TSUBASA Title
□願という名の、命令
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濁った空気を機械で無理に清浄化している世界、『インフィニティ』
奇しくもそれは四人と一匹の、無理矢理一緒にいる現状を具現化しているようで滑稽だった。
(機械音が煩い…)
吸血鬼の血が聴覚すら覚醒させているのだろうか。わずかな物音もファイには鬱陶しかった。
加えて、ファイの部屋に近づいて来る足音がさらに気分を陰欝にさせる。
(気持ち悪い)
一人部屋のベッドにうつ伏せで転がりながら、深く一つ息を吐くと、それだけで体中の力が抜けるほどの倦怠感が襲った。
(…ヴァレリアの谷にいた頃は、何年飲食しなくても死ななかったのに…)
魔力の半分を失ってからというもの、血を欲しがって体が渇く。
――ガチャ
廊下から差し込む光が、ベッド上のファイの足元をわずかに照らした。
「起きてんだろう」
部屋に入っても反応しないファイに、黒鋼は静かに呼び掛ける。
すると、ファイはうつ伏せのまま片手を上げ、追い払うようにしっしと振った。もっとも、それで大人しく帰る相手だとは思っていないのだが――。
「……」
黒鋼はふぅ、と嘆息すると、そのまま後ろ手にドアを閉めてファイのベッド脇に歩み寄る。
――と、次の瞬間小刀で自分の腕を切り付けた。
急に香ってきた血の匂いに、ファイは五感の総てを無理矢理こじ開けられたような寒気がして肩を強張らせた。
「……なにしてるの」
ファイが眉をしかめて黒鋼に目を向けると、黒鋼は見せ付けるように鮮血を流す腕を差し出した。
「飲め」
「なにそれ、命令?」
「ああ」
「ただの餌のくせに生意気」
「頼むから飲んでください、――とでも言えばいいのか?」
今度はファイが嘆息する番だった。
今までなんだかんだと慌しく、うまく黒鋼を突き放して逃げてきたが、この状況で拒むことは、つまり生を放棄することに他ならない。
生きていたいとは思わないが、死にたいなどと願うことは、ファイへの冒涜のような気がしてできなかった。
この命は、自分がどうこうしていいものじゃない。ファイに返さなければならない命なのだ。
拒めない代わりに、思い切り忌々しそうにつぶやいてやる。
「馬鹿なエサ」
暴言にムッとした黒鋼に、僅かばかり気が晴れたような気がした。その腕を引き寄せ、ゆっくりと舌を這わせる。
舌先に少し触れた血は、甘く…渇いた身体を一瞬で潤わせた。
そうなってしまえばもう、本能のままに身体は血を求め、気がつけばファイは強靭な黒鋼の身体に眩暈を起こさせるまでその血を貪りつくしていた。
(泣きそうだ)
涙など出るはずもない、その冷えた心が叫んだ。
(君から血を奪い、いずれは命も)
黒鋼が敵になるだろう予想は旅のはじめからあって、そのつもりで傍にいたというのに。
「馬鹿なエサ」
もう一度吐き捨てるように呟くと、ファイは不貞寝するように黒鋼の腕から離れてまたうつ伏せにベッドに沈んだ。
黒鋼はその後すぐ、音を立てずに部屋から出た。
(君はいつか後悔する)
唇に僅か残った血をペロリと舐めとると、ファイは瞳を閉じた。
(同情であれ、愛情であれ、オレを生かせば不幸が産まれる)
頭を掻き毟ってしまいたいような衝動を静かに押し殺し、その夜、ファイは眠れなかった。
ドアの前で、気配を消して黒鋼が座り込んでいたことは、誰も知ることがなかった。
end
実は自ら血を飲んだショックで、ファイが自害するんじゃないかと気が気でなかった黒鋼。