TSUBASA Novel 1

□羽根の影
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羽根の影









 ごった返す露店街から少し歩くと、海に臨む広場に出た。
 こちらはパントマイムや手品を披露するピエロが数人いるかと思えば、その横では何人かのチームが乱闘していたり、賭けごとらしきものをしていたりと、いくつかの人の輪ができている。どうやら見世物をする場らしい。
 港の男、とでもいうのだろうか、屈強な体格の男が多いのが気になった。
 サクラなど押さえ込まれたら元も子もないのははじめからわかっているが、今の自分もそれは同じだった。
 ファイは元来、黒鋼や小狼と違って腕力や体力に頼る戦い方ではない。
 相手と一定の距離を保った上で、なるべく攻撃を避けつつ消耗しないことが前提の戦闘スタイルだ。
 つまり、押さえ込まれないように立ち回ることはできるが、一度押さえ込まれたらそれを撥ね退けることが難しい。
 飢えのため、集中力が若干杜撰になっている自覚があるだけに、ファイはそれと気づかれぬよう神経を張り巡らせた。
 前後左右に神経を張り巡らせても、気づくと意識が逸れている。
 背筋にじんわりと嫌な汗が浮かんだ。

「お嬢ーちゃん」

 唐突に声をかけてきたのは、ニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべる大柄な男二人だった。
 どちらも肌蹴た身体のいたるところに刺青がほどこされ、その上に下に蚯蚓腫れのような傷痕が浮かんでいる。
 さりげなく半歩前に出て、サクラを自分の背後に…逃げやすい位置に隠す。

「こォんなところでうろうろしてるとォーあぶねぇぜぇ?」
「アブネェ!ヒャッハ!」
「お嬢ちゃんとォおニイちゃんはァ、なにしてんのォ?」
「ヒャヒャヒャ!」

 何がおかしいのか、男達はやたら値踏みするように二人をじろじろと見ながら行く手を阻んでいる。

「…見たとこ外国から来たばっかってトコだよなァ?イロイロ教えてやろォかァ?」
「えー?いいんですかー?助かりますー」

 おそらくただ案内をしてくれるだけでは済まないだろう。
 しかしファイは無知を装い、へにゃりと笑った。
 警戒心を悟られぬ笑み。慣れたものだ。
 自分に敵意や警戒心がないことが伝われば、相手だって大抵は油断する。退路を確保するには敵の油断を誘うのが一番だ。
 ずっとそうしてきたし、これからもそうするつもり。
 ただ一人、黒鋼と対峙するときを除いて。

「この町ってーすごい栄えてますよねぇ。迷っちゃってー」
「アァー…ここはアシュラが仕切ってからずっと騒がしいぜェ?」

 ファイの瞳に一瞬冷たい光が宿った。

『アシュラ』

 その名前には毒がある。狂おしいまでに甘美な、絶対的な毒。

「…アシュラというのはー?」

 ひたすら平静を纏おうとする思考と裏腹に、心臓が早鐘を打つ。
 昨晩の夢が脳裏を駆けた。

「まァひらたく言やぁ、この町の裏のボスだ。5年くれぇ前にいきなり現れて戦争で廃れてた町をこんなんにしちまった」

(5年前に突然……か)

 ファイはサクラにちらりと視線を移した。
 サクラが僅かに頷く。
 ある日突然力を持った人間が現れた、という話は羽根に関わる旅のなかではよくある話だった。

「まァ、裏じゃヤバいクスリばら撒いて金儲けしてやがる、えげつねぇヤローだよ」
「ヒャヒャッ」
「こぉのバカなんかすっかりアシュラのクスリに毒されやがってヨォ」

 さっきから奇声じみた笑い声をあげている男を、男がゴン、と小突いた。
 イテェ!とわめいて抗議する男を見ると、なるほどどこか瞳が濁っているように見えた。

「その人って、この町にいるんですかー?」
「北にあるばかでけェ城に住んでるぜェー。でも行くのァよしたほうがいいなァ。近づけば近づくほどこいつみてぇなアホが大量に湧いてやがるからなァ」
「行きませんよー。ご忠告ありがとうございますー」
「この町じゃァ奴隷商も多いからァ、アンタみてぇなヤサ男とカワイーお嬢ちゃんのペアなんてあっぶねーぜぇ」
「あははー。こわいなぁ」
「わかったらさっさと帰るこったァな。日が暮れりゃぁヤベェのがどんどん出てくっからなァ」

 男の言葉は意外だった。
 本当にただの案内をしてくれるつもりだったのかもしれない。
 それでもサクラと行動している以上、絶対に気は抜けないし、警戒を緩める気もないのだけれど。
  
「あなたみたいに親切な人もいるみたいですけどー?」

 そういうと、男はケッとそっぽを向いた。
 ああ、黒鋼みたいだ。
 一瞬脳裏にその名が浮かんだ。

「からかってやろォと思っただけだ。びびって逃げ出すかと思ったら、あんたら全然毒気ねぇからよォ。逆に心配だぜ」

 最後はぼそりと呟かれただけだったので、ファイやサクラの耳には届かなかった。

「まァ俺達ァたまたま珍しくシンセツだが?いきなりキレて暴れるやつもいるしィ?気ィつけな」
「はーい」
「ありがとうございます」

 ファイがひらひらと手を振る。
 サクラがぺこりと頭を下げる。
 大柄な男がもう一人を引き摺るように引っ張ってファイたちに背を向け、乱闘している人の輪に向かっていった。
 それを見送って、ファイがサクラに笑みを向ける。

「見つかりそうだね?」
「…はい」

 サクラが笑みを造ろうとして、失敗していた。
 
「今日はとりあえず戻ろうかー。何か食べたいものはある?」

 ふらりと歩き出すと、サクラがそれに従ってついてきた。
 足を引き摺る音が、朝より長めになっている。
 エスコートしようとひらりと手を差し伸べると、サクラは素直に手を差し出した。

「…ごめんなさい」

 以前のサクラなら、ありがとう、といって笑ったはずだ。
 今はただ視線を落し、申し訳なさそうにしている。
 それが悲しくて、ファイはにこりと笑った。










 宿に戻ると、サクラは倒れこむように床に崩れ落ちた。

「サクラ!」

 モコナが叫ぶ。ファイが咄嗟に受け止めたので、衝撃は免れたようだった。

「すみません…大丈夫です」

 痛々しくて、見ていられない。彼女の傷を変われるものなら変わってやりたかった。
 死ぬわけにはいかないけれど、足や腕や…身体のどこだって、サクラのために差し出すなんてファイにはわけのないことだ。
 それを彼女が悲しむことは、わかっているのだけれど。

 ファイはぽん、とサクラの頭に手をおいて、優しく笑った。

「今日はたくさん歩いたし、緊張しちゃったしねー?オレもちょっとくたびれたしー」
「私の歩調に合わせてくれて…時間も無駄にかかってしまって」
「そんなのは気にすることじゃないよー。オレ、もともとだらだら歩くほうだもん」
「でも…」
「できること、ちゃんと頑張ってるよ。サクラちゃんもモコナも。それに情報だってつかめたじゃない?」
「……アシュラ、という人、どんな方なんでしょうか」

 ずっと考えていることだった。
 そうでなければいい、と思い続けていることだった。

「んー。夜魔の国で見た、あの人と同じ魂だったりするのかなー?まぁ見てみないと、同じ名前の人なんていくらでもいるだろうしねー」
「私が会った阿修羅王様は、とても美しい人で、臣下の方皆に慕われてました」
「オレも見た見たー敵だったけど、なんかすごい綺麗な人だなーって」

 あの阿修羅のほうならば、小狼やサクラのほうがよく知っているだろう。
 ファイにとって問題なのは、セレスのアシュラと姿形が同じあった場合、自分が冷静でいられるかということだった。
 たとえ魂が同じだとしても、違う人生を生きた違う人間だ。
 けれど、もし戦うことになった場合、

(オレはあの人を傷つけられないかもしれない…)

 願いを叶えるために邪魔になるものはなんだって排除するつもりだったのに。
 一度温もりを与えられた心はそれを消せない。
 何度凍てつかせても、忘れられない。
 怖い。

 ファイはサクラを抱き上げて、部屋のベッドまで運んだ。
 そしてモコナに告げる。

「オレ、ちょっとその辺みてくるからー、サクラちゃんおねがいねー?」
「え…っ、一人で!?」
「ファイさん、それなら私も、」
「大丈夫大丈夫ー、ちょっとお城の場所見てくるだけだからー」
「もう暗くなるよ!?暗くなったらどんどん危なくなるってさっきの人言ってたじゃない!」
「オレ強いしー、大丈夫だよー」
「でも顔色悪いよ!?ファイずっと何も食べてないじゃない!」

 モコナが必死で止めるのに、ファイは苦笑した。

「あはは。ばれてたかー」
「わかるよ!だからダメ!危ないもん!」
「ファイさん…」
「ごめんねぇ。気になるんだー。お城見つけたら、すぐ戻るからさ」

 ファイは二人の制止をやんわりと拒否して、今しがた入ってきた扉から出て行った。
 いつもの彼なら、二人に止められれば「それもそうだねぇ」なんて言いながら、どちらでもよかったような顔をしてその場にとどまっていただろう。
 サクラの胸に不安が宿った。







 


 


end

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