TSUBASA Novel 1
□被害者と加害者
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加害者と被害者
商業都市だからなのだろう。割とすぐに宿は見つかった。
宿は出稼ぎの商人が手を出しやすいようにか、部屋数も多く、価格は抑え目だったので、4人別れた部屋で休むことが出来た。
モコナは女同士ということでサクラと一緒にいる。
もちろん性別が違っても、きっと今のサクラを一人にはしないのだろう。優しくて聡いあの生き物は。
「……何か用?」
だからファイはノックもせずに(彼がノックしたことなんてないけど)入ってきた男を見咎めて顔を顰めてやった。
そのしかめっ面に負けないほど、来訪者も凶悪な表情を隠さずに威圧してくる。
「昼間とは随分態度が違うじゃねぇか」
鼻で笑いながら投げ捨てられた言葉は、誰に拾われることもなく木造の床に落下した。
ファイにとっては昼間の行動は至極当然の、そして『そうあるべき』姿だ。ファイはそう信じている。
それに黒鋼を巻き込んだからといって咎められる筋合いはない。
黒鋼だってなんだかんだ言いつつ、今までサクラを守ってきたし、それは戦闘が好きだからとか年長組みだからというだけでないことは明らかだ。
今のサクラを心配していないわけがないし、だからこそ文句を言いつつあの甘いフォンダンショコラを一口で飲み込んだ。
あの時の嫌そうな顔といったら、今でも思い出すだけで笑ってしまう。
「美味しかったでしょー?フォンダンショコラ……っぐ――!!」
喉元を掴まれてそのまま壁に縫い付けられた。ゴン、と鈍い音がしたのを頭蓋骨で聞く。
衝撃を和らげる受け身がとれなかったのは、エネルギー不足のせいかもしれない。
少し目の前が暗くなって、眩暈を起こしたのだと気づく。
喉を押さえつける掌が緩まず、息苦しさに目頭が熱くなって、目を閉じた。
「なんのつもりだ」
何が?と頭の中で考えて、先ほどの黒鋼の言葉を漸く思い出す。
この状況で答えろというほうが無理だろう、この人本当は馬鹿なんじゃないのか、と心の中でごちる間にも、苦しさに意識が遠のいていく。
ああ、死ぬな、と思って、身体の力を抜いた。まるで死体の予行演習のようで、少し変な気分になる。
笑っていたかもしれない。
バチン!
一瞬意識が暗転した直後、ひゅ、と首が開放されて、いきなり大量の空気が入りこんでくる衝撃に咽た。
それと同時に頬を張られて、遠のいた意識を無理矢理呼び起こされる。
これでは台無しだ、と、くらくらする頭を抱えながら黒鋼を見やると、苦しそうな視線と重なった。
(ああ、そうだ……)
だからファイは誘われるようにその紅い瞳に手を伸ばす。焔のようだと思っていた紅が、今は暗闇と混ざって錆のようだと思った。
(君は、オレを殴りたくないんだ。きっと)
けれど頬に触れそうだと思った刹那、そこで指先を止める。
(でもこの距離は、触れられる距離は、これから先を辛くするだけだから)
触れられずに床に落ちたファイの腕を、黒鋼がどう思ったか、ファイにはわからない。
ただ、ファイが思う黒鋼は、戦闘好きである以上に、筋の通った、芯の強い男であったから、今のファイと自分の立場が辛いだろうというのは想像に難くなかった。
(躊躇わずに殺してね)
残酷なんだろう、こんなふうな関係を続けさせることは。
できるだけ早く終わりますようにと、ただ願うばかりだ。
(いつかでいいからさ)
この腫瘍のように内部で膨れ上がる願いが、誰かに届くことはない。
唯一黒鋼だけがその異変に気づける位置にいたのだが、今の彼にはただ目の前で死体のふりをする木偶しか映っていないのだ。
それはあまりにも遠く、触れられない距離。
(もし君がオレを殺せなかったら、そのときは、)
呪いとともに背負った運命を思い出す。
飛王の言葉がこだまする。
最初から決めていた。最初から殺すつもりで、隣に立ち続けた。
「オレ、君の事殺しちゃうかもー」
出会う前から決めていたこと。
それは予言ではなかったけれど、決められた道筋であることは事実。
オレのもう一つの、「そうあるべき」姿に他ならない。
「出来るもんならやってみろよ」
低く唸る声が挑発する。どのようにとったのかは定かでないが、一応は自分の殺意が伝わったことに安心する。
だからファイはその道筋が真実にならないように、出来るだけ黒鋼が自分を殺してくれるように、笑って言った。
「出来るよ、出来る。とっても簡単だよー今の君なんてもう瞬殺?」
「やってみろ、っつってんだよ」
「こんな風に無抵抗でいるだけで、勝手に死んでいくんだから。君の心、弱すぎ」
「っ――!!」
風を切る音。少し遅れて爆弾を投下されたかのような衝撃が鎖骨に走る。
「!!っ……ぅ…!」
振り下ろされた拳に手加減はなかった。
攻撃を受けたのは鎖骨なのに、何故か圧迫されすぎて息が詰まった。
これは骨が砕かれたかもしれない。
けれど急所でもない場所に狙いをつけるだけの理性がまだ残っていることが煩わしい。
どうせならもっと致命的に、頭蓋骨を割ってくれれば面倒がないのに。
「……、ね、……言った……でしょー……?」
苦い、苦い顔をしている。彼の泣きそうなその頬に触れたいと、思う。
けれど今は自制心のほうが勝っているし、挑発しておいて慰めるなんてことしたら、自分で自分を許せなくなる。
だからファイにはもう、笑うしかできない。
涙が頬を伝うのは、気のせいなのだ。
もう、笑うしかないのだ。笑うしか。ない。
(こんなに泣きそうな君の顔を、もう見たくないと思うのに)
被害者はその拳を痛めた君なのだから。
end