短編

□ランラビット
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ぷかりと浮かんだ煙草の煙が、かき消された。

「あのねー困るんですよねー、それ着たまま煙草吸われちゃ」
「はぁ」
「火事になっても困るし、焦がされてもね、それに匂いがつきますし」
「あーそうっすね」
「ちょっと、ちゃんと聞いてますか?」

いかにもインテリというような銀フレーム縁のメガネをかけた兄ちゃんが、あたしにつっかかるように言う。
うんざりとしながらも表情には出さず、煙を吐き出した。
あたしだって好きで着てるんじゃねーよと言い返したくなるが、なんとか堪えた。

半分だけ脱いである自分の服装に、視線を下ろす。
生地の大半はピンクの毛並みにしては固めのものを使っている、前のお腹から胸部部分にかけての白い生地をあしらっていて、お尻にはぴょこっと丸い尻尾と可愛いオプションつき。
………ため息しかでない。

若いうちから口うるさいとハゲるぞ、と心の中で言ってから「気をつけます」と半笑いで言った。
やつは馬鹿にされているとわかったのか眉間のしわを濃くした。

あたしはうさぎの着ぐるみを着用したまま頭部を横に置き、右手には煙草を持っていた。
さっき吸い込んだ香りがまだ口に残っている。
独特なラムのような香りがするこの銘柄は愛用のハイライト。
灰が落ちそうになり、あたしは人差し指で灰皿に灰を落とした。

「本当に頼みますよ」

嫌そうな顔をしてあたしに一言告げプレハブの裏から立ち去る。
あたしはあくびを一つして、また口元に煙草を持っていった。
休憩中ぐらいリラックスさせろよと思いながら一口吸い、短くなった煙草の火を灰皿でもみ消した。

ウサギの頭をかぶり、あたしはチラシの入ったトートバックを肩に下げ表へと出て行く。
岸本倫子26歳、職業は着ぐるみ関係のものでは断じてない。
かといってフリーターというわけでもなく、こんな格好をしていてもちゃんと仕事はしている。
といっても3年前フリーターだったところをおじさんに拾われた。
ヤンキー、不良、なんて言葉が今時はやるかわかんねーけど、周りからみたあたしはまさにそれだったと思う。
職につくわけでもなくバイトして、バイク乗り回して、友達と深夜に
バカ騒ぎして。
さすがに金髪ではないけど、それに近いような色もしていた。

おじさんとはふらっと立ち寄った実家で、10年ぶりに再会した。
「倫子はなんにも変わらねーな」と言われ、あたしは説教でもされるのかと思いきや身構えていたら、会って早々飲み屋を連れ回され、そして潰された。
予想外すぎて、あたしはその日一日は使い物にならなかった。
というか、意味がわからなすぎて夢かとも思った。
次の週の水曜日、今度はバイト先にやってきたおじさんに拉致されまた朝まで飲まされた。
それを何回か繰り返していたら急に「俺のところで働け」と言われ、最初は断っていたが毎週水曜日に飲みに行くのは続いていた。
けど説教らしい説教もなく、ただ小さい頃のあたしの話や最近あった馬鹿みたいな出来事、おじさんの昔話が主に話題にあがっては飲んだ。
おじさんと飲むのは楽しかったし、それになによりタダ酒というのが魅力的なのもあってか水曜日は毎週楽しみだった。
3ヶ月後にはあたしの考えは徐々に変わっていて、そろそろ職につかなきゃやべーし、この人の下で働いてみるのも悪くはねーかもと思わされていた。
あたしが働くことになったその週の水曜日に、その場の空気や、心情、なんていうかそういうものに流しに流されて、「ちょっと真面目に働いてみねーか」と軽く言われたおじさんの言葉にすとんと落ちたんだ。
あたしってちょろいんだなとも思ったが、今思えば単純でもある。
けど気づけば、吐き気を催しながらも固い握手をおじさんとしていたのだから、あの親父があなどれねぇだけだとあたしは思い直した。

就職したのを気に、あたしは髪を染めた。
おじさんは「奇抜な色じゃなきゃいい」と言ったので、迷った挙げ句暗いアッシュブラウンに落ち着いた。
流れるままだった長い髪も一つに縛って、あたしはやる気に満ちていた。

しかし、あたしの職業は不明だった。

初めての仕事は引っ越しの手伝いだった。
だから引っ越し業者なのかと思ったら2日休んで次の日の仕事は豪邸の草刈り、そしてその次は犬を3日間預かってって……あたし一体何やってんだ!
と思いおじさんに聞いたら「うちはなんでもやるからなー」と笑っていて、それが無駄に良い笑顔だったのをよく覚えている。
「なんでもってなんでも?」とあほみたいな質問をすれば「出来ることならなんでも」とまたあほみたいな回答が返ってきた。
ちょっとしたお手伝いまがいのものから、企業からの仕事もなんでもござれだそうで。
大変なところに来てしまったと後悔の嵐だったが人間なれるものだ。
これもなにかの縁、それにおじさんに大分お世話にもなっている。
なんというか、あたしはそういう義理や人情そういうものに弱かったり。
そういうこったで、人はあたし達を何でも屋と呼ぶらしい。
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