お題小説
□日
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赤い糸を繋げて(5years after)
(7)
吐く息が熱い。布がこすれる音と心音が重なる。
たばこ屋の角を曲がり、走り続けると鳥居にさしかかった。そこから続く階段を一定のリズムで駆け上る。
最後の一段を登り切る。お賽銭箱の前まで最後の一踏ん張り、痛む胃を無視してダッシュし、右手を精一杯伸ばす。ごわごわした太い手綱を掴む。そしてその場ですぐさま崩れるように座り込んだ。
空気を吸い込むと痛い。そしてそれは冷たいのに、体中は煮えたぎるように熱い。頭がぼうっとした。
5分ぐらい経ったか、荒かった呼吸が落ち着いてきた。立ち上がりジャージのポケットから5円玉を取り出す。それを賽銭箱に入れて、手綱をがらがらと鳴らした。2回礼をしたのち、手を二回叩いて勢いよく礼をする。
「また明日」
狐の置物をひとなでしてから階段を軽い足取りで降りていく。
朝の日課はこれでおしまいだ。
近道をしてコンビニ近くの十字路に出る。出歩いている人は、おじいさんが犬の散歩をしているぐらいか、それ以外には人はあまり見かけない。休日だからということもあるが、こんな静かな朝があたしは好きだ。
コンビニの自動ドアが開く。電子音とともに、見知った顔が出てきた。
思わず「あ」と口にでる。そして、頬が緩んだ。
向こうは気づいてないのか歩き続けている。あたしは後ろから周りこんでそっと近づいた。その距離、あとわずか4メートルというところで思いっきり足を踏み込んだ。
わざとぶつかっていけば「いった!」と声があがる。
「おはよー未央ちゃん!」とそのまま抱きついた。
「あ、なんだ、ゆずーおはよー」
「もうちょっとびっくりしようよ」
「なに言ってんのもーびっくりしたよ! 朝から元気だなー。トレーニング?」
「うん」
「ほんとに元気だねー」
ふにゃふにゃとした表情で微笑まれる。そして眠そうにあくびをひとつした。
濃い青のジーンズスキニーに、だぼっとしたグレーのパーカー。これだけでもおしゃれに見えるのだから未央ちゃんは凄い。
読者モデルというものを何回かやっているそうで、そのまま本当のモデルになってしまえばいいのにと思い、言ったことがあるのだが笑って聞いてもらえなかった。
「朝早いね」
「今まで課題やっててさ、寝る前にコンビニ行ってアイス買って、起きたら食べようと思って」
「アイス? ちょーだい!」
「駄目ー。これはちょっと高いやつだからゆずにはまだ早いー」
「えー! 未央ちゃんのケチ!」
「ケチじゃありません。ほらーせっかくの可愛いお顔が台無しだよー。また今度ね」
あしらわられた、そう思い頬を膨らませる。しかし、子供っぽい自分の表情に気づいて、それとなく無表情に戻した。未央ちゃんは、気付いてないかな?
中学2年生になったあたしは、飛躍的成長を遂げていた。伸びた身長、賢くなった脳味噌、陸上部に所属しているあたしは専門の高飛びでそこそこの成績を残してきている。
見た目もそれなりにいけているらしく、人並み程度には告白はされてきた。しかし、相手はほとんど女の子なのだけど。
最近気づいたのは、あたしはどちらかと言えば中性的な顔立ちらしいということ。そして、この短い髪が余計にそうさせているということ。
噂によれば、あたしは王子様だなんて呼ばれているらしい。
「未央ちゃん大学はー?」
「今日はお休みの日だよん。ゆずもそうでしょー」
「あたしはこれから部活だよー」
「そうなの? 日曜日なのに?」
「うん。中学生は部活も含めて毎日学校だよ」
「御苦労さまですねー。でもこんな所でぶらぶらしてて遅刻しないの?」
「しないよー。未央ちゃんとは違うもん」
「お、言うねー。すいませんでしたー。しっかりしてるもんね、ゆずは」
よしよしと頭をなでられる。ああ、また子供扱いだ。あたしは唇を尖らせたくなった。
家の前までくれば、お母さんがちょうど新聞を取りに出てきたところだった。
「ただいまー」と声をかければ「おかえり」と振り向く。お母さんの顔がぱっと明るくなった。
「あら、未央ちゃんおはよう」
「おはようございまーす」
「一緒にランニング? な、わけないか。朝ご飯食べてく?」
「わーい。ありがとう美代子さん!」
お礼を言う未央ちゃんに、にこにこ顔なお母さん。あたしはなんだか面白くない。でも、いつものことでもある。家族揃って未央ちゃんのことが好きなのだから。
未央ちゃんはどんな相手だろうが「おばさん」「おじさん」「おねーさん」「おにーさん」などそういった代名詞を使わない。必ず名前で呼ぶ。ちなみにもう美代子さんとはあたしのお母さんだ。こういうところがきっとモテる要素なんだろうか。あとは誰にでも優しいからだろうか。挙げ出せばきりがない。
先にシャワーを浴びる。汗を流し、濡れた髪のまま制服に袖を通す。
「柚稀、ちゃっちゃと食べないと練習遅れるよ」とお母さんにタオルでがしがしと頭をふかれる。未央ちゃんはすでにホットケーキを口に入れていた。
携帯をいじる未央ちゃんを見る。
「なに?」と聞かれたから「彼氏? 彼女?」椅子に座りながら尋ねた。
「友達だよー」
「えー。ほんとに?」
「ほんとほんと。それに今の時間寝てるから」
その言葉はいるということか、胸が痛む前に溜息をついた。あたしの知る範囲では、今は2股で済んでいるはずだ。でもいつその人数が増えるかわからない。
「未央ちゃん」
「なーに」
声のトーンや口調は、変わらないもんなんだなとふと思った。あたしが物心ついたときから、未央ちゃんはなにも変わってないように思える。浮気症、という言葉もしっくりこないけど、それも直る気配はない。
変わったのは一緒にいれる時間が減ったということだ。少しずつ、減ってきている。未央ちゃんはバイトもしている。そして交際もしている。大学にも行く。あたしは部活漬けで、オフの日は友達と遊んだりして、昼間はもちろん学校で。
公園で未央ちゃんを待たなくなったのは、いつからだっけ。
髪を拭く手をとめ、タオルを首にかけた。
「約束、覚えてる?」
「約束?」
「あたしが9歳のときに、高校2年生の未央ちゃんに追いついたらってやつ」
「未央ちゃんコーヒー飲む?」と奥でお母さんの声がし、あたしを見ていた目を反らして「はーい! 飲みまーす」と声を投げかけた。
また目を合わせると、感心したような顔をして言う。
「よく覚えてるねー。ほんと柚頭いいんだね」
「頭良いとか関係ないよ」
少し苛立って言う。未央ちゃんは「ふーん」と笑みを浮かべながら携帯を置いた。そしてシロップをたっぷりつけたパンケーキを口に運ぶ。
お母さんが「柚稀ー話してないで早く食べなさいよー」と言いながらコーヒーを運んでくる。あたしには牛乳だ。ブラックで飲んでる未央ちゃんを見て、こんなささいな場面でも追いつけないと思ってしまう。
いつまでたっても、差が縮まらない。
なにも変わってないように見える未央ちゃんと、確実に成長しているはずのあたしなのに。温まった牛乳を口に含めば、熱くて舌を出す。
「あと何年なの?」
ひりっとした感覚、暢気な声に思わずむっとしながらも「2年だよ」と答えた。
「2年? おかしいよそれ。だってそしたら高校1年生だよね。あと3年の間違いじゃないの?」
「失礼な、あってるよ。約束したときの未央ちゃんの年と同じって言ってたから実質はあと2年」
「えーなんでさー」
「未央ちゃん遅生まれじゃん。だからあのとき高2でもまだ誕生日きてなかったから」
「あ、あるほどね。だからずれがあるのか。てか、よく覚えてるなー。感心感心」
コーヒーを飲みながら言い、それから「参った」と舌を出した。あたしは牛乳を飲む。でも顔は苦いままだ。
覚えてるに決まってる。些細なことも、大事なことも。
未央ちゃんは、忘れているのが当たり前だと思うのだろうか。それは、ちょっと腹立たしい。
「でもねー柚」
「なに」
「やっぱり、約束の期限は年齢じゃなくて学年だと思うなー」
「え!?」
「ほんとはさ、卒業してからのがもっといいんだけど」
「なんで!?」
「えー……だって、ねえ? 下手したら犯罪だもん」
困った顔で笑うもんだからあたしは目を瞬かせた。どうしてそんな顔をするのだろうと考える前に、未央ちゃんがパンケーキを刺したフォークであたしを指す。
「まあでも、そのころにはわかんないよ」
「わかるよ」
「わかんないってー。今の中学生って盛ってるんでしょ? 柚モテそうだし、彼氏の一人は」
「わかるってば!」
大きな声でそう言い返せば、びっくりしたような顔をする。でも間があってから、けらけらと笑い出すもんだから急に恥ずかしさや悔しさが混み上がった。
乱暴にパンケーキを切り、口に詰め込む。ナイフがお皿まで一緒に切ったのかギリリと鳴る。構わず大きく切って無理矢理入れた。頬がぱんぱんに膨れる。
同級生や先輩達にいくらもてはやされたと言っても、あたしは所詮中学生なのだ。学年トップの成績を取っても、未央ちゃんの考えてることなんか全然わからない。早く走れたり、高く跳んでみても全く捕まえられない。
悲しい。
悔しい。
でも、まだまだ好きだ。
早く、早く。追いつくんだ。
お母さんに「柚稀いい加減にしなさいよ」と頭を叩かれ、未央ちゃんはまたくつくつと笑ったのだった。
(7) 日曜日の朝ごはん