TSUBASA Novel 2

□低温火傷
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「黒様は、オレが好き?」

 問いかけたのは沈黙が恐ろしかったからだった。
 熊の縄張りに迷い込んだ狐の様に、逃げ出したいような恐怖と、ほんの少しの好奇心を心に潜めて。
 黒鋼は怪訝そうに眉根を寄せてファイの表情を窺う。口元は一応笑っているように見えた。

「…周りが思ってるほど好きじゃねぇよ」
「でも、オレが思うほど嫌ってもいないんでしょ?」

 沈黙は肯定。
 パチパチと祝福するように拍手を鳴らす囲炉裏。
 穏やかに流れる時間。なんの不安も抱くことなく。

「あー…くそっ……目がなくなってから、テメェは扱いづらくなった」
「あはっ。照れてる?でもね、違う違う。君が血をくれてから、って言ってほしいなぁ」
「同じだろ」
「違うよ」
「同じだっつーの」
「違うんだって」

 薪を喰らう焔が温かいので、二人は寄り添うこともせずに、孤独を苦にもせずに酒を飲む。
 触れたいと願った想いさえ忘れてしまったかのように、他人行儀に。影を重ねることもなく。

「大体テメェこそ、好きでもないくせに」
「オレ?」
「ああ」
「オレが?黒様を好きじゃないって?」
「ああ」
「ははっ。ばっかみたいー」
「っ…一々癪に障るやつだなテメェは!」

 苛立ち混じりに、黒鋼が音をたてて酒瓶を床に置く。
 ファイはひとしきり笑って、それからふっと肩の力を抜くように溜息をついて、優しげに目を細めた。
 その視線の先は今しがた酒を置いた黒鋼の無骨な指先で、昨夜はファイを抱いていた爪先。

「だって、ばかじゃん…?」
「テメェほどじゃねぇよ!」
「鈍いって言うか…あー……はぁ」
「イイ性格になったもんだよテメェはよ!」
「おかげさまでね…」

 隠すことに慣れすぎて、自分でさえ見失っていたこの想い。
 好き、ということ。
 大好き、ということ。

「オレは君のこと、好きだと思うんだけどなぁ」
「んな…ッ……」
「愛してる、って言ってもいいくらい」
「こっぱずかしいことさらっと言うんじゃねえ!」
「あー照れてるぅ。黒様かーわいー」
「ヴァアアア!うるせぇ!それ以上喋ンな!」

 照れ隠しに怒鳴る黒鋼に、肩をすくめてファイが笑う。

「君の事だけは絶対に好きにならないと思ってたんだけどなぁ」
「俺もテメェに初めて会ったときにゃ、絶対ェ関わりたくねぇと思ったけどな」
「オレはファイとアシュラ王だけ大切なまま死ぬと思ってたよ」
「ハッ!そりゃ残念だったな、予定通りに行かなくてよ。イイ気味じゃねぇか」
「黒様のせいだよねー」
「人のせいにすんじゃねェ!」
「君を好きになってから、好きっていうことがわかったんだよねぇ。オレ、ずっと気づかなかったんだけど」

 黒鋼に対する感情の意味を考えるようになってから、好きなものと嫌いなものを分けはじめた。
 それから好きなものが意外と多くて驚いた。
 恋愛感情というわけではないけれど、たくさんの『好きな人』と出会った。
 セレスにも、ヴァレリアにも、降り立った数多の世界の中にも、好きになった人やモノが溢れていたのを理解して、宝石のようで。
 それはずっとファイの心を温かくしていたのだけれど、

「気づかなかっただけで、元々テメェのなかにあったもんだろう」
「…そうかな」
「そうだろ」
「…そう、かな」

 東京で小狼の心を失ったときに、大切な人が増えていくのが、怖くなった。
 大切な人が、消えていくことが、怖くなった。
 
「オレ、誰も好きになりたくなかったのになぁ」

 告白は黙殺される。
 何も返すことができずに、黒鋼は沈黙する。
 ぶっきらぼうな黒鋼には、ただファイの傍にいること、それ以上のことは出来ない。
 ファイはそれを心地よく思う。

(たくさん好きになったら、きっと別れるとき寂しいなぁ)

 囲炉裏の焔が薪を喰らう速度は徐々に増していく。
 ファイの心を侵食する、黒鋼への想いもまた同じで、今はただ焼けるように痛むのだけれど。

 温かかった。










end
 





 

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