TSUBASA Novel 1

□縋る者
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「ファイ…一人で行っちゃったの…」

 そう告げたモコナの口から「アシュラ」の名前が出た瞬間、黒鋼の額にビキビキと血管が浮き上がった。
 夜魔の国でも聞いたその名は、昨夜気を失った魔術師が寝言で呟いたその名でもあった。

「お城の場所をみてくるだけだって言ってたけど…でもなんだかファイ、変だったの!わかんないけど…なんだかすごく……急いでるみたいで…顔色も悪かったし…」
「アシュラの城……か。黒鋼さん、どうす……黒鋼さん?」
「……」

 黒鋼の顔を見た瞬間、小狼は冷や汗が滲むのを感じた。
 飢えた獣のような、憎悪の塊を飲み込んだような、冷酷な瞳をしていた。

「くろ……」
「…俺ぁ知らん。放っておけば戻ってくんだろ」

 そう告げて、黒鋼はさっさと自室に消えてしまった。
 残された小狼とモコナは、顔を見合わせる。

「ねぇ小狼、やっぱりなにかあるのかな…この町…」
「ああ……」
「さっきの黒鋼の顔、すごく怖かった。ファイのこと、ほんとにほんとに嫌いになっちゃったのかな…」
「……」

 ここ最近の黒鋼とファイの様子は悲惨だった。 
 5人でいるときはそこまであからさまではないが、確実に二人の間には冷たい壁が巡らされている。
 ファイが拒絶すればするほど、黒鋼が冷酷に変貌していく気がした。

「今は信じよう…今すべきことは、ファイさんが無事に帰ってくるまでサクラ姫を守ることだ」

 ピッフルでのファイの言葉が、また小狼の脳裏をよぎった。
 自分のことではないが、自分のことのようにその眼で見てきた。
 歴史を変えたことを思い病む小狼に、ファイは今するべきことをするようにと言ったのだ。
 とても柔らかく、幼子をあやすような優しい口調で。

「今俺がファイさんを探しに出てしまったら、行き違いになったときいらない心配をかけてしまうし」
「うん…そしたらサクラ、また悲しくなるね」
「朝になって戻らなかったら…そのときはみんなで探しに行こう」
「うん……」

 そうならなければいい、と思った。
 出来るだけ早く、帰ってくるようにと。





 一方自室に戻った黒鋼は、途中で買った酒瓶をあおりながら『アシュラ』のことを考えていた。
 いや…正確にはアシュラのことではない。
 『アシュラを想っているファイのこと』だ。

(アシュラ……か。そいつはお前のなんなんだ…?)

 ファイを気絶するまで抱いた昨夜、意識のないファイに後ろめたさのようなものを感じて、しばらくその寝顔を見ていた。
 仰向けに寝かせていたファイが、寝返りを打とうとして黒鋼にぶつかり、そのまま黒鋼の肩に頬を寄せて寝息を立てたかと思った矢先にファイが呟いたのがその名だった。
 確かに、「アシュラ王」と呼んでいた。

(陣社で「アシュラ」の名に反応した理由を聞いた時ぁ、邪魔が入ったが…あいつが逃げ続けなければならない理由でほぼ間違いねぇ。追ってくる可能性があるからあんな反応してんだろうが……だが…、)

 ファイにとってのアシュラ王は、今まで何か怨恨めいた関係だと勝手に思っていたが、ファイはその名を、黒鋼の体温に縋りながら呟いたのだ。
 他人の身代わりにされた。
 そのことに今は怒りを感じるが、昨夜は呆気にとられる気持ちのほうが強かった。
 無意識とはいえ、ファイが他人に縋ることが、信じられなかったのだ。
 それに認めたくはないが、何故自分ではない他人に縋るのか、という嫉妬もあった。

(ちっ……頭が冷えねぇ……)

 酒瓶を一本空けてもまるで酔いはしない。
 露店で適当に店主に選ばせたものだったが、飲んでみればあまり上等なものではなかった。

(アシュラの城に、何しに行った…?わざわざ夜半に俺達と別行動をとる理由はなんだ?)

 黒鋼もファイ達同様、治安の悪さについては町の者から情報を得ていた。
 その中で特に気になったのが、大量に出回っている薬物のことだ。
 名を『リネ』と言うそれは、一時的に疲労を回復させ、体力、精神力を増幅させる。
 増幅させるというよりは、人間が無意識に押さえ込んでいる力を無理矢理引き出させるといったほうがいいかもしれない。
 依存性が高く、クスリの効果が消えた際の喪失感に耐えられず発狂する者すらいるらしい。
 この町の裏側はそれに犯され、夜はより顕著にその密売が行われ、そのために中毒者絡みの揉め事も日常茶飯事なのだと聞いた。

(蹴り飛ばされて立ち上がれねぇくらい、体力消耗してやがんのに)

 そんなに犬死したいならそうすればいい。
 そう思おうとして、思えなかった。結局はどうしたって死なせたくないのだ。
 それがエゴでも、なんでも。死ぬより酷いことを強いたとしても。
 勝手に死ねばいいと思うたびに脳裏に浮かぶのは、力なく寂しそうに微笑む、ファイの顔だった。
 そんな顔をいつ見たのか、黒鋼はよく覚えていない。
 いつもそんな顔をしていた気もするし、一度も見ていないような気もしていた。

(あいつの笑った顔、どんなだったか…)

 ゴトリ、と酒瓶を床におろす。
 
(フン……今更だな……)




 結局その晩、ファイは宿に戻らなかった。










end

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