愛犬万歳2

□AIKENBANZAI2
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クビクルムへと続く磨きぬかれた回廊を、若い男が一人歩いている。

一分の隙もなく着こなした上質のスーツと、端整で穏やかな容貌の中にも鋭い眼差しを持つこの男――日系アメリカ人パトリキの榊は、家令からの知らせを受けて急遽ニューヨークからヴィラへと飛んできた。

今日のこの日をどんなに待ちわびたことか知れない。
榊はようやく念願の犬を手に入れたのだ。
犬の名はアレックス・メイヤー。


アレックスは元アメリカンフットボールプレイヤーだ。
ハイスクール時代から抜きん出た才能を発揮して、プロデビューした後も人気・実力共に兼ね備えた選手として名を馳せた。

しかし20代後半、アスリートの宿命ともいえる怪我に彼は悩まされることになる。
膝を故障した彼はリハビリに心血を注いだがアメフトへの復帰はならず、その後軍隊に入り派兵され中東で……ヴィラに捕らえられた。

若く美しいアキレウスのようなアレックスはヴィラですぐに買い手が付いた。
ロシア系のパトリキ、シュロホフだ。

アメリカ嫌いで有名な彼は、アメリカ人の犬を多数所有していることで知られた人物だった。
シュロホフは壊し屋でこそなかったものの、彼の犬達はみな冷遇されていた。

榊が偶然フォルムに吊るされ罵詈雑言を浴びながらレイプされているアレックスを見かけたのは半年前のことだった。

フォルムでシュロホフの犬達がそういった扱いを受けるのはもはや日常茶飯事の風景だったらしいが、普段仕事でなかなかヴィラに来ることのない榊はそのことを知らなかった。

そもそも彼が犬になっているという事さえ知らなかった。

(なぜアレックスがヴィラに?)

榊は我が目を疑った。

ハイスクール時代、彼はヒーローだった。
アメフトの花形、クオーターバックだった彼の周りには、取り巻きやチアガールのガールフレンドが絶えず溢れていた。

光り輝く軍神アレス。強靭な体と天与の才を持って果敢にゴールを攻める彼に周囲は惜しみない賛辞を贈った。

若い頃、榊はそんな彼を遠くから見ることしかできなかった。

(いいや、あれがアレックスのはずはない)

信じられない思いで家令に問うと、しかし如何にもアレックス・メイヤーだとの回答。
戸惑いと共に青春の頃に抱いていた思いが自分の中に広がっていくのを感じた。

今の榊は地位も財も名誉もあるパトリキだ。遠くから指をくわえて見ていたあの頃とは違う。
榊はアレックスを手に入れるために画策した。

奢侈を好み浪費家であったシュロホフはもともと資金繰りが厳しかったらしい。そこにリーマンショックの煽りをうけていた。

シュロホフは榊の提示する絶好の取引に応じぬわけにはいかなかった。
日系アメリカ人の若造の申し出を断れないほど、彼は窮していたのだ。


今日、ようやくアレックスを手に入れる。
彼と対面するのは十数年ぶりだ。
榊は腹の底から沸き立つ感情を抑えながら、クビクルムのドアをくぐった。


「アレックス」

呼びかけると、クビクルムの寝台からゆっくりと起き上がった。
犬がじっとこちらを見る。

緊張したような、しかしどこか諦めた様子の暗い瞳で榊を見つめたその顔が、徐々に怪訝な風に歪められた。

「……カズ?カズヒコ・サカキ?」

驚いた。
榊は僅かに目を見開いた。

「アレックス……おれを覚えているのか?」

「……なんでアンタが……今度はアンタが『ご主人様』なのか……?」

返答はなく、代わりにアレックスは強張った面持ちでそう尋ねた。

「そうだ」

榊の言葉に今度は戸惑う表情を見せるアレックス。
ウロウロとシーツに視線を這わせるアレックスの顎を取り、榊は口づけをした。
体中に電流が走るのを感じた。ああ、ずっと欲しかった――……。

「アレックス。おれのものだ」
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