TSUBASA Novel 1

□羊飼いの微笑
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羊飼いの微笑










 降り立った世界は苦笑してしまうほど活気があって、そこらじゅうで物売りが手招きして叫ぶようなところだった。
 露店に並ぶ髪飾りなんかの装飾品たちが、一斉に愛想のような光をきらきらと振りまく。
 サクラちゃんが喜ぶかもと、ファイは心の中で一瞬思って、以前なら、と付け足した。
 案の定隣を歩く彼女の表情は硬く、視覚的な羽根の情報を求めて張り詰めた緊張を崩さない。
 きらめく装飾品など、その視界に存在していないかのように。

(この横顔は綺麗だ)

 胸が苦しい、と、思う。
 もう戻らない時間を愛しむ権利などないというのに。その焦燥は拭えない。
 
(可愛かったのに)

 もう自分達はただ自分の願いのために生きるしかない。強欲に、貪欲に、無様に足掻きながら。
 自分にとってそれは旅の最初から変わらない状況だけれど、彼女は違うとファイは思う。

(変えてしまった)

 ファイはずっとサクラを見てきた。
 断罪のスケープゴートを守る羊飼いのように、優しく見守り、いつしかそれは愛情となった。
 しかし犠牲なくして兄弟が蘇ることはないと知っている。
 どんなに死を願っても、どんなに運命を呪っても、兄弟を蘇らせるという誓いは忘れられないし、違えようとも思えない。
 他に道がないものか、と、ファイはずっと考えている。
 それは移動呪文を使えるよう、口笛の練習を始めた頃からずっとだ。
 もともとは黒鋼を殺さなくてはならなくなったとき、彼を他の次元に…出来うるなら日本国に飛ばしてしまおう、という思惑からだった。
 そのことを、ファイは忘れよう忘れようと思い続けている。

「サクラちゃん」

 ぽん、と肩に手を置くと、彼女は大きな翡翠の瞳をパチ、と瞬かせてファイを見た。
 何か深く考えていたような動作に気づかないふりをして、笑顔を向ける。彼女も小さく微笑む。

「あっちから美味しそうな匂いがするんだー」

 いってみようよ、と手をとると、彼女は「でも」と困惑したように小さく身じろいだ。

「とーっても甘い匂いがする」

 彼女の曇った表情が拭えない。どうしたらいのだろう。どうしたら彼女は笑うのだろう。

「ね、いこうよー」

 いいよね?と後ろを歩いていたはずの黒鋼や小狼に視線を向ける。
 黒鋼は嫌そうな顔をしたが文句は言わない。小狼は困ったように笑って頷いた。

「ほら、みんな行くって言ってるしー。いこー?」

 半ば無理矢理、でも彼女の足の負担にならないようにゆっくりと進行方向を変えて歩く。
 この匂いはきっとケーキか、タルトか、そんな焼き菓子の類だろう。
 まだ年端の行かぬ女の子が、甘い物を食べて、少し気持ちを穏やかにするくらい、許されるはずだ。
 以前の小狼にも言ったことがある。

 『辛いことはいつも覚えていなくていい。忘れたくても忘れられないのだから』

 その言葉を自分に言い聞かせるようにしてずっと生きてきた。
 それでも忘れたことなどない。
 楽しければ楽しいほど、嬉しければ嬉しいほど、次の瞬間には夢が覚めるように自分の立場を思い出して愕然とする。
 その繰り返しで絶望の壁は深くなる一方なのだ。

 たどり着いた店はやはりケーキ屋のようで、さきほどの装飾品のように美しくデコレートされた商品が並んでいた。

「どれにするー?」

 少し屈むようにして、ガラスケースの中のケーキを指差すと、彼女はやはり困ったように笑うだけだった。

「この町なら宿もとれそうだしー、持ち帰りでいいよねー?」

 問答無用であれとー、これとー、と注文して、さっさと詰めてしまう。
 ほかに欲しいのはない?と問うが、やはり首を振って寂しそうな顔をしている。
 どうしたらこの子は笑ってくれるのだろう。
 どうしたらこの子を癒せるのだろう。
 わからない。
 彼女の仕草一つ一つに、救いを探し出そうとして、いつも失敗する。
 幸せに、と願う人ほど、不幸に嵌って行く。怖い。

 







 サクラは綺麗に陳列した菓子を楽しげに、…いや、楽しそうなふりをして選びはじめたファイを、ただ悲しく思った。
 その指先が選ぶのは、イチゴの乗ったケーキやら、林檎のタルトやら、どれもサクラが好きだったものばかり。
 彼がずっとサクラを気にかけ、好物も趣向も熟知していることが一目でわかる。
 けれど、彼は気づいていない。

(ファイさんは、食べられないのに…)

 黒鋼はもとより、サクラを気遣って距離を置く小狼も、それを一緒に食べようとは思わないだろう。
 そしてファイ自身は、黒鋼の血以外を受け付けない……。
 今のファイが甘いものを欲しがるわけがない。
 それなのにこんなことになったのは、彼が痛いほどサクラを気遣い、心配しているからだ。
 夢の中で壊れてしまったファイと、今のファイがどうしても重ならない。
 こんなに優しい人を壊してしまう、自分の魔力が、存在が、憎いと思った。
 
「モコナはどれがいい?」

 彼がモコナに問いかける。モコナは全部!と答えて笑われていた。

「オレはコレにしよっかなー」

 その言葉に全員が固まった。

「…てめぇはいらねぇだろ」

 全員が心の中で疑問に思っていたことを、あっさりと口にしたのは黒鋼だった。
 ファイは人好きのする笑顔をたたえて箱に追加のフォンダンショコラを詰める。

「君が食べたら俺が食べたことになりまーす」
「くわねぇぞ」
「またまたーご冗談をー」
「絶対ぇ食わねぇ」
「じゃあオレも飲まないしー」
「おーそうかよ。餓死だな」
「モコナー、おなかすいたよぉー血が飲みたいよー」
「ファイィィィ!黒鋼!非道!責任とるっていったくせにぃぃ!」
「あぁあ!?なんだと!」
「さ、三人とも落ち着け…」

 おどけたようにしくしくと泣き真似をするファイに、悪ノリするモコナ、意地っ張りの黒鋼、オロオロする小狼。
 一瞬時が戻ったような不思議な感覚に、サクラは嬉しいような、泣きたいような気持ちになった。
 だから笑った。
 そしてサクラは思うのだ。

 ファイはいつも笑っていた。と。

 


 




 




end

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