短編

□ラヴストック
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 あたしの高校生活は終わりました。クラスメイトが目の前に立ちはだかって、言葉を発したそのときに、身がぎゅっと縮こまるような感覚に襲われたとき、ああもう人生すら終わったかもしれないと、確かにあたしは感じたのです。
 それがどうしてあんなことになってしまったのか。
 自分の頭の中を整理するついでに、思い出してみることにします。

 藍澤紗衣というのはあたしの名前で、ほんの少し前、クラスメイト本田梨花さんのパシリでした。本田さんは、クラスの女子の中でも目立った存在で、見た目は美人さながら、性格も媚びたものでもなくさっぱりとした印象を受けていました。こんなキラキラした人に、生きているうちで関わることなどないと思っていました。
 けど、ありました。それも、思いもよらぬきっかけで。
 そしてそのとき気づいたのは、本田さんにいじめっ子の素質があるということでした。

「藍澤ー」
「は、はい!」
「3分あげるからカルピス買ってきて」
「……あの、じ、自分で」
「は?」
「え、や、だから、自分で買いに」
「お金これね、あーあと2分30秒ぐらい? 遅れたら罰ゲーム」

 そう真顔で言い、あたしの手のひらに100円を押しつけます。狼狽えているあたしに、最後の人睨みをきかせ、携帯をいじり出す本田さんに背中を向けて猛ダッシュ。
 初めのころ、慣れるまで泣きたくなったのをよく覚えています。なんだか悔しくて、でも怖くて、あたしはもつれそうになる足を必死に動かして、本田さんの頼まれ事をこなしました。

「んー……ギリアウト、かな?」
「え、えっ」

 でも全部が上手くは行きません。息が詰まりそうになりながら二酸化炭素を吐き出して、また酸素を求めて空気を吸い込んで。全速力で、お腹が痛くなるまで走ってきても、時間に間に合わなかったときもよくありました。そんなあたしを面白そうに見ては、笑っていて「なんなんだろうこの人」とあたしは常に思って、ついでに怒りも溜めた訳です。
 そしてやはり約束を守れないとなんらかの罰(といっても今思い返せば軽いものでしたが、大抵はでこぴん)を与えられました。
 
「けど、ありがとねー」

 澄ました顔でそう笑うから、あたしはなんにも言えなくなるのでした。しかし。まごついていると表情を変えて「無視? なんか言いなさいよ」と威圧してきて、小さな暴力を奮います。

「い、痛いです! でこぴんやめてください!」
「藍澤のくせに無視するからでしょ」

 言い返しても、すぐさま返答される言葉に負けて、あたしはうーうー唸ることしか出来ません。すると本田さんがいらいらしているのが伝わってきて、体がどんどん強ばって。笑ったかと思えばすぐ不機嫌になる、この人が全くわかりませんでした。
 出来れば関わりたくない、名前を呼ばれた日には不幸だったと思い、「藍澤のくせに」と言われる度にあたしは嫌われてるし、馬鹿にされてるんだなと思ったのも常にで。
 どうして構うんですか、放って置いてください。そう、何度も思っても本田さんはあたしを呼びました。
 長くて、視界を覆っていた前髪がどけられる度に眩しくて、とっぱらわれたそこには、柔らかく笑う本田さんがいて、やっぱりあたしは混乱して、憎めもしないし、嫌いにもなりきれないのです。

 キスをされたときは死ぬかと思いました。考えすぎて頭が破裂するんじゃないか、心臓は動きすぎて停止してしまうのではないかとも思いました。なんであたしなんだろう、どうして、どうして。あたしはそのたびに、情けない声だったり、怒ったりもしたし、とにかくこの人の前じゃ感情を全部さらけ出していて、純ちゃんにも見せたことのないような、あたしも知らないあたしが出てしまっていました。
大抵は、あたしのこの見た目で気味悪がられているのはわかっていましたし、なにより小学生の頃いじめられた記憶が、前髪をさらに長くしていました。良い人もたくさんいるのもわかっていますが、やっぱり人と話すと緊張してしまうのは直りません。本田さんも「その前髪うざい」って顔をしかめてよく言いました。あたしは小さく傷ついていました。
 それでも、他の人があたしの陰口を言えばもの凄く怒るのです。あたしは慣れているし、ほっとけばいいのに。そのあと決まって、本田さんはなんでもないような顔をするのです。
 
 どうしたらいいのだろうと、迷って、でも、この人は優しいというのだけはわかり始めてきて。本田さんの行動や言葉一つにすべて意味があることにもわかってきました。気づけば、嫌なことがあったときも、嬉しいことがあったときも、なんでもないようなときも、本田さんが隣にいました。
 最初はまともに目も合わせられなかったのに、ちゃんと目を見て思ったことを言えるようになっていました。
 ゆっくりキスをしてくるのは、あたしがいつでも逃げれるように、拒否出来るようにするためだとも気づきました。
 そのときから、怖かった手がとても優しく見えたんです。
 前髪を切ったとき、あれは最大のアプローチだったと今思います。過去との決別だ、そう言えばかっこいいものに聞こえますが、あたしの場合はただ、本田さんが喜ぶんじゃないかと思ったからです。そして、もう本田さんがあたしのせいで悪く言われないようにするためでした。
 ただ、本田さんは思ってた以上に、喜んでくれませんでした。それは顔を見ただけですぐにわかりました。そのときに、あたしはお腹がひんやりと冷たくなった感覚がしました。背中を向けて出て行く彼女を見て、あたしは沢山の人に囲まれているのに一人取り残された気分になって、昔いじめられていた頃の自分とかぶったのです。
 でも昔とは違うのは、悲しいの意味が違ったことです。あたしは気づけば、純ちゃんの声も無視して走り出していたのだから。

 本田さんはずるい人です。でも、気づいてなかっただけで、あたしも同じだけずるいのかもしれない。待たせていたのは、確かにあたしなのです。
 明るい所に連れて行ってくれたのは本田さんでした。
 息の仕方を忘れそうになるような感覚を知らされたのも本田さんでした。
 誰かを喜ばせたり、笑った顔がみたくなる気持ちを教えてくれたのも、全部、本田さんでした。
 あなたはなにもしなくて良いと言います。でも、それじゃあたしが駄目だと、なにかしたくなってじたばたするのも、どうしたらいいのか迷うのも、最近は悪くないなあと、むしろいいなあと思うのです。 
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