TSUBASA Novel 1

□迷える殺意
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迷える殺意












 もう許して、
 もう終わらせて





 ファイ……





 時間を止めたファイの背中に許しを乞う。
 ファイはただ、首を横に振る。長い髪が残酷に揺れる。そして振り向くことなく言うのだ。

『まだ生きて―――』


 幾度となく繰り返される夢。
 自ら作り出したこの幻影が、オレを死なせぬ枷で鎖で呪いだった。
 俺はいつもファイの背中に祈る思いで死なせてほしいと懇願し続ける。
 ファイはそれを静かに否定する。

 そう、まだ死ねない、オレは、まだ、死ねない……!


 




 夢から意識を浮上させて、身じろいだ瞬間に、自分が柔らかなベッドの上にいるのに気づいた。
 近頃一層研ぎ澄まされていく(あるいは鈍化していく)記憶装置が正常に動いているなら、自分は夕べ床で寝ることになったはずだった。黒鋼が運んだのだろうか。
 身体の痛みもひいている。あれからどれだけ時間がたったのだろう。

「目が覚めたか」

 透き通る声に揺り動かされて、閉じていた瞼を開く。
 明け方のような夕方のような、薄暗い室内だった。時間もわからない。少し肌寒い。
 ベッド脇に椅子を置いて座っていた少年を視認して、やあ、と軽く手を上げる。
 この少年はいつからここにいたのだろうか。何故ここにいるのだろうか。

「おはよー小狼くん」

 どうしたの?と問うと、ピッフルで見た監視カメラのような精度で真っ直ぐ見つめてくる。
 この子も、心を失う以前のあの子も、どうしてこんなにも真っ直ぐに視線を合わせてくるのだろう。そんなに悲しそうな顔をしているくせに。
 オレは笑ったように目を細めてそれをやり過ごすしかないのに。

「どうして笑っていられるんだ、貴方は」
「うん?」
「気づかれないと思っているのか、それとも知らないふりをしてやるほど俺が達観していると思っているのか」

 口調は強い。その眼差しと同じように。その心と同じように。可愛らしいと思う。うらやましい、とも。

「……ああ、そう…そうだね」

 この子はやはり、あの子とは違うのだろう。あの子なら気づかなかっただろうに、聡過ぎるのも困りものだ。けれど。

「大丈夫だよー、何も心配しないで」

 笑って、ぽん、と頭に手をあててやる。
 
「これはオレの問題だからねー」

 小狼くんが気にすることなんて、何もないんだよ。と。

「そうやって切り離して、貴方一人で全てが解決できると思っているのか。今のこの状況は俺の、」

 その口元に人差し指をあてる。彼は困惑する。オレは笑う。
 彼はうつむいて、オレはゆっくり起き上がる。大丈夫、もうどこも痛くない。
 その額にキスをしてやる。少しでも緊張が和らげばいいと願う。これはおまじないだ。

「……どうすればいい……俺は……貴方は……黒鋼さんは……」
「そうだね…サクラちゃんの力になってあげて。今のサクラちゃん、とても張り詰めてるから、心は近づけないかもしれないけれど。それでも羽根を集めるためにも、あの小狼くんを追うためにも、力は必要なんだから」

 小狼くんははっとしたように、オレをお化けが何かのように驚いた目で見て。
 それから少し泣きそうに笑って、頷いた。

「そんなにボロボロなのに、貴方はサクラや俺を案じてばかりだな」

 その言葉に今度はオレがはっとした。ギリリと心臓が捩れる気がした。
 
「その優しさが、貴方を苦しめるのなら、」

 サクラちゃんの力に、などと。オレが言うべきではないことだったと後悔する。
 オレはオレの願いのために彼女を利用しようとしているにすぎない。
 彼女はオレの罪を背負わせるための贄で、オレはそれを食卓に運ぶために戦う駒にすぎないのだから。
 どうしてそんなことが言えたのだろう。何も知らないふりをして、そんな酷なことを。
 
「俺は貴方を殺してやるべきなんだろうな」

 この小狼くんはどこまで知っているのだろう。
 どこまで知っていて、オレにそんな切ない眼差しを向けるのだろう。
 なんて可哀想な子だろう。
 オレに喰われるのは、黒鋼の血だけではない。この子の心まで蝕んで、そして。

「オレを殺したいの?」
「……ああ」
「小狼くんは、優しくていい子だね」
「……すまない」
「オレは君の心をとても大事に思っていたから、オレの命はあげられないなぁ」

 少しでも落ち着けてあげたくて、頭を抱えて抱き締める。
 この子にオレの命を背負わせるなんて、これ以上苦しめようだなんて、出来るわけもない。

(なーんて言っても、じゃあ黒鋼ってなんなのー?ってことだよねぇ…)

 矛盾している。わかっている。けれどオレは知らないふりをする。

「さーてとー、サクラちゃんはどうしてるかなー?久しぶりに一緒に紅茶でも飲もうかなー」

 額にまたキスをして、身体を離す。
 その表情を見ることなく、立ち上がって身支度を整える。
 鏡でチェックしようとして、鏡が割れてしまったことを思い出した。その破片が見当たらない。それも些細なことだ。

「小狼くんはなにが好き?コーヒー?紅茶?」
「覚えていて欲しい。俺は貴方が、生きていることで苦しむしかできないなら、」
「もしかして酒豪だったりー?」
「殺すことすら、俺の責だ」
「そんな小狼くんにはミルクティーをご馳走しちゃいますー」

 その目を通してずっと心を傍においていた彼を、そこまで追い詰める自分が憎い。
 これも自分が招く災厄なのだろう。
 強い意志を、優しい心を、誰からも奪って壊してしまう。

(皇……アシュラ王……黒鋼……あっちの小狼くんに、こっちの小狼くん……サクラちゃん……)




 それでもまだ死ぬことは、許されない。
















end
 

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