TSUBASA Novel 1

□停止する身体
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 サクラ達を宿に残して北の城へ向かったファイだったが、そこは聞いて想像していた以上に荒廃していた。
 戦争があったと聞くその町は、やはり人の住まぬところは未だ荒れたままで、港から離れると倒壊した建物も多い。
 さらに北へ行けば行くほど、路上に転がる人影が多くなっていき、その眼にはほとんど生気がない。
 できるだけ人目に触れぬよう、暗がりに紛れて移動しながら、注意深くあたりを観察する。

(おかしい…なんでこんなに静かなんだろう…?)

 人影はぽつぽつとあるがどれも気配がおぼろげなほど憔悴しきっていて、動いている人間が一人もいない。
 港で人の輪をつくっていた乱闘騒ぎのような、暴力的な光景が広がっているものとばかり思っていたが…どうもおかしかった。
 

ギィィィィィン―――!!!!

「!?」

 突如静寂を破って鳴り響いた音に、ファイは驚いて建物の影に身を隠した。
 響いたのは金属と金属がぶつかるような音で、ファイのいる場所から建物一つほど離れた路地裏からだった。
 注意深く耳を澄ましていると、幾度か続いて金属音が響いたあと、やがてズズゥ、と何かを引き摺るような音が聞こえてきた。
 見つかってはいけないと脳が警鐘を鳴らすが、ここにきてから初めて遭遇した動く音のもとを確かめるため、ファイはそろり、と音のするほうを見た。
 やがて何か大剣のようなものを肩に担ぎ上げた男が、何かを引き摺って路地裏から出てくる。

(……!あれは……)

 暗闇に眼を凝らすと、引き摺られているのは血塗れの人間だった。
 表情も見えず生死の確認はできないが、その人は指の一本すら動かさず引き摺られるがままになっている。
 しばらく呆然とその様を見ていたファイだが、男達が別の建物の影に見えなくなって緊張が解けると、自分の身体がいきなり重くなるのを感じた。
 濃厚な血の匂いを思い出し、思わず口元を塞ぐ。続いて訪れる眩暈。警告のような耳鳴り。脳の裏側で囁く声。
 黒鋼の血ではない。けれど、血の匂いに触発されて渇きがひどくなるのがわかった。
 
(こんな時に……身体が……)

 何をやっている、と自分を叱咤したところで、渇きが癒えるわけでもない。
 不自然に息が荒くなり、とうとう立っていられずに膝から倒れこんだ。
 その際に木箱を一緒に倒してしまい、静寂にガタンと音が響く。
 まずい、と思ったが壁にかろうじて寄りかかった状態から身動きがとれない。

「…何の音だ?」

 遠ざかっていた足音が止まり、ドサリと音がしたかと思うとこちらに近づいてくる。足音から聞くに、さっきの『荷』を地に落してきたらしい。
 ファイは壁にもたれた体勢をなんとか保ちながら戦闘に身構えた。

シュッ――!

 男がファイのいる物陰を覗き込むのと同時に、吸血鬼の爪で攻撃をしかける。
 爪は僅かに男の頬を掠め、その反動でファイは地面に手をついた。もう一度なんとか攻撃を、と思うのに身体が鉛のように重い。
 男は攻撃をかわした瞬間殺気を顕にしたが、ファイの様子に冷静さを取り戻したらしく、静かにファイを見下ろしていた。
 黒鋼より少し若いくらいだろうか。小狼に似た髪と眼の色。けれど顔は全く違うし、今まで渡った世界の中では初対面な男だった。

「金の瞳とは珍しいな。それにその爪、化け猫か?」
 
 この荒廃した町にそぐわない、凛とした声音だった。

「ははっ…化け猫って、失礼だなぁ」
「口は利けるようだな。随分弱っているようだが、リネが切れたか?」

 『リネ』…初めて聞く名だがこの地区でこの状況だ、薬物のことだろうと合点して、ファイはへらりと笑って見せた。
 そうしている間にもどんどん渇きがひどくなる。この男からは血の匂いがしすぎるのだ。体中の血がざわついて気持ちが悪い。

「…似たようなものですかねー?」

 答えると、男は冷ややかな目でファイを見たあと、フン、と何か思いついたように鼻で笑った。
 そしてファイの両手を後ろ手に拘束し、肩に担ぎ上げる。

「っ!」
「お前は高く売れそうだ。アシュラにふっかけてやる」
(アシュラ……!)
「大人しくしてろよ。そこに転がってるのみたいに斬られたくなかったらな」
(どうしよう……爪で攻撃は出来ないし……このままこの人に連れて行かれたら『アシュラ』に近づけるかな……?)

 うーん、と悩んだのは少しの間で、ファイは考えるのをやめた。
 ひどく喉が渇いていたし、拘束された手首が痺れている。意味のない抵抗は体力を消耗するだけだ。
 サクラが心配するかもと思ったが、うまく羽根を取り戻して帰れたら結果オーライだろうと思うことにした。
 もっとも、この飢えが回復する見込みがない以上、羽根を取り戻せる可能性など低いのだが…。
 ともすると脱力して思考停止してしまいそうな意識を保つため、ファイは男に会話をもちかけることにしてみた。

「君すごい力持ちだねー。オレ結構身長あるのにー」
「さっき殺ったヤツに比べたら半分だからな」
「ふーん…なんで殺したのー?」
「何故そんなことを聞く」
「んー。…興味?オレ外国から来て、この町はじめてでー」
「はっ。そいつは災難だったな。でも同情はしないぜ。この町じゃよくあることだ」
「あはは。それはざんねーん」
「この状況でへらへらと…薄気味悪い男だ」
「んで、何で殺したのか教えてくれないのー?」
「…あいつはリネに侵されてた。道端でボソボソ恨み言吐いてて耳障りだったんで蹴り飛ばしたら斬りかかってきやがった」
「あー、そういえば戦う音がしてたような」
「アシュラってやつが死体を集めてるんで、ついでにそいつに売ろうと思って運ぼうと思ったらあんたを見つけた」
「……死体なんて何に使うのー?」
「さあな。あいついわく、蘇生実験だかなんだか…脳みそイカれてるヤツの考えることはさっぱりだ」
(蘇生……)

 誰も彼も、どこの世界でも、やはり死は受け入れがたいことなのだろう。
 自分がそうであるように、飛王がそうであるように、この世界のアシュラもまた。

「ってことはー…オレもしかして死体にされちゃうんだー?」
「さあな」
「あはは」

 笑うファイに、男は怪訝な顔をした。
 けれど「アシュラ」に殺されるなら、それは悪くないような気がしている。
 どうせこのままでは飢えて死ぬのだ。 

「君はリネはやらないのー?」
「あんなもの、自殺するためにやるようなもんだ。俺は死ぬ気はない」
「でもここの人たちは結構やってるみたいだけどー」
「あれは正気のまま理性を失わせる」
「…うーん?」
「些細な感情の揺れをそのまま外に出しちまう。我慢がきかなくなる。自分が何をしているか理解しながら衝動を止められない。獣以下だ」
「んー…それ、使う意味あるの?正気のままってかえって辛いんじゃないー?」
「疲れを感じなくなるし、精神力も体力も強くなる。なんにでも強気になれるっつーか……なんでこんな細かく説明しなきゃなんねぇんだよ。バカバカしい」
「あはは」
「ところで化け猫」
「ファイって呼んでいいよー」
「…ファイ。お前さっきまで瞳の色、金じゃなかったか」
「青に戻ってるー?」
「変化するのか?」
「珍しいでしょー?」
「左目の眼帯はどうした」
「眼球おとしましたー」
「誰かに売り飛ばされたか。…惜しいな。こんなに珍しければ当然か」
「あ、君もオレの眼ほしいとか?」
「…金になりそうだからな」
「まいったなぁ。さすがに両目ないと大変っぽいしー。ははっ」
「知ったこっちゃねぇよ。他人のことなんて。自分と…家族のことだけで手一杯だからな」

 言葉尻を濁した彼の様子に、ファイは少し彼のことがわかった気がした。
 この地区にいながら薬物に染まらず、そのくせ死体集めなんてして金を稼ごうとする彼は、きっと養う家族がいるのだろう。
 生きるためには手段を選んでいられない。そんな人間はこの世界に来る以前にも幾度も見てきた。
 
「だからこれからお前が殺されようが、知ったこっちゃねぇ」

 少し自分に言い聞かせるような、その強い口調が、彼の心を抉るのが見える気がした。

「別にいいよー。アシュラって人のところに用事があったしー運んでもらってらくちーん」
「お前…わかってないのか?殺されるかもって言ってんだぞ」
「うん?わかってるけど?」
「アシュラの知り合いかなんかか?」
「ううんー。この町のボスだって聞いたからどんな人かなーとおもって会いに来ただけー。好奇心は身を滅ぼすってほんとだねぇ?あはは」
「……馬鹿が」
「えー?ひっどい言い草ー……ッ……」

 ドクン――

「……っ……う……」
「どうした?」

 会話で紛らわせていた渇きの波が、衝動的に強くなって、ファイは口を閉ざした。
 血液がありえない速度で体中を巡り心臓を酷使する。
 世界が色を失い、宙に放り出される感覚。失くした左目がギョロギョロと辺りを観察するおぞましい感触。

「は、っは…ぁ…っはぁ…っ」
「おい。病でももってんのか?薬はないのか?」

 これから行けば殺されるかもしれない場所に連れて行こうとしている癖に、彼は少し焦っているようだった。
 変色する瞳や伸びる爪の希少価値から、生かして連れて行きたいと考えているんだろうか。

(それとも…会話しているうちに情でも湧いちゃったのかな…そうだとしたらかわいそうなことをしたかもしれない…)

 自分の思考はあながち間違っていないだろうと思いながら、「ごめんね」と一言告げて、ファイは意識を手放した。












end 

 

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