TSUBASA Novel 1

□裏路地の暗がり
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裏路地の暗がり











 この世界に羽根がある。
 そう告げたのはモコナで、サクラはそのワードに戦慄する。
 そのことは彼女にとってもう、失われた記憶が戻るとかどうとかの話ではなくなっていた。
 羽根があるということは、あの小狼がくるかもしれない世界だということだ。
 会いたい人に会えるかもしれない。けれど出会ったとしてそれがプラスになるとは限らない。
 もしかしたらもっと残酷な結果になるかもしれない。
 その状況は、アシュラとファイの関係に少し似ていた。
 アシュラに会えば、ファイは彼を殺すかもしれない。
 けれどあの暖かな眼差しにもう一度出会いたい気持ちは拭えなかった。夢にまでみるほどに。
 だからファイは思う。

(この眼が小狼くんを見つけたら…サクラちゃんに会わせちゃいけない)

 サクラが小狼に出会う前に、なんとかしなくてはならない。

(それで小狼くんを殺すことになったとしても…)

 大切な者を守るために、大切な者を殺す。
 それはずっとずっと、ファイの旅の根本にあり続けるものだった。
 まるでそれ以外の方法を知らないかのように、ずっとファイはその思考から離れられない。
 それを毒だと知っていながらその餌を喰らい続ける魚のように。
 苦い苦いそれを、薬だと偽って笑ったのは気まぐれな狩人で、魚が狂う瞬間を、今か今かと観察している。


「ここ…」
「なぁに?小狼くん」
「ここ…なにかおかしくないか?」

 言われてあたりを見回せば、賑やかな露店の裏路地にいくつかの暗い影があった。
 よく見るとそれは生気を失った人間で、人々はそれを見えないもののように意識からシャットアウトしている。
 あんな表情をした人間を、ファイは今までの世界でもよく見つけていた。

「あー…あれね。この町の貿易、結構栄えてるみたいだからねぇ」
「?」
「いいものも悪いものも、いろいろはいってくるんだろうなぁ、ってことー」

 たいていどこの国でも…そう、栄えている国であればあるほど、光と影のようにアレは存在していた。
 意識的にサクラや小狼に見せないようにしていた、でも自分は気づいていた、世界の裏側。

「ドラッグだよ」

 サクラに聞こえないように、小狼に告げる。
 小狼ははっとして、それから納得したように「そうか」と呟いて視線をまた彼らに向けた。
 その眼はまるで憐れんでいるようだったが、いぶかしんでいるようでもあった。

「サクラちゃんを余り人気のないところに近づけないようにしなきゃね」

 小狼はその言葉に頷いて、サクラに気づかれぬように視線を送る。
 その真摯な眼差しは、ファイをより一層切なくさせるが、それだけだった。

「羽根までの距離はどれくらいだろうか」
「近くにあると思う!」
「それじゃあやっぱりこの辺で情報収集がいいかもねぇ。人も多いし?」
「ああ」
「それじゃーそれぞればらけて情報収集してー、宿で合流、ってことでいいかな?サクラちゃんとモコナは、オレと行こうかー」

 サクラはファイの言葉に少しほっとしたように、でもそれと気づかれないよう僅かに息を吐いて「はい」と答えた。

「今日は何か掴んでも踏み込まずに、大まかな情報収集だけにしたほうがいいかもしれない」
「うん、了解ー」

 小狼がそういったのは、裏の治安の悪さを懸念してのことなのだろう。
 ファイもそれを察して頷いた。
 ふいに小狼と視線がぶつかる。彼の鳶色の瞳が、何かを訴えようとしていた。

「…大丈夫か?」
「んん?」
「顔色が悪い」
「ん…ああ、サクラちゃんね。昨日もあまり食べていなかったから…それにここのところ、あまりよく眠れてないみたいだし」
「…気づいていないのか?」
「?」
「いや…いい。サクラ姫を…早めに宿に帰らせて休ませてくれ」
「うん。大丈夫だよー。君もあまり心配しすぎないで…サクラちゃんには絶対怪我させたりしないから」
「…ああ」



 二手に別れ、ファイとサクラの姿が見えなくなった後、小狼は無言で様子を見ていた黒鋼に向かって溜息をついた。

「やはりあの人は…難しいな」
「……どっちのことだ」
「どっちもだけど、ファイさんは…自分のことをあまり省みないようだから」
「……」
「…食事はとっているのか?」
「前の前の世界から、一滴も飲んでねぇな」
「……そうか」
「小僧」
「?」
「俺は今回は、あいつが飲むというまで、強要しねえ」
「……けれどそれは」
「あいつが限界でも」
「あの人には難しい」
「それで終わるなら、それがあいつの願いなんだろうよ」
「あの人を生かしたいという貴方の願いは、終わってしまったのか?」
「……さぁな」

 黒いマントで口元を隠した黒鋼の表情は、小狼からは見えない。
 ただ、黒鋼からファイに対して向けられるものが、小狼やサクラに向けられるものとは異なることに、小狼は気づいている。
 黒鋼の本来もつ不器用な優しさや、筋の通った思考や、芯の強さは、今はあの裏路地に潜む暗闇に隠れてしまった。
 恵みの雨も降りすぎれば大地を腐らせるように、行き過ぎた愛情は人を狂わせる。
 そして残るのは無惨な屍であり、心はそこに留まれない。

(あの人はきっと死んでしまう)

 東京を出てからの旅の中、その予感が小狼から離れられずにいた。













end


 

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