TSUBASA Novel 1
□君を堕とした
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君を堕とした
(闇に堕とした、)
殺してくれるというので、生かされた。
その時君にはオレの意見を聞く気なんてさらさらなくて、オレはそれを愚かだと思う。
オレのためにそのまま殺してくれたら、オレは君の記憶の中で笑ったままいられただろうに。
オレはもう君のために笑えない。
残された右目をニ、三度痙攣させて見開くと、そこには闇が降りていた。
目を凝らしてもやはり暗闇は暗闇としてそこにあるだけで、静かだ。
眠っていたはずのベッドもそこにはなく、動こうとするとガラスの破片が擦れあうような音がシャラシャラと響いてそれが危険なことだと理解する。
だからオレはそこでじっと身じろぎひとつせずにうずくまっていた。
これが夢でも現実でも、動かなくていい口実が出来たのだ、もう止まってしまっていいのだ。待っている必要すらない。ここにいれば、もう誰も彼も傷つけずにすむ。
それはなんて優しいことだろう。
今ならわかる。あのヴァレリアの谷は、とても優しい優しい場所だったのだ。傷つかなくてすむ唯一の。ぜったいの。
「立て」
どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
ほんの一瞬だったか、それとも何百年もの時間が過ぎたのか。
それすらもう思い出せないほど、その声は暗闇を過去にしてしまう。
怖い。
暗闇に縋るようにその声を拒絶した。耳を塞いだ。目を閉じた。それなのに。
「ちゃんと、殺してやるから」
暗闇の中に彼の腕が降りてくる。
その腕がオレを掴みあげようと暗闇を探っている。
あまりにも強そうな腕だったから、もしかしたら本当に殺してくれるのではないかと思った。
どうしようもなくなったその時に、引導を渡してくれるのならば、それならばそれまでは、こんなふうに死に続ける必要などない。
そうして迷って迷って、ようやくオレは決心して、彼の腕を掴んだ。
それは、オレの闇の重みに耐え切れず、引き摺られて闇に堕ちた。
酷い頭痛がして意識が浮上する。瞼を押し上げると未だ夜中だった。
なんでこんなに頭が痛いんだろうとぼんやり考えて、殴られたことを思い出す。
部屋に備え付けられた鏡が割れている。
誰が割ったのかと考えて、考えるのをやめた。
ソロソロと近づいて、鏡の破片を拾い集めた。この切っ先で今更終わらせてしまうのもアリなんじゃないかと思い当たって苦笑する。
そしてその自殺願望を見通したように、屈みこんでいた背中を踏みつけられた。足が重い。それに痛い。ワリと本気で殺す気なんだろうか。それなら早くすればいいのに。
「痛いよ…黒鋼…」
そのまま転がすように蹴り飛ばされて、衝撃にむせる。
なんだか酷く疲れて、蹴り飛ばしてくれた彼を緩慢な動作で見やると、鬼の形相でこちらに歩み寄ってきていた。
どうせくるなら飛ばさなきゃいいのに、なんてどうでもいい感想が頭に湧いて消える。
「どうし、」
そのまま腹を蹴られて、内臓が飛び出るかと思った。カハッと空気の塊を吐き出して、その衝撃に涙が滲む。悲しいわけではないのだけれど。
「…う、ごほっ、、ゲホッ、」
彼は自分の凶悪な強さをもう少し自覚するべきだ。
いや、わかっていてやっているのか。
幾度こんな風に痛めつけられても、跡すら残らないこの体は便利だ。
サクラちゃんが心配しないですむ。
「黒鋼……」
痛みに体勢を立て直すことができず、そのまま床で目を閉じた。
なんだか本当に疲れている。
東京を出ていくつかの次元を渡って、エスカレートする痛みが重い。
それだけ彼も痛いのだろうと思う。
突き放そうと、逃げようとするオレの態度に苛ついて、殴れば言うことを聞くなんて思ってもいないくせにそうするしかないように殴り続けて。
いつかオレが壊れて動かなくなったら泣くのだろう。
優しい人だから。
暗闇に降りてきたその腕を、掴むべきではなかった。
強かった君が、壊れてしまう。
オレが、壊してしまう。
end