ここのHPは、私が18歳で就職をしてからの出来事を、皆様にお伝えしたくて作りました!ちょっと長くなるかもしれませんが、お付き合いください

「18歳になったぁぁ」
もうすぐ高校卒業!バイトも終え、次は就職に向けての準備です!
高校卒業が近づくと、色々忙しくなる時期!

卒業イベントの準備や、残りのバイト、就職活動に自動車の教習と
なかなか忙しい日々を送ってました。

ある日、免許の講習を受けに行く時のこと
いつもよりちょっと遅刻しそうだったので早歩きで教習所にむかいました。

急に、胸が苦しくなって・・・

「あれ?なんだろ、息が苦しい」

その場で座り込んでしまいました。
でも、遅刻しちゃう!
少しおさまったら、すぐに立ち上がり歩きだしたのですが、また苦しくなって、それを何回か繰り返しながら、教習所にむかいました。

やっと着いて、息苦しさもおさまり、ホッとしてたら
次は急に吐き気!
でも自分はただの運動不足だろうと思いました。

高校も卒業し、免許もとり、次は就職!!
やっと社会人になりました
その就職先はホテルのなかいです!
着物を着て御膳をならべたり、お客様を迎えたりと、人と接するお仕事でした。
ホテルなので、結構ハードなスケジュールをこなしてました
その当時もまだ若いので、少しの休みでも友達と夜遊びに行ったり、時にはまだ未成年なのに、お酒を飲みにいったりと、今時の若者やってました(笑)

しかし、そんな楽しい日々の中でも、私の体は不調を訴えていました。

例えば、仕事中、階段を5〜6段のぼるだけで、息切れ。そして、少し走っただけでも息切れ。

私:
「ねぇ?最近階段のぼるだけでも息切れしない?」
友達:
[するする!!(笑)」
私:
「高校卒業して運動してないから、運動不足なんだろうね(笑)もしかして、年??」
友達:
「そうだよ、きっと年だね(笑)やばいね、うちら(爆笑)」

運動不足って、こんなにヒドクなるものなんだ・・・。

数日後、夜遊びをして朝帰り、体がもう限界を知らせてくれました

貧血、めまい、吐き気、それでも仕事を頑張っていた私。そのうち熱もでてきました。
すると周りのみんなからは顔色悪いよ?熱もあるし無理するんじゃない!?
その言葉どおりでした。
私はゆっくり休むことにしました。
1日寝てればよくなるだろう。
そして、1日たっても熱はさがらず、相変わらずの貧血、めまい、吐き気。
「なんだろ。自分の体がおかしい。」
仕事を休んで近くの病院に行きました。
小さな病院で、患者さんはあまりいなかったので、すぐに診察室に呼ばれ、診察をしました

まず、顔色と目の下をみただけで、すぐに「採血してみましょうね」と言われ、採血をすませてから、熱が出ているので、抗生物質の点滴をうちました。

ちょうどその頃、5月2日で、ゴールデンウィークが始まる頃だったので、採血の結果がでるまで、3〜4日かかると言われたけど、顔色の悪さから数時間で結果を出してくれました。

2階の病室で具合悪い私は点滴をうちながら、横になってる間に採血の結果がでたので、先生が直接来てくれて、私に報告してくれました。

医師:
「ええとね、今採血の結果がでたんだけど、血液が普通の人の3分の1しかないんですよ!なので、今からすぐに、大きい病院にいって、検査してみてください」
と分かりやすく教えてくれて、紹介状を書いてくれました。すぐに親にも連絡が入り、お父さんと連絡がとれたので、すぐに駆けつけて来てくれました。

私:
「だから貧血があったんだ。3分の1しかないもん、当たり前だよなぁ」

病院にきて貧血の原因がわかり、そのときはホッとしてました。

私:
「少し休めば治る!!それまで大人しくしてよう」

私はお父さんと総合病院に行きました。
総合病院は大きい病院だし、連休前のせいか、かなりの患者の数!取り合えず、紹介状を出したあと、イスに座り、初診なので、幾つかの質問をうけました
次に血液専門の医師に連絡をとってくれてた時の事でした。
私は今までにない耳鳴りとともに、だんだんと目の前が真っ暗になり、頭が痛くなって・・・

私:
「イヤだ、イヤだ、怖い・・・」

そのまま意識がなくなり、気がついたら処置室に寝ていて、周りには看護師、先生がいて、私は足を高くあげ、腕には点滴もしてありました。

次に先生は鎖骨より下にある骨髄から、骨髄液をとりました。その骨髄をとるマルクの瞬間の痛さは今でも残ってます。
(マルクとは、骨髄液をとる、検査のこと)
なにがなんだか、わからないまま、採血もマルクも終ったあと、お母さんと面会できました。
お母さんに会った瞬間、私の目から涙がボロボロっとこぼれ落ちました。涙が止まらない。
きっと、お母さんの顔をみた瞬間ホッと安心したんだろうな
そのまま、私は2000年5月2日緊急入院しました。

その日から、私の入院生活が始まりました。
これから先、こんなに入院が長引くなんて、少しも思ってませんでした。

入院が始まって、まず始めにしたのが輸血でした。血液が普通の人の3分の1しかないので、当たり前だな〜なんておもっていました。
輸血が終わると退院できる!
などと、軽く思っていたので、友達には「疲労で入院しただけだから、すぐに退院できるよ〜!また遊ぼうねっ」と電話で伝えた。

初めての輸血…拒絶反応で高熱。

入院から2〜3日がすぎ、熱も下がり、貧血もなく、すっかり元気になりました。
そして、その日の午後、祖母が私に、

祖母:
「髪とか抜けても頑張るもんね!?」と言われ・・・

私:
「???」

よくわかりませんでした。

でも何か感づきました。
貧血でたおれ、しかも輸血もして・・・、さらに髪がぬけても??そう考えると私は

「もしかして白血病?」

「白血病かもしれないんだ」

でも特に怖い思いも不安もなく・・・
ただ「だから、貧血とかあったんだぁぁ」というぐらいにしか、考えていなかった。
その日の午後、担当の医師から、病気についての話があるので私と、父、母と話を聞きに行った。
まず、今回血液の検査の結果をおしえてくれた。

血液     現在     正常値

白血球   35500  4000〜9000
赤血球   139万   380万〜480万
ヘモグロビン  5.2g   12g〜16g
血小板   6.3万   13万〜40万

骨髄検査の結果
「急性骨髄性白血病」と告知された。

私:
「やっぱり、白血病だったんだ・・・」
そう思いながら、今後どのような治療をするのかなど聞いていた

先生:
「今までの白血病のテレビドラマは頭のなかから、消してください。今の時代、白血病は難病ではないですから、治療していけば治ります」

すべての治療を、ききました。副作用で吐き気がでたりすることも、その他色々・・・1番私の中で大きい事、それは髪が抜けてしまうこと・・・

話を聞いてるうちにお母さんが私に


母:
「ゆみ大丈夫?」
私:
「うん・・・大丈夫だよ・・・」
「・・・」

涙がポロポロでてきました・・・。号泣です。

((白血病?私が?・・・なんで、私なの?))

泣きながらでも、これからの治療のことを、しっかりと聞いて、病気を治す治療を進めることを約束しました。

医師とのお話がおわっても、しばらく涙はとまらなかった。 そのうちに、なにかがふっきれたように、スッキリと涙がおさまりました。
そして私は、これからの治療の準備をするために、外出許可をとりました。
出掛けるための服を買い、そして治療で抜けてしまう髪を短くカットしに・・・。

「頑張らないと!!」

治療の前に、鎖骨のしたにIVHを埋め込む。(点滴の管)部分麻酔を使い、IVHをいれるので、普通の点滴と比べると少し痛い!
その日1日自由に右肩をうごかせなかった。
次の日、始めての治療に入る。

1番始めは、
抗がん剤を用いた、科学療法で、寛解導入療法7日間点滴をうち・・・・・・
分かりやすく簡単にいうと、白血病細胞を退治する治療を。
その治療は、ただ白血病細胞だけを退治するというわけにもいかず、正常に作られた血液も退治してしまうので、7日間治療後の副作用がひどい!
抗がん剤で、髪がぬける。吐き気、もちろん抵抗力がなくなって感染の危険があるので、空気がきれいなところで治療を行わなければならない。
といっても、ベッドのとなりに普通より大きな空気清浄機をおいて治療する!
だが、簡単な治療ではない。

その日1日は副作用はなかった。副作用がでてきたのは次の日からだった。

病院の朝は早い!!朝の5時半〜6時の間に毎日採血がある
入院してから、ずっと採血。それが朝の挨拶みたいなもの。
8時に朝食、でも食欲がない。一応吐き気止めの点滴はしてるものの、少しでも気持ち悪いと食べたくない。 
でも、昼くらいには回復!好きなものを食べて元気回復です

4日後、少しずつ血液が抗がん剤で、下がりはじめてきた。体の調子も悪い。貧血。
病院で過ごす生活はとても長い。

6日後、今よりもう少し空気がきれいな個室にはいった。
そして、少しずつ血液がさがってきたので、輸血をした。ひたすら頑張るしかない!

入院してから毎日お母さんが来てくれる。とても心配なんだろう。

私:
「ゆみは大丈夫だよ!!がんばってるから。お母さんも体休めて、無理しないでね!」

その日の夜はちょうど土曜日だった。
9時になると病院は消灯時間。院内が暗くなる。私は一人個室でなんか切なかった。
外からは、若い子達の楽しそうな声が聞こえてくる。

私:
「私も、つい最近までは、あんな風に遊んでたのに…なんでこんなところにいるんだろ!なんで、私なの?どうして白血病なんかになったの?」
そして涙・・・。
とても、切ない!これが本当のカゴの中の鳥。 
でも、白血病になったのは、私1人ではない!
同じ病院で白血病と戦ってる同世代の子が私を合わせて3人いた。
2人とも私より早く入院している。
男の子と女の子。
Mちゃんとは入院はじめにお話ができた。
もう治療後で、副作用で髪が抜けているのでバンダナをしていた。 
2人で「お互い頑張ろうね!」と励ましあった

白血病は私1人ではない。

血液が正常値に戻るまでの間、清浄機から離れられない!赤血球の輸血、血小板の輸血を何度かくりかえす。
血小板だけの輸血はおもしろい。黄色っぽい弾力のある感じの液体。管をポタポタ落ちる時の弾力がおもしろい。これで出血とめるんだね…。

その間は、食事制限もある。
加熱してある食事しかとってはいけない。病気の時は、自分の好きなものを食べたいもの。
でも、生ものは絶対に駄目!細菌がいっぱい潜んでるから危険なのである!
そういう時に限って、ケーキが食べたくなる!そのほか、お刺身、寿司、アイス・・・食べられないものがどんどん頭の中にでてくる
食べたいものも、食べられない!外に出られない!
治療中で体調がすぐれない!ストレスがたまる。イライラする!なんで私なの!

イライラが限界になると、私は母にぶつかっていた。
それでも、母は絶対に怒らなかった。
全部うけとめてくれた。後から私は後悔する。
でも素直にはあやまれなかった。(お母さん、ごめんね)
それが、これからの治療で、繰り返しあった。

治療中も、双子の姉、えみも長女のゆかもお見舞いに来てくれて、何時間も私の遊び相手になってくれていた。
みんなで、交換日記もつけることになり、私の暇をなくすためや、ストレスがたまらないようにきてくれていた。本当に楽しい。嬉しい。
私は、家族にかなり甘えていた。


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