。

「…、」
「な?すげぇだろ」
楽しそうに話しかける男に、身じろぎで返事をする。


綺麗、という言葉さえ当てはめても良いのか迷う程。

それは弁丸の目に焼き付いた。


「…本当に、有難うございます」
「謝辞は止せって。…見せたかったんだ」

ぽつり、と呟いた彼に、弁丸は疑問符。

見せたかった?

「どこかで、そなたと弁はあっておるのか…?」
「ああ、」



どこかでな、とにやりと笑う男。

どこかいたずらっぽい、子供っぽい様な表情だった。












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