治療してから約1ヶ月も歩いていなかったので、車椅子で上の部屋にあがった。
体が安定するまで、1週間はひとり部屋。
普通の病室にあがれただけで、とてもうれしかった。

味覚が少しずつ回復してきたので、私はカップラーメンが食べたくなった。
そして、一口、二口たべていたら・・・
少し息苦しくなった。
それは、だんだんとひどくなり、息をすうたび、気管支らへんが痛い。苦しい。
ひどい汗がでてきた。大粒の汗 母がすぐ先生たちを呼び、
心電図や血圧、色々なことをした。
10分間くらい、苦しい痛いが続き・・・
でも、体には、異常なし。ただ、治療のせいで、
気管がよわくなってるせいで、こんな事がおこったという。
本当に怖かった。

12月24日クリスマスイヴ
この日の夜は、ケーキがでたが食べれなかった。
そしてクリスマス。病院全体でクリスマスムードになっていて、1階でも何やらイベントがあるらしいが、いけなかった。
病院からクリスマスプレゼントをもらった。イルカのキーホルダーだった。
そして、さらに看護士さんたちからもプレゼントをもらった。サンリオのフェイスタオルだった。とてもうれしかった。沢山プレゼントをもらえた。
ありがとう。

12月30日。明日31日は、えみとゆみの誕生日。
病院にいたくない・・・
そこで、先生にたのんでみた。
すると、先生は外泊許可してくれた。
ただし、どこにもいかないで家にいること。
うがい手洗いは、念入りに。という条件で。
さすがに地元には帰れないが、ここにきてから母が借りたアパートに外泊することになった。
ちょうど、お父さんもこっちにきていた。
1番上のお姉ちゃんは来られなかった。
なので、父、母、えみ、私と4人で30日、31日とすごした。

19歳の誕生日、おめでとう!

外泊はあっという間で・・・1月1日、病院に戻った。
最近えみが、調子わるいみたいで、いったん地元にかえる事になった
1月5日、父とえみとは、しばらくお別れ。

ゆみ
「えみまたね!早く元気になれよ〜〜」

「頑張れよ!」
ゆみ
「うん」

えみと父は、地元に帰っていった。

移植の治療をしてから、血液検査で肝機能の数値が非常に高い。
肝機能の数値が350〜400くらいあって、肝臓の治療にはいった。とは、いっても
肝機能をさげる点滴をするだけだ。
この点滴は、肝臓の病気(B型肝炎)などでも、つかわれる点滴だが、副作用はあまりないので良かった。

私は、早く退院したい気持ちでいっぱいだったが、
まだそんな体力もなく、肝機能も高いため、退院ものびる。これで、肝機能が正常であれば、2月中には、かえれたという。

私は、母に、
「元気になったし、1人でも大丈夫だから
いったん地元に帰って、ゆっくりしといで」と言った。

母「うんうん、ありがとうね」

そして1月27日、
母が、地元に帰ると連絡がきた。どうやら風邪をひいたらしい。ゆっくり休んでおいで〜!!
何日かは、1人で過ごす
売店いって本かったり、テレビをみたり〜
だが、暇すぎる。元気になった証拠だ。
親戚のお兄ちゃんも来てくれて、「お母さんインフルエンザだって?大変だなぁ…しばらくこっちにこれないって」そう言ってた。

その日から、夜になると熱が38度でるようになった。だが、朝と昼はなんともない。夜だけ・・・。普通の採血でも異常がないので、詳しく調べるのに動脈から採血で検査もしたが、異常はない。不思議な熱。

そして2月になり、2月5日、えみを電話で呼び出し、来てもらうことになった。
そして、えみと話をしたり、病院の1階の植物園にいったり、楽しい日々をすごしていた。
1番上のお姉ちゃんも遊びにきてくれたりで暇をつぶしていた。12階から1階まで階段でいってみようか!ってことになり恵美とおりてみた!それを看護師にいったら、ダメだよ〜!!って怒られた。笑
そしたら案の定、その日の夜からひどい筋肉痛…歩くのが大変だった。それだけ筋肉がなかった。

2月10日に、母がこっちに戻ってくるらしい。
風邪はよくなったのかな??
その前の日。お姉ちゃんと話をしていて、
昆布茶の話になった(笑

お姉ちゃん
「うちにまだ、昆布茶のこってるよ〜〜」
ゆみ
「まじ? あれ?たしか、お父さん昆布茶すきだったよね?お父さんに飲ませれば、すぐなくなるからいいんじゃない?笑」
お姉ちゃん
「ん?・・・う・・うん」
ゆみ
「???」
お姉ちゃんの反応がおかしかったが、その時は、そんなには気にはしなかった。
次の日、母が来た。アパートにいるので、外出許可をもらい、えみと私とお姉ちゃんでアパートにむかった。
アパートには、まだ母は到着していなく、3人で普通の話をしていた。
母が帰ってきた。
4人そろった。これで、お父さんもいれば、家族全員そろうのにな!と思っていた。
そして、母がゆみにこう言った。

「今からね!ゆみに伝えなきゃいけない事があるんだ」
ゆみ
「ん??なに??」

「お父さんね、天国いっちゃったの・・・」
ゆみ
「え???天国??」
一瞬、天国がなにか、わからなかった。
(うそ?でしょ?お父さんが死んだ???)
突然いわれても実感がわかず、
とりあえず、このときは、涙があまりでず、
泣かなきゃ!!?と思い泣いた。のだが・・・
すぐに涙が出てこなくなった。
1月26日にお父さんが突然亡くなり、27日、母が風邪で帰る。
あの時、母は風邪ではなかった。今頃気が付いた。
お姉ちゃんとの会話の途中で行き詰ったのもそのせい。
それ以外、えみもお姉ちゃんも母も普通に電話や会って話しても普通だったので、気が付かなかった。親戚のお兄ちゃんが言ってたインフルエンザっていうのも嘘だった。
お父さん???まだ、実感がわかない・・・嘘であってほしい。
お父さんの事が頭にいっぱいよみがえってきた。
最後に交わした言葉・・・
がんばれよ! うん。
それだけだった。
「うん」とは、言ったものの、あまり顔も見ずのお別れ。
心残り・・・。
この日は、外出許可だけだったが、母が病院に連絡して一泊だけ、外泊することになった。
そして、すべて聞いた。

ゆみに知らせなかったのは、地元に外泊許可がでない私にこの事を伝えて1人病院も辛いだろうし、
熱もでてたから、と先生に相談したら、すべてが落ち着いてから話したほうがいいですね!ということだった。
通夜にも告別式にもでられなかった、私はここからお父さんに手を合わせた。
お父さん。なんで??私、病気治ったよ??
なんで、お父さんが死ななきゃだめなの!!
悔しくて悔しくて。それでもまだ実感がわかないので、涙がでてもすぐにかれてしまう。

病院に戻って夜になっても考えるのはお父さんの事だけ。
涙はでるものの、やっぱりまだすっきりしない。
不思議で複雑な気持ちが何日か続いた。
お父さんが夢にでてきた。
3姉妹で一緒にいる夢だった。そこに後ろからお父さんがきて、ゆみに「ビックリした??」だって。
心の中で何いってんの…お父さん…
ビックリしすぎて夢の中でも返答できなかった。

約2週間後、肝機能はさがってはいないが、体力が回復してきたので、地元に外泊許可がでた。
やっと、地元にいける!!
帰ったら、しっかりお父さんに手をあわせよう。
そして、少しでも早く帰りたいため、母と私は飛行機に乗って地元に帰った。
飛行機は、はじめてだったので、少しウキウキしてたが、地元に着いてきめたこと。帰りはJRにのっていこう・・・汗
そして、我が家についた。
玄関に入ったら、お線香の香りがした。そして新しい小さな仏壇があった。
そこには、お父さんの写真が飾ってあった。
それをみた瞬間、いきなり動悸がした。すごい動悸だった。
涙がでてきた。とまらない。お線香をあげるのに、涙がいっぱいでぼやけてみえる。
ここで、はじめて実感がわいた。
お父さんをみるたび、涙がとまらない。
ここにくるまでは、すぐおさまっていた涙も
今じゃ、全然とまらない・・・。
お父さん…
手を合わせた。
きっと私の病気をもっていってくれたのかな?。ありがとう。お父さん。本当に今までありがとう。
生きるから!!お父さんの分も生きるからね!

その日、お父さんの仏壇の部屋で眠りについた。

この外泊許可で、どうやって過ごしたのか、あまりおぼえていない。
ただ、お父さんの事だけ考えていたのは覚えてる。

外泊はあっという間。北大病院に戻った。
予定では、2月中に退院できる予定ではあったが、肝機能がなかなか下がってくれない。相変わらず数値が高いままなので、入院がのびる。
病院生活で、暇をもてあましてた。
でも暇だと感じる事ができるのは、元気な証拠。とてもいい事。

外泊から帰ってきて、入院当初同じ部屋にいた、当時26歳のYさんが移植のため、下の無菌室にはいっていて、ドナーはみつかってはいなかったが、父親と6つ中、5つHLAがあっていたと言う事で、移植がはじまっていた。同父母とは適合率が8分の1のため、6つ全部そろってないことから、拒絶反応が心配される。
とにかく頑張って!と心からおもった。

数日後、上にあがってきた。移植は大丈夫だったのかな?
Yさんの母が、私にこう聞いてきた。
「ゆみちゃん調子はいいのかい?」
ゆみ
「大丈夫だよ〜!!Yさんの調子はどう?」
Yさんの母
「うん。なんとか元気だよ」
ゆみ
「そっか、よかった。ご飯おいしくないって言ってなかった?」
Yさんの母
「うん、言ってた言ってた…。これからもがんばろうね!」
ゆみ
「うん。がんばろうね」
こんな会話をしたのが覚えてる。が、それは、嘘だった。
その会話の数日後、朝起きてトイレにいこうと部屋をでたら、Yさんの部屋には誰もいなくなっていた。部屋をうつった訳でもない。

「え??うそでしょ?」

こんな衝撃的な事を、入院中何度も経験してきた。
悔しい。切ない。涙がいっぱいでてくる。
ショックだった。

そんな中、私の退院が決まっていた。
3月16日(大安)に退院。肝機能も200前後とまだ高いが、これからは、地元の病院で薬を飲みながら療養する事になった。
双子間での移植の為、心配事もある。
血液が全く一緒だった為、普通の人よりも再発する可能性が高いという事。それも含めての通院になる。

私もいよいよ退院!はじめの5ヶ月間は、とても長かったが、後半ここにきて移植終了後はとても早く感じた。
色々詰まった10か月間でした。

なにより、元気になれてよかった。
ここまでやってこれたのも家族の支えがあったから。
私はなんて幸せものなんだろう。
今生きてる。
これから、一生懸命生きていこう。

そして、3月16日。退院の日。
お世話になりました。ありがとうございました。
自分を、うんと褒めちゃおう!よく頑張ったね!って。
みんな、みんな、本当にありがとう。
生きてて良かった。

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最後までよんでくれてありがとう

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