2006年12月15日
移植してから6年立ちました。

「やったぁ!!!6年も生きてる♪」
そんな私も12月31日で25歳になりました。

ここでは、退院後のお話をさらっとですが、お話したいと思います。(記憶は曖昧ですが…)

退院後すぐは、1〜2週間に1回の通院生活。
内科検診。
そして7ヵ月後婦人科検診。
全身放射線照射治療の影響で早期閉経で生理がない為。

退院後2ヶ月してすぐに大好きなウサギを我が家に迎える事に。
名前はミニちゃん。女の子。2時間くらいペットショップで眺めていたウサギちゃんです。
(本当は、2年くらい経ってからうさちゃん飼ってねっていわれてたんだけど…)


普通に生活をしていたけど、ちょっと不安な事があった。
まず、父の事。
最後にかけたそっけない言葉の後悔と、親孝行してただろうか…という後悔。

次、再発したらどうしよう…
再発したら…次は死んでしまうんじゃないか?という再発の不安。
やっぱり、移植して元気になったけど不安は沢山あった。

その不安からか、どこにいっても動悸をするようになってた。
病院で安定剤をもらうようになってしまった。
それでも友達と遊びに行ったりする事はできていた。

退院してから数ヵ月後、いつもの婦人科検診、
将来、子供ができるという期待をもってはじめて婦人科担当の先生に将来の事を聞いた。

あまり深刻に考えていなかったのだが・・・


抗がん剤だけなら子供産むというのは大丈夫なんだけど、放射線治療をしているので
将来子供を産むって事はゼロに近いですね…
というより、ゼロですね…

と、このような事を言われた。

それからの先生の話しは全く聞こえなくなった。

涙をこらえるのが必死だった。
自分が期待していたこと、不妊治療すれば普通に子供できるだろう。という甘い考え。

しかし、そうではなかった。
その時、病院には双子のえみが一緒にきてくれてて、えみのお腹には子供がいた。8ヶ月だったかな

えみに「ゆみね…子供産めないんだって…」

そしたら、えみがさ「大丈夫!えみのお腹に子供いるじゃん。」って…
そだね、双子だもんね、嬉しくて…それだけが救いだった。
普通の姉妹とは違う、全く一緒の一卵性。だからこそ自分の子供みたいな感じに思えるだろう。
ありがとぅ…えみ…

しかし…家に帰ってから、ショックが大きすぎて
1人部屋で号泣した。全く涙とまらない。

昔から、子供産んでお母さんになるってのは夢で
当たり前だとおもってたのに、それができなくなって
悔しくて悔しくて泣いて泣いて
泣きながら、長女にメールして弱音をはいた。
すぐにメールの返事くれた…ありがとぅ。

結婚して子供いない夫婦は沢山いるよね
がんばってるけど、産めない人沢山いるんだ。
子供がいる夫婦にできない旅行とか自分磨きとか
色々楽しい事いっぱいあるじゃん。

何時間も泣いて、そう考えていたら、もう吹っ切れて
母には心配かけたくないから、泣いた事は言わないでおこう

そう思ってた、夜中…
真っ暗な部屋の中、変な動悸、そして
コントロールできなくなった。

「こわい・・・自分がいなくなっちゃう…自分じゃなくなる…
いやだ…消えたくない…消えたくない…」

こんな感覚ははじめてだった
不安で恐怖でわけ解らなくなった

すぐその暗闇から、母のところに逃げ込み・・・
その日あった事を怖がりながらも全て母に話した。
母は
「大丈夫!大丈夫だから、お母さんここにいるから!
ゆみ消えないよ!大丈夫。」って声かけてくれたの覚えてる。

それからというもの…メンタルの病院に通うようになった。
重度のパニック障害。

父の死後の後悔、再発の不安、死に対する恐怖、完全に子供産めないと言われたショック

重なった…

1人になると動悸がひどくて息苦しくなる。
だから、1人でいる事ができなかった。
ずっと母に傍にいてもらった。
救急車で何回運ばれたかな?
1人でいる事もできず…5分でも怖い…
外みるのも…恐怖
歩いて2分のコンビニすら行けなかった。
友達から電話きても…2分すら話せない。
ニュースなどみれなかった、テレビも…
アニメをみるのも怖かった。
お風呂もこわい。
メンタルに通う事も怖かった。
何もかも・・・こわかった

せっかく生きたのに…なんでこんなに怖いの?
動悸するたび、死んでしまうんじゃないか…

死にたくない…

このまま再発したら…死んじゃう…

コントロールできない

そんなのがずっと続いた。
大切な友達2人の結婚式の披露宴に行きたかったのに…でれる余裕などなかった

メンタルに通った期間約3年。
そして、やっと…2005年11月でメンタルの病院は卒業した。

外に出歩けるまでになった。
夜、お酒飲みに行ったりできるようになった。

不安はあるけど楽しい。

そして現在、2007年1月
再発の不安は全くなくなった。
たぶん、絶対、もう再発する事はないだろう。
移植後5年で、もう再発の不安はなかった。

今、現在、メンタルの病院には通ってはいないが…
薬は持ち歩いてる。
偏見とかあるかもしれないが…
でも私はそれで安心している。
コントロールできなくなった恐怖がトラウマになってるせいか、今でも過呼吸ぎみになる事がある。たまに動悸もある。
そして薬も飲む事もある。

でも、こんなに元気になった。
今が1番幸せ。

本当に幸せ。

1人でいる事ができない、死の恐怖、外に出歩けない
暗闇の恐怖、
あの時は、こんなに元気になれるなんて思えなかった

退院後の家族の支え…あたたかかった。
ありがとぅ。
1番支えてくれた母親に感謝。

神様…なんで私なの?を書いてる時期もパニック障害
それでも一生懸命に書いた
思い出して辛い事も多々あった。
1行しか更新できない時もあった。

ここで何人もの方々に出会えて、応援してくれて
生きてる事について改めて感じてくれて

本当、書いて良かった。

生きててくれてありがとうって言ってくれる方もたくさん、
私…涙もろいんです。

ありがとう('-'*)このHPは私の宝物です。

これからもしぶとく生きます!!!('-'*)
楽しみます。人一倍幸せ感じます。

このHPがずっと皆様の支えになりますように。



2007年1月9日 

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