TSUBASA Title
□死なないで
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死なないで
暗い室内。カーテンから漏れる極彩色のネオン。
座り込んだベッドからようやく重い腰をあげると、引き止めるようにギシリと鳴った。
(どう切り出すか……)
いつでも出せるようにとサイドテーブルに置いていた小刀をチラリと見やる。赤、青、黄色、チカチカと光を反射して急かす。
(ストレートに『血を飲め』か?なんとなくごまかして『食事しろ』とか?)
脳裏によぎる片目のない魔術師は、凍てついた目でどうするの?と問う。
(ああ、くそ……)
その時になればなんとかなるだろう。小刀を握りしめ、自分を無理矢理歩かせる。
血が必要になる頻度はわからないが、すぐに座りたがる様から今飢えているのはたしかだった。
「なに?」
魔術師の部屋に入ると、感情のない瞳に睨まれた。
「わかってんだろ」
反射的にそう返した自分に愕然とした。
なんて狡い、卑怯な言い回しだ。
これでは、
まるで、
「……」
怒るか、呆れるか、それとも悲しむだろうか。拒絶されるかもしれない。あの魔女が言ったように、こいつには飲まない選択肢もあるのだ。
もし飲まないと言っても、何とかして飲ませなければ。けれどどうやって、
「わー、血を飲ませてくれるんだー、ありがとう黒鋼ー」
あきらかに棒読みの台詞を、にこやかに返された。
それは喜んでいるわけではないだろうが、とりあえず血を飲ませることができるなら、と安堵した。
「その小刀で腕、切るの?」
「ああ」
「痛そうだね」
「刀傷なんざ斬り方と場所次第じゃそう痛くねぇ。怪我なんて日常茶飯事だしな」
「へーそう。ちょっと貸して」
「?」
返事をする間もなく、手元の小刀を奪い取られた。
まぁ食事をする気はあるようだし問題ない。
スッ――
手首を通って離れた小刀。
何事もなかったかのように沈黙する手首。
それを冷めた目で見つめる金の瞳。
喉元にひっかかって上手く出ない声。
静寂。
やがてふつり、と赤い粒が産まれて、それを合図に後から後からとめどなく鮮血が滴り落ちてきた。
「――!?」
心臓が冷える気がした。
これを絶望と言わずになんと言うのだろう。
生きていて欲しいと願った。その相手の血がこんなにも流れていく。
恐怖によく似た、絶望、これは。
なんて、痛い。
「お前……っ!」
「ああ、ほら、やっぱり痛い」
深く抉られただろう病的なほど白い細腕。溢れ出る血のせいで傷は見えないが、相当深くいってしまっていることは容易に想像できた。
慌てて小刀を奪い返して部屋の隅に投げ捨てる。何かにぶつかって割れる音がした。
「意味ねぇことするんじゃねえ!」
怒鳴りつければ金の瞳が無感情に見返してきた。そして血まみれの腕を目の前に見せ付けるように差し出す。
どくどくと溢れる、赤。
止血を、早くしなくては、
「飲めよ」
氷と氷がぶつかるような声だった。脳が理解しないその言葉は、自分に向けられたものだと解るまでに数瞬かかった。
「飲め」
有無を言わさぬその声。
その台詞は元来自分が言うはずだった言葉で、それがどんなに残酷で無責任な台詞だったのかを知った。
体が凍りついたように動かなかった。
それを飲んでやらなければならないのは解っていた。それを強いるのは自分なのだから、その痛みも共有しなくてはいけないのだと。
けれど動かない。
魔術師は少し俺を見て、嘲って、窓辺に歩み寄った。血まみれの腕で窓を叩き割る。
何をしているのか、何をしようとしているのか、その挙動を凝視していると、
「君が自分の腕を切るほうが、俺には痛いけどね」
割れたガラスがきらきらと光を反射しながら、その喉元を突き刺した。
「――――っつ!!!!!!!」
そこで目が覚めた。
(夢……?だってのか、あれが……?)
寝汗がベットリと背中にまとわりつく。いつから夢だったのかわからないほどリアルな夢だった。早い鼓動がなかなか落ち着かない。
確認するように室内を見渡せば、サイドテーブルには小刀がひとつ。血の一片もついていないそれに安堵した。
(生きていてほしいと、願っただけだ、たとえそれをあいつが望まなくても……)
けれどそれがどんなに傷つけるか、本当の意味ではわかっていなかったのだと思い知った。
自分が血を飲ませようと体を刻めば、それだけ傷は深くなる。
自分の傷はやがて治る。だが目に見えない傷は抉れていくばかりだろう。
(それでも、)
生きていて欲しいと思った。死なせたくなかった。執着だった。
(それがどんなに酷いことでも、)
自分を嘲ったあの顔が、泣いているようなあの顔が、脳裏に焼きついて離れなかった。
end