TSUBASA Novel 1

□北の主
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 意識を失ったファイを担いだまま、男――アキシムは立ち止まって眉根を寄せていた。
 化け猫よろしく暗闇の中で光っていた金の瞳はいまは瞼に隠されている。あの氷に絡まるウィスキー色を見られないのは少し残念だった。
 雨細工よりも美しい金の髪が、夜風に吹かれて少し揺れる。急がなければ体温が下がるかもしれない。ここは寒かった。

(好奇心だと……?……馬鹿が、)

 思い出すのは気まぐれのようなファイの言葉。
 無邪気というにはあまりにも無謀な行動。子供でも知っている。ここは危険だ。
 ここにくるまでにいくつも屍めいた人間を見ただろうに、それでも怖気づくこともなくこんなところまできて、死にたいとしか思えない。

(……関係ない。俺には)

 アキシムには兄弟が4人いる。親はいない。一番年上のアキシムが、12歳のころから幼い兄弟を一人で養ってきた。
 時には盗みを、時には殺しを犯しながら。金のためならなんでもしたし、それが罪と知っていながらそうするしかなかった。
 5年前にアシュラがきてからは、この荒廃した町に住み、アシュラに死体を提供することを目下の生業としていた。
 ときにはアシュラから預かったリネを売り捌き、ときには奴隷商に『商品』を調達しながら。

(初対面の…ぬくぬく温室で育ってきたような馬鹿な人間にかけるような情なんて、ない)

 瞳が曇ったのは、一瞬だった。
 彼は夜の闇をひた歩く。その姿はピンと背筋が張っていて、警戒を怠らない。
 誰にも頼ることなく生きてきた。孤独が彼をそうさせた。
 





「アシュラはいるか」

 たどり着いた城壁の前で門番に問うと、鎧で身を固めた門番は無愛想に門を開けた。
 重い鉄扉が左右に開く音は、悲鳴に似ている。

「…随分上物連れてきたな。ここいらじゃ見ない」
「外国から迷い込んだ化け猫だ。ここのイカれ主人が喜びそうだからな」
「お前アシュラ様が寛容だからってなぁ…口は災いの元だぞ?」
「うるせぇよ。悪かったな無礼者で」
「やれやれ。……ん?おい、こいつは……」
「ああ?」

 門番は確かめるようにファイを注視した。そして怪訝な顔をする。

「アキシム、こいつをどこで拾ってきた」
「元市場だよ。なんかあんのか?」
「いや……ファイじゃ……ないよなぁ、まさか」
「……どういうことだ」
「ああ。お前は知らないか。アシュラ様のお部屋にある、肖像画の題名っつうか、人物名だよ。すげぇ美人だったから覚えてたんだが」
「……こいつ、アシュラに会いに来たとか言ってたんだけど」
「……なんかめんどくさそうだな。俺ぁ聞かなかったことにするぜ」
「俺もなんか嫌な予感してきた。こいつ置いて帰っていいか?」
「それなら報酬は俺のもんだな」
「う……」
「まぁそれはともかく、とりあえず人違いかもしれねぇけど気をつけな」
「……おう」

 アキシムはそのまま渋々と門を通りすぎ、食堂でアシュラを待った。
 アシュラのところにくるときは、いつも食堂で待つことにしている。
 そうすると気の利いた召使が、アキシムに料理を振舞ってくれるからだ。
 アキシムはアシュラを胡散臭いと思っていたが、とりあえず自分に食べ物を施してくれる数少ない人物だったのでその辺は好意を持っていた。
 出された酒と鶏肉の料理を頬張りながら、ソファに横にしたファイを見やる。その顔は青白く、時折うなされているのがなければ死体のようだった。

(ファイという名の肖像画…こいつ自身もファイと名乗っていた。本人じゃねえかよ。っていういか俺が弱らせたと思って逆ギレされるんじゃねーだろうな)

 アシュラが怒ったところをみたことはないが、あの手のタイプはキレると手が付けられないだろうと勝手に想像する。
 言い訳を考えていると、廊下に足音が響いて、やがて食堂のドアが開かれた。

「お待たせしたね。アキシム」
「…別に。奴隷調達してきたんだけど、俺が弱らせたわけじゃないから。最初から死にかけてただけだから。そこんとこよろしくな」
「……?珍しいね。前置きなんて」
「……まぁ一応、保険みたいなもんだ」

 くぃ、と親指を立ててソファを指す。
 アシュラはソファを見やって、そして、

「………ファイ………」

 顔色を変えた。
 ひどく驚いていた。

「やっぱ知り合いかよ。ジキが肖像画がどうのっつってたからもしかしてと思ってたんだけどよ。言っとくけど、本当に俺が弱らせたわけじゃないからな」
「………もう、きてしまったんだね……早すぎる……予定ではもっと……」

 アシュラは顎に手をあてて、表情を曇らせていた。
 そしてそのままソファに近寄り、ファイの頬を撫でる。
 その様はまるで愛しい者にするような優しさで、アキシムは少しの間その光景に我を忘れて魅入っていた。
 
「……おい、報酬」
「……ああ」
「そいつ、片目しかねえみたいだけど、金眼から青眼に変わるんだよ。それにどういうわけか爪も恐ろしく伸びる。武器にしてるらしい」
「……そうか」
「珍しいだろ?あんたなら高く買ってくれるよな」
「……ああ」
「聞いてんのかよ!」
「……ああ」

 アシュラは名残惜しそうにファイから手を離すと、傍に控えていた使用人に何か耳打ちした。
 使用人は無表情に一礼して部屋をさり、やがて大きなトランクケースを抱えてやってきた。
 そのケースをアシュラがアキシムに引き渡す。その中身を見てアキシムは驚愕した。

「こ……んなに……?一生遊んで暮らせるぐらいあるじゃないか!」
「君にもう一つ、頼みがあるんだ」
「……悪いけど、命に関わりそうなことはやらないぞ。いくら積まれても俺は兄弟養わなきゃいけないからな」
「難しいことではないよ。伝言を頼まれてくれればいい」
「……ヤバい相手じゃないだろうな」
「ファイとともにこの町に来た人がいるはずだから、その人に伝えて欲しいんだ」
「……」
「『ファイが死にそうだ。アシュラの城に急いで来い』と」
「……なーんか、あんたの言葉って勘繰っちまうんだよな。こんなに金用意して」
「それは君への今まで頑張ってくれたお礼もかねてね。ファイが来た以上、もうこの世界でそれは必要ないのだから」
「いや、いい。聞かない。俺あんたとあんまりかかわりたくない。もらえるもんはありがたくもらっとく」
「ああ…ふふ。君はそうだね。だから今までとても頼りにしていた」
「そりゃどーも。光栄すぎて涙がでるぜ」
「伝言、くれぐれも忘れずに頼むよ」
「わーったよ」

 この金があれば、もう死体集めなんてしなくてもいい。奴隷の調達なんてしなくていい。兄弟が飢えることもない。幸せになれる。
 アキシムは自分がひどく心浮かれてるのを自覚して、はっと身を引き締めた。

(あぶねー…浮かれてるときが一番危ないってな。死亡フラグだったらやばすぎだろ)

 トランクケースを左手に持ち、アキシムは食堂のドアに手をかけた。

「…じゃあな。今まで、割とあんたの金は役に立った」

 それは彼なりの精一杯の礼だった。
 アシュラのおかげで飢えずにすんだ、と。
 アシュラは少し微笑んで、彼の背にこちらこそありがとう、と声をかけた。その背を押すように。












end

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