短編
□長谷川さんと八重蔵さん
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その1、八重蔵さん
ピーナッツクリームがたっぷり塗られたサンドイッチに、ほんのりと甘い飲むタイプのヨーグルト。友達の会話を聞きながらそれを食べ、ときおり教室奥にある引戸の窓から通りすがる人を気にしながら、とある女の子が来るのを待っている。これがあたしの朝食風景だ。
「やえぞーネイル変えた?」
「変えた変えたー! 可愛いでしょこの色」
指をそらして自慢気に顔の横に持っていき「ついでにあたしも!」と言えば、呆れた顔で「このお調子者め」と頭をぐしゃっとなでられる。
「やめてよー髪型崩れるじゃん!」
「崩れるんじゃなくて崩してるんですー」
「最低! ひどい!」
「やえぞーうるさいよー。声高いんだからあんまり騒がないでよー」
「そーだよ姫子ちゃん」
「だからひどいってば! それにうるさいのはそっちでしょー!」
笑いながら友人2人にやり返せば更に声の高さは増し、声量は大きくなる。しかしすぐに友人の 1人に「あれ、ねーやえぞー。お待ちかねの優等生きたよ?」と、くるりと身体を反転させられる。
実は気付いていた。いたけど、あえてすぐには反応しなかった。言われて仕方がなくというように自分の席に目をやる。あたしの大好きなさゆりが登校し、じっとこっちを見ていた。笑顔ではない。
「ねえあれ睨んでない? また姫子ちゃんなんかしたんでしょー」と非難めいたように言われ、「失礼な!」と立ち上がった。あたしは笑顔で一歩ニ歩と飛び出すように足を出し、彼女の元へと一直線に向かう。
「さっゆりちゃん! どうしてそんなにしかめっつらしてるのー」
そう言えば彼女はため息をついて、眉を八の字にしてから微かに笑った。毎度お馴染み、困り顔スマイルだ。
「八重蔵さん元気だなあって」
「またまたー。ほんとは?」
「……私の机に八重蔵さんの課題置くのやめてほしいんだけど」
「だってわかんないんだよそれ。さて、今日もさゆり教えてー」
彼女の前の席、つまり自分の椅子を後ろ向きに着席した。彼女からは、あたしの名前が書いてあるノートを渡される。八重蔵姫子、この戦国時代に出てきそうな立派な名前。 "やえくら" と読むのに、やえぞーと周りに呼ばれたり、姫子呼びが後はほとんどだ。
彼女は再びため息を一つ吐いて自分のノートを開く。ノートの表紙には長谷川さゆりと書いてあった。それもそうだ、彼女の名前なんだから。あたしの友達からは優等生なんて呼ばれてる。きっちりときた制服に、清潔感溢れる染めてない長髪。名前や見た目の雰囲気もさながら、頭も良い。そのくせあたしの面倒もよく見てくれるもんだから、なんというか非の打ち所がないんだな。
「八重蔵さんたまには自力でやってみたら」
「さゆりの目の前でやってるよ?」
「そーじゃなくて家でって意味」
「じゃー家来て教えてよ」
「なんで私が? 八重蔵さんが来ればいいでしょ」
「行っていいの?」
「駄目」
あ、振られた。そう思い顔をしかめる。さゆりはあたしを見ることなく教科書を開いた。
彼女以外にはっきりとした発音で馬鹿丁寧に八重蔵さんと呼ぶ人はそうはいないだろう。さゆりがあたしを呼ぶ、その度にふわっとした感覚になる。まずその声が好きなのもある。あるけれど、シャツの裾をしまうのはださいと思うし、ボタンは上まできっちり締めなくていいだろうとも思う。ネクタイだって緩めても罰は当たらない。きちんと制服を着た方が可愛いと誰かが言っていたが、あたしはそうは思わない。
ただ、彼女の顔。そう顔だ。
「さゆりってさ、すっごく可愛いと思うんだよね」
「突然すぎてなにを言ってるのかさっぱりわからないんだけど」
「可愛いって言ったの。面倒見てくれるし、なんだかんだ優しいし。素晴らしいよね、彼氏いないの?」
「いません」
知ってるよ、だなんて口には出さない代わりに舌を出した。ああ、あたしのお嫁さんになってほしい。それも口には出せないけれど。
子供っぽい態度を取ったり、勉強を教えてもらったりとお世話になってばかりだが、いつもさゆりは困り顔であたしの相手をしている。笑った顔のほとんどは眉尻が下がっていて、その顔を見るたびにあたしはひどく罪悪感を感じたりするのだ。迷惑かけてるなあ、と。それでも突き放すことなく、あたしと微妙な距離を取りながらもそこにいてくれる。それはただ、席が前後しているだけかもしれないし、あたしが一人で勉強出来なくてうるさいのも原因かもしれない。あんまりよくないかなーこういうの、なんて思っていながらも面倒を見てくれることに甘えてしまう。でも、ただお世話してくれるから好きだというわけじゃない。だからといってあたしは上手い言葉が見つかるわけでもなく、ただ、ひたすらに好きだと思うのだ。
たまに、本当にたまにさゆりが思いっきり笑う。あたしが何気なく話したこととか、つぼに入ることがあるのか苦しそうにうつむいて笑う。そのとき、あたしは凄く嬉しい気持ちになるのだ。でもあたしはどうしたら彼女を笑わせてあげられるのかわかっていない。考えてみたけど、よくわからなかった。考えるのは苦手で、こうしよう、ああしよう、そう言おうと思ったとしても実行してみれば全て裏目に出てしまうのだ。
だから考えるのは苦手だ。これはあたしの学力にも影響している可能性大で、現に頭は良くない。
「今日ってさ、課題あったの古典だけ? ねーさゆり」
「そーだよ八重蔵さん。はあー……もうわかったから早く開いてよ」
じっと見ると「何?」と首を少し傾けるから、「いつも教えてくれてありがとう!」と笑顔で言った。視線をそらされながらも「どーいたしまして」とノートをめくっている。
「照れた? ねー、照れたの?」
「照れない」
「嘘だー。もーさゆり可愛いなあ!」
無視だ。いつものこと。いいよわかってる。それでも可愛いのだから許すしかない。
シャーペンを取りだし「ほら、早く書いて」と言われ、彼女が指差した個所の説明を始めた。あたしはそれをなぞるようにノートに写す。
たまに大声でバカみたいに叫び出したくなる。さゆりが好きって、笑って言いたくなる。ぎゅっと抱きしめて大好きだって伝えたくて仕方がなくなる。
けどそんなことしたらさゆりはきっと、今までの比じゃないぐらいには困り果てて悩むことになるんだ。そんなのは嫌だ。さゆりをこれ以上困らせるのは嫌で、出来れば笑っていてほしいのにそんなことは出来ない。
「八重蔵さん、これは? 自力でやってみて」
「えー? んーと……こう?」
「あってるよ」
「え? ほんと?」
「良く出来ました」
表情が読めない顔と声でぽつりと言われる。仏頂面だとか愛想がないわけではないのに、褒めるときはこうだ。そんな言い方で褒めるのはさゆりぐらいだよ。あたしは笑って言った。
「やったー!」
「……喜びすぎじゃない?」
「もっと褒めて讃えてもいいよ!」
ピースサインをほっぺたにくっつける。彼女はにこりともせず仏頂面のまま「すごいすごい」と言う。しかし何かに気付いたのかあたしの手を取る。
「なに ?」
「……綺麗な色」
不意にそんなことを言ってのける。困らせたくはない、ないけど、あたしの気持ちはどうなるんだ。どこにやればいいんだ。
なにか言わなきゃ、そう思ってるうちに優しく微笑まれた。このタイミングでその表情。ぐうの音も出ないほど可愛い。
あたしは大きく深く溜息をついた。さゆりは不思議そうに「なに?」という。
「なんでもない」と、あたしは気の抜けた声で問題の先を促したのだった。