頂き物の本棚

□午後5時40分
1ページ/1ページ

―――欲しい。

『コレ』が欲しい。

小さくて、弱くて、…愛しいこの生き物が。




午後5時40分。

窓の外では野球部の声。

教室は、夕焼け色に染まっていた。

黒板も、教卓も、君も。


「あ、…ヒバリさん」

僕が教室の扉を開けると、沢田綱吉は窓の外に向けていた視線を僕に向けた。

逆光のせいで君の顔はよく見えなかったけど、気配で笑ったのは分かった。


「…下校時間はとっくに過ぎてるよ」

目を細めて君を見る。

僕が君にこれを言うのも、もう幾度目だろう。

ここで何度も繰り返した会話。

放課後、午後5時40分。

雨の日を除いて、いつも君はここにいたから。


「あ、すみません…」

しゅんとしたように君は謝る。

夕焼けのせいで、君の髪も、頬も、染めたように紅い。

―――愛しい。


「どうせ彼を待ってるんでしょ」

そんなこと言いたくもなかったけど、しょんぼりする君が愛しくて助け舟を出してやった。


「あ、はい!」

君が今どんなふうに笑っているのか、よく見えなくても手にとるように分かった。

きっと君はあの眩しい笑顔を浮かべている。

ああ、やっぱり助け舟なんて出すんじゃなかった。

見えないことも、君にその笑顔を浮かべさせるのが僕ではないことも、イライラする。


「…毎日見ていて、よく飽きないね」

「えっ?」

君はキョトンとしたように首を傾げる。

そんな仕草ひとつひとつに胸が疼いた。

―――抱きしめたい。


「こんなとこから見てたって、面白くないんじゃない?」

うっかり抱き寄せてしまわないように、腕を組んで近づく。

君の横に立って、ようやくしっかり顔が見えた。

―――ああ、今日も可愛い。


「あ、そんなことないですよ。ここからだってよく見えるし…飽きる、なんて」

できっこないです、と君は苦笑する。

…そうだね、できっこない。

そんなの僕が一番よく知っている。


僕が君を欲しいと思ったのはいつだったのか、忘れた。

でも少なくとも、すでにそのときには君の心は他のヤツで占められていた。

山本武。

どうしてアイツなのか。

…どうして僕じゃないのか。


「…ねぇ、沢田」

「なんですか?ヒバリさん」

僕に怯えていた頃が嘘のように、君は屈託なく笑いかける。

ここで彼を見る君に初めて声を掛けたとき、君は可哀想なほど青ざめていて。

それでも少しずつ君は笑ってくれるようになった。

少なくとも、この笑顔だけは僕だけのもの。


「僕は君が好きだよ」

驚いたように見開かれる瞳。

ただでさえ大きいんだから、そんなに開けたらいつか落っこちるんじゃないかと心配になる。

でも、すぐにくしゃっと笑みにかわった。


「俺もヒバリさんのこと好きですよ」

「…そう」

それは僕の欲しいモノではないけれど。

彼しか見えてない君に、僕の言葉は響かない。


「…あっ!」

声をあげた君の視線の先を追えば、練習を終えたらしい野球部が片付けを始めているのが見えた。


「練習終わったみたいです。俺、行きますね」

嬉しそうに君は言う。


「さようなら、ヒバリさん」

「…さよなら」

荷物をもって君はバタバタと教室を出て行く。



…僕はこれから幾度君を見送るのだろうか。

欲しくて仕方がない君が、他の男に駆けていくのを、幾度見送ることが出来るのだろうか。


―――君が欲しい。


―――愛しい、愛しい、君が。


―――攫って。


―――閉じ込めて。


―――壊れるほどに愛したい。


凶悪な衝動が、いつか君を傷つけるかもしれない。

だけどまだ、荒れ狂いそうなほどの熱を抑えられる今だけは、僕は君を見送ろう。


そうして僕もまた、教室を後にした。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ