短編

□HSさんから、マリー・ブルー
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まず始めに寝起きのあたしを襲ったのは、心臓が口から飛び出そうなほどの驚きと唐突に安眠を妨げられた不快感だった。

夢を見ていたような気がする。
どんな夢だったのか詳細は覚えていないのだけれど、あたしは今まで悪夢を見たことがない。
だからきっと幸せな内容だったに違いない夢の続きを無理矢理にかき消されて、少しばかり不機嫌そうな声を洩らしてしまったのだろう。咄嗟に彼女は顔を歪める。

目の前には大粒の涙をこしらえながらあたしの胸元のTシャツを握りしめる、つくしの姿があった。



「何してんの、つくし」

「・・・夢」

「はあ?」

「へんな夢、みた・・・」

「・・・どんな」


唇をわなわなと震わせながら訴える幼馴染みを一瞥し、あたしは仕方なく体を起こした。彼女は昔から泣き虫だ。あたしに関わる悪いできごとに対しては、必ずといっていい。

また怖い夢でも見たのだろう。
こないだはあたしがタコにさらわれる夢だったけれど、今回はとうとう死んでしまったのだろうか。

小さなため息混じりに彼女の目尻からこぼれた滴を指先で拭ってやったなら、途端に勢いよくがばっと抱きついてくる年上の子供。
ずるずると鼻水を啜る喧しい音に耳を傾ける頃には、先程までの苛々した気持ちは不思議と消えていた。

彼女の考えていることは、よくわからない。
この世に生を受けてから十数年間、あたしは幼馴染みである自分が彼女の理解者であるなんて思ったことがない。
互いの両親の関係からあたしたちが幼馴染みになるということは、あたしたちが産まれるずっと前から運命付けられていたことだけれど、それがつくしにとって幸運な巡り合わせだったのかどうかはあたしには知る由もない。つくしがあたしに擦り寄ってくるのは、ただの長年来の惰性かもしれない。

むしろ不可解に近いのだ。理解からは程遠い。彼女は昔から変わった子だった。
彼女には穏やかな口調や雰囲気に反して、先生や友達の言うことをちっとも聞かずにわが道を行く大将のようなきらいがあったのだ。
要するに彼女は、日本人お得意の空気の読むということができない子だった。
時にそれは常人を戸惑わせたり苛立たせるものであり、彼女の両親やあたしでさえも首をかしげることのあった彼女の奇行は、とうとう治らなかった。それ故周りから敬遠されることが屡々あったけれど、それでも彼女はあたしの隣で無邪気に笑っていた。
彼女は何にも染まらなかった。


「梓ちゃん」

「うん」

「どこにも行かないよね?」

「・・・少なくともタコにさらわれたりへそから木が生えたりはしないから安心しな」


そう言ってから体を離し、優しく頭を撫でてやると、つくしは涙を溢しながら猫のように心地よさそうな表情を浮かべる。

あたしに理解できないのなら、いっそ誰からも理解されないでほしい。
あたしの目に届く場所で、自分だけの城を築いてほしい。
そうやって彼女に一生の孤独を強いるあたしの薄汚いエゴの存在に、つくしは気付いている気がしなくもない。
彼女を抱き寄せる自分の手が、真っ黒に映る。

気分屋でいまいち扱いにくいこの白猫を手放したくないと、あたしは強く思った。



「よかったぁ・・・」

「・・・全くしょうがないな、つくしは泣き虫だから」

「梓ちゃん、またそんなお姉さんみたいなこと言って」

「つくしが子供なんだよ」

「梓ちゃんは違うの?」


つくしに真っ直ぐ見つめられて、あたしはつい閉口してしまった。
どうして彼女はこうも答えにくい質問を投げ掛けてくるのだろう。
つくしの漆黒の瞳に、情けない表情をしたあたしの顔が浮かんでいる。
友人たちから持て囃され続けてきたこの容姿は、結局つくしにとって何の価値も持たなかった。
ならばあたしなんて人間はさっさと滅んでしまえばいいと破滅を願った時期もあったけれど、それすらも彼女に見透かされているような気がして、あたしは嘆くことを止めた。
あの頃はつくしに幻滅されることが何より恐ろしかったのだ。
けれど落ち着いて考えてみれば、そんなのは当たり前のことだった。
つくしは誰よりも気高く美しかった。

答えに窮したあたしの沈黙を裂いて、彼女は小さく笑った。


「ねえ、梓ちゃん」

「なに」

「わたしのこと、すき?」


彼女は時に恐ろしいほど残酷なことを言う。
自分の気持ちとあたしの気持ちを天秤にかけたとき一体どうなるかということを知っているくせに、彼女はあっさりとそんなことを言ってのける。
途端に気道がきゅーっと狭まって、激しく胸が締め付けられるような息苦しさを感じた。
吹き零れそうになった感情をいつものように見て見ぬふりして、慣れた平静を装って微笑んだ。


「・・・わかってるくせに」

「ううん。言葉にしなきゃ、わからないよ」

「嘘つき」

「それとも、きらい?」

「・・・・・・好きだよ」

「・・・わたしも梓ちゃんのこと、すき」


二人の距離を埋めるかのように再びぎゅっとあたしの肩を抱き締めるつくし。
決して愛してもらえないとわかっていても、あたしはこの手を振り解けない。
近くて遠い彼女の心の行方が解らず、日を追う毎に錆び付いたもどかしさと愛情が降り積もっていくのがわかる。

つくしは立ち止まってはくれない。
あたしの歩みでは一生、つくしの心に追い付くことはない。

両腕を震わせながらゆっくりと彼女の背中に肩をまわしたとき、自分の心の内側で眠る狂ってしまいそうなほどに切実な欲望の意味を、あたしはまざまざと思い知らさられる。
不意に海へと沈んだ世界が煩わしくて瞼を下ろしてみれば、頬を伝う生温いものを感じた。


「好きだよ、つくし」





だからもっと、あたしに染まってよ。




End

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