プロポーズ10題sideC

□ありがとう!
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「お疲れ様です」
原稿のチェックに集中していた桐嶋は、声をかけられて顔を上げた。
そこには普段ここにはいないはずの人物が立っていた。

「お忙しいですか?」
ジャプン編集部に突然現れた美貌の訪問者は、小野寺律だった。
意外な人物の登場に、桐嶋は一瞬言葉が出ない。
同じ丸川書店の漫画雑誌編集とはいえ、エメラルド編集部の律とはあまり接点がない。
すれ違えば挨拶くらいはするが、わざわざ話をしにくるなんて初めてのことだ。

「大丈夫だ。出るか?」
編集部中の視線を感じた桐嶋は、そう聞いた。
この2人がいったい何の話をするのかと全員興味津々なのだ。
だが律は「すぐ済みます」と答える。
そして桐嶋の机の上に金属の破片のようなものをコトリと置いた。

「これ、高野さんからです。」
律は桐嶋にしか聞こえないように声を潜めて、そう言った。
桐嶋はその物体を見た。
どこからどう見ても何かの鍵だ。

「横澤さんの部屋の合鍵。桐嶋さんに渡すようにって言われて。」
律はさらに声を潜めながらそう言った。
2人が合鍵を持ち合う関係だったことは桐嶋も知っている。
だがなぜ律が桐嶋に持ってくるのかがわからない。

「何で俺に?」
「知りませんよ。この前は横澤さんが高野さんの部屋の鍵を俺に返すし。」
「横澤が?」
「ええ。俺は鍵係じゃないっていうのに。」
不満そうに口を尖らせているが、律は機嫌がよさそうだ。
だがそこにあえて突っ込まなかった。
桐嶋にとっても愉快だったからだ。
わざわざこんなやり方で鍵を返してくることが楽しくてならない。

「確かに受け取った。わざわざありがとう。」
「はい。それじゃお邪魔しました。」
律は桐嶋に一礼すると、さっさと編集部を出て行く。
桐嶋は律が置いていった銀色の鍵を手に取ると、無造作にポケットに落とした。

その日1日桐嶋はすこぶる機嫌がよく、ジャプン編集部の面々は何が起きたのかと不思議がった。
だが本人ははぐらかすばかりで何も語らない。
思いあぐねた編集部員の1人がわざわざエメラルド編集部の律にまで聞きに言ったほどだ。
だが律も「桐嶋さんに聞いてください」の一点張りだ。
いったい何があったのかといろいろな推論が飛び交ったものの真相に辿り付く者はいなかった。
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