治療してから4〜5日、自分が1番気にしていたことが副作用としてでてきた。
少しずつ髪の毛が抜けてくる。
髪をひっぱれば抜ける。ほおっておいても抜けてしまう。
治療のせい!仕方ない。でもやっぱり治療の為とはいっても、とてもいや!友達にも会いたくない!抜けてくる髪。枕元にたくさん! 
でもそのうち、だんだんと
「早く抜けてしまえばいいのに!」
と思うようになった。

母や姉は私のためにバンダナを買ってきてくれた!可愛いバンダナだった。私はすぐに頭にかぶった!
気にすることない!でもこの髪、治療おわったら本当にはえてくるのだろうか・・・それだけが心配・・・
(大丈夫!!はえてきます!)

治療をはじめて、3週間で血液が正常値にもどりはじめてきた。もう少しで、ここからでられる!1つの治療が終わると、待っているのは、おいしい食べ物!!そして外の空気!そして2泊3日の外泊許可!!!治療が終わる1番の楽しみがこれだった。

血液が正常にもどると、骨髄液の検査が待っている!あの、大嫌いなマルクである!
マルクをやると聞いてすごく憂鬱になる。
何故かと言うと、貧血で倒れたときにやった検査は、もうそれっきりだとおもっていたから・・・

病気を治すためには必ず通らなきゃいけない。
仕方がない。でも、やっぱりイヤだ。でも頑張ろう!そこで、自分から自分への励ましの言葉があった!
「やれば、終わる!!」
そして、あの痛いマルクがやっと終わり、後は結果を待つだけ!私は食べたい食べ物のリストを書いた(笑)あれもこれも食べたい!早く家に帰りたい
そして、検査の結果ができたので、担当の先生がきた!
そしてその結果とは・・・

先生:
「今回の治療で、白血病細胞が予定より壊れていなくて、もう少しで壊れそうなので、同じ治療を今から、行います」「もう、ちょっとなんだけどね。だから、あと少しがんばりましょう」

私:
「・・・はい」

先生がある程度説明し終わってから、病室をでていきました。

私:
「また、同じ治療??外泊許可は??食べたいものは??」
楽しみが、また遠くにいってしまった。
自分にムカついた。泣いた。悔しかった。
また1からのスタート。同じ治療・・・。

ここで、骨髄移植の話が始まっていた。

治すためには仕方がないことだけど、でも悔しさがあふれだす!自分に対するイライラと、外に出れない、好きなものも食べられないもどかしさ。
とにかく泣いた。悔しくて悔しくて、母にも、イライラをぶつけた。
泣いてたら、ずっとつきっぱなしだったテレビに反応した。
入院してるときは、なぜか私は、夕方にやる教育番組にはまっていた。
暗いニュースをみてるとイヤになるから。
泣いていた私を励まそうとするかのように、教育番組でやってる「にんたま乱太郎」のオープニングがはいった。

♪「がっかりして、めそめそして、どうしたんだい?
太陽みたいに笑う、君はどこだい?
やりたいこと、やったもん勝ち、青春なら
辛い時はいつだって、そばにいるから。

そうさ100%勇気、もう頑張るしかないさ

この世界中の元気だきしめながら…

僕たちが持ってる輝き、永遠に忘れないでね」

今まで何気なくみてただけなのに、すごく励まされ、勇気づけられました。

早く元気になってやる!

そして、そのまま部屋移動もできず、またはじめからのスタートです!


治療中、友達がお見舞いにきたり、テレビをみたり、本をよんだり、会話をしたり・・・
でも暇な時間がとても長かった。
そういえば、同じ年頃のMちゃんもがんばってるかな?最近その子の話を聞かなくなったので気になりました。

同じ治療が始まってから、何ヶ月後かに行われる移植の話がきまっていました。
でもそのころ私は全部の治療が終わるまで、移植のことは考えてませんでした。

移植のためには、型がぴったりとあうドナーが必要です。まずは、双子の姉、えみの血液検査をしてもらうことになりました。
骨髄適合率は
兄弟姉妹で4分の1
同父母で8分の1
非血縁者では数百〜数千分の1といわれている。

治療の前に、今まで止めていた生理。生理にするため今まで飲んでいた薬をとめた。
なぜとめていたかというと、治療最中、血小板が少ない状態で生理になってしまうと、血が止まらないからである!!
次の日生理がすぐきた。
ずっと、とめていたので、おなかがひどく痛い。今までにない痛み。起き上がることも、寝返りうつだけでも痛いのでつらかった。
生理以外にもつらいことは、高熱。そのころ39度の熱がでたりとたいへんでした。

次の日治療してから2日がすぎてから、体にちょっとした変化がでてきました。
手のこうがかゆい!みると、何箇所かボツボツとでていました。
3日目、そのボツボツは手首にまでひろがって、4日目、体全身にまで広がってしまいました。原因は抗がん剤による薬物アレルギー。
体中、痛い!かゆい!起き上がると、ひどく痛かった。ご飯を食べるときのはしを持つのも痛くて大変でした。
とりあえず薬を塗ることしかできず何日かそれをこらえながらがんばりました。
治療中、食事制限がある中で、唯一楽しみに考えれること!!
それは、どんなお菓子をたべてもいいのか!!加熱してあるものならなんでもいい!では、ポッキーはどうか・・・必ず何かを食べたいときは看護師や婦長に許可を得なきゃならない!!
私:
「ポッキーたべてもいい??」
婦長
「いいよ〜〜でもあまりたべすぎないようにね」
こういった感じです!(笑)

治療の点滴が終わると、必ず副作用で血液が低下する!毎日朝になると採血をする。
その結果によって、今日赤血球の輸血や血小板の輸血をするかをきめる!
初めて輸血をしたときは、輸血するたび、体が拒絶するため、すぐ高熱がでていた。
でも体の慣れでしょうか、輸血しても高熱がでることがなくなった。
こうやって輸血をする身になって、はじめて気がついたこと!それは、献血をしてくれてる人たちへの感謝の気持ち!本当にありがとう!

病院のご飯は、あまり食べなかった。ほとんど買ってきたおにぎりや冷凍食品のピラフをたべたりしてた。病院の食事は体にいいことは知っている
でも好きなものを食べなきゃストレスがたまる一方!なので、ほとんど好きなものを食べていた。

入院してから1ヶ月がたった。

相変わらずかごの中の鳥、夜消灯時間がすぎ、外から楽しそうな声がきこえてくる!一人で夜の外を眺めながら涙することが結構あった。
がんばるしかないんだよね
私:
(自分は自分なんだよね〜〜!逃げたって自分は自分なんだよね!がんばるしかないんだ。がんばれるよ!大丈夫!)

数日たって、双子の姉のHLAの結果がでた。
ぴったりと型があったのだ!!やったぁぁ♪
でもなんとなく私は、双子だからぴったりあうものだと思っていたので、そんなに驚かなかった。まわりのみんなはすごく喜んでた。良かったねぇ!!
私は、ラッキーガールでした。

入院してから1ヶ月が過ぎ、まだまだ終わらない治療、そんな毎日が続く中、いつものように、お姉ちゃんが遊びに来てくれた。でもいつもとは違う笑顔。何かを抱えて、私にもってきてくれた。

長女:
「なんだと思う???」

私:
「え?わかんない!(あたりまえだ。笑)」

お姉ちゃんは、そのティンカーベルの袋をだし、私にあけてみな???といい、それを差し出した。

中にはピンクの可愛い袋が2枚。その中にビデオがはいってました。

なんのビデオだろ???

もう一つ、オレンジの封筒が入ってた。
そこには、自分の名前。
裏をみると…??川本真琴??

うそ〜〜〜〜〜!!

夢??じゃない!!マジです。
喜ぶのも当然!!
私は、中学の頃から、川本真琴が大好き!新しいCDが出たら予約して買い、DVDも買って、あの早口の歌もほとんど歌えるくらい大好きで、高校1年生のときなんて、学園祭のカラオケ大会で、川本真琴を歌って・・・とファンしてました!!
その川本真琴が!!

お姉ちゃんに本当にありがとう
お姉ちゃんは私を、少しでも元気にがんばってほしいと、白血病になってから、川本真琴に手紙を書いてくれて…
そしたら、私宛てに励ましの手紙を書いてくれて
しかも!!
それだけではない!!
さっきのビデオは
川本真琴からのビデオレター!!
まだまだある!!
キャロルキングのCD!!それは、川本真琴がロンドンでお仕事の時、落ち込んだときにずっと聞いてて元気になったと言うことで、私にも聞いてね!!と
そのほかに!!キラキラの可愛らしい指輪!!「ゆみちゃんは、きっとかわゆい女の子だから似合うとおもったので!!」との事!!
嬉しい☆なによりも、お姉ちゃんに感謝!!お姉ちゃんも川本真琴から返事が届いた時は、早く私に見せたくてしかたなかったそうです!!
早くビデオがみたい!!でも病院には、ビデオデッキなんてない…。

次の日、ビデオの内容をカセットテープに録音してきてくれた!!
早速きいた!!

川本真琴がゆみの名前を言ってくれてる!!
しかもその後、ピアノを弾いた。英語で星に願いををピアノを弾きながら、歌ってくれた。

本当に嬉しい!!早く元気になりたい!
外泊許可がでるまで、ビデオはお預けだけど、それまで、頑張る!!みんな応援してくれてる!!感謝の気持ちでいっぱいでした!!これから、もっともっとがんばらないとね!!

治療の点滴が終わり、血液がさがり始める。
いろいろな輸血がはじまる。赤血球の輸血。血小板の輸血。

相変わらず、病院のご飯は食べたくない。
好きなものを買って食べることが多かった。少しでもストレスがたまらないように・・・私の母はなんでも買ってきてくれた。
私はかなりお母さんに甘えてた。ストレスをぶつけるのもお母さん。甘えるのもお母さん。まるで、小さい子供のようだった。

お姉ちゃん達にも甘えてた。でも決しておねえちゃん達にはストレスをぶつけなかった。すべて母にぶつけていたから。
でも具合いが悪いときはお母さんがそばにいてほしかった。
母のかわりに、父がいても、祖母がいても、従姉妹がいても、私はいやだった。
布団にもぐって、寝たふりをしてたくらい。
「早くお母さんこないかな。」
ストレスぶつけて機嫌わるい態度をとってもそれを全部優しくうけとめてくれた。本当にありがとうね!お母さん

血液がさがりはじめて数日後、白血球を増やす点滴をした。数時間後、腰がいたい。そのことを先生にいうと、それは白血球があがり始めた証拠らしい。非常に痛い…(汗)でも我慢我慢

夜になると、私は必ず窓からの夜景をみてた。あの時は何を、考えていたんだろう。
早く外にでたい。何で自分なんだろう。


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