無彩色のヴェーロ

□靴は磨いておきましょう
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 切る風は重い咆哮から冷たく高い悲鳴へと変わり、飛ぶ鳥の目に映る景色は緑深い渓谷から、小さな湾を埋める街とそこから隔てるものも無く広がる、雄大な碧い海へと瞬く間に変わる。
 白く輝く太陽は高く、飛ぶ鳥の影は色濃く地上に落ちた。
 先の枯れた草の絨毯を滑る小さな影は、一人の少女の視線を拐う。
 影よりも暗い黒耀の瞳は、風に乗って走り去るそれを追い、空へ向けられた。背を押す、一際強く吹く風に巻き上げられた少女の髪は、鮮やかな薔薇色。
 太陽を捉えた少女は、眩しさに目を細める。影を連れる鳥は光の中に消えた。
 少女はもう一度足下へ視線を落とす。鳥の形をした影は、足下で蟠る影のすぐ傍を飛んでいた。
 影鳥は少女から離れていく。
 それを追う事なく、自身の影をぼんやりと見つめる少女の耳に、草を踏む音が届いた。
 待ち人が来たと、少女は振り向く。
 背後には、白百合の花束を携えた男が立っていた。
 男は空いた方の手をヒラリと挙げる。少女が一歩踏み出すと、男は狭い石階段をゆったりと登り始めた。
 木の杭が疎らに並ぶだけの簡素な石階段。その先に、木立に囲まれた古い霊園がある。
 少女と男は互いに名を知らなかった。二人の接点は、年に一度この霊園を訪れるという事だけ。二人は一年に一度だけ、男の友人の命日に会う。
 白い花束と対照的に、男の長身は黒一色。肩を過ぎる髪だけが蜂蜜色に輝いている。後に続く少女は濃灰のローブを纏っている。前時代的なシルエットのそれは「火と再生の女神」を信仰する『マエルッタ教』のもの。
「よろしく」
 墓標の前に立つ男の願いで、少女は鎮魂の言葉を紡ぐ。
 記憶にもおぼろげな約束を頼りに、少女は毎年同じことを繰り返している。何故、墓参りに付き合っているのだったか。少女の閉じた瞼には、鮮やかな赤が浮かぶ。
 男のコートの袖から、時折見える赤。仕立ての良い黒のコートの中から覗く赤い袖は、端が擦りきれていて、手首には傷だらけの腕時計がはめられていた。コートの下に着るには厚過ぎるのではと思われる布地は、この場に似合わない色だ。
 その色に、少女は思う所があっても、どう切り出してよいかわからない。言葉や行動から気安く感じる男も、墓標を前にしては沈むばかりで、消極的な少女とは話が弾まない。
 二人は、そうして互いに互いをよく知らずにいる。
「……ありがとう」
 静かな声で、男は言った。
 “心此処に在らず”といった声に、少女は答えない。聞こえないだろうと知っているからだ。




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《無彩色のヴェーロ》
第一章 靴は磨いておきましょう
(1) 霊園にて





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