空飛ぶ広報室

□Supplement Episode 8 W
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「そ、それでどうですか?ミニ番組の方は」
 北海道からの帰りの車中、空井はどことなくぎこちない雰囲気を打破するように口を開いた。
「あ、は、はい、自信作です」
 そう言うリカの顔はまだ少しばかり赤い。
「そうですかっ!? それはよかった」
 空井は我が事のように喜んだ。そんな空井にリカも自然と笑顔になる。
「ただナレーションはまだなんですけど」
「そうなんですか?」
「いろいろ考えたんですけど、藤枝に頼もうと思っています」
「藤枝さんに?」
「ええ。藤枝、いろいろあってちょっと落ち込んでるんで。これがきっかけになればと」
「……そう……なんですか……」
 空井は何だか居たたまれないものを感じた。
 リカの口から藤枝の話が出ると心がざわつくような感覚に陥る。
 リカが藤枝に対し異性としての感情を持ち合わせていないと言っていても、リカの一番近くにいるのは藤枝だ。
 それに今リカは落ち込んでいる藤枝を励まそうとしている。
 何て優しい人なんだろうと思うと同時にやはり嫉妬に似た感情が生じてくる。

「藤枝にはなんだかんだで……認めたくないんですけどお世話にもなってるんで。私が落ち込んでるときに相談に乗ってくれるし。まあ、あんな軽い男ですけど情には厚いし友達思いでもあるし」
「……藤枝さんのこと、よくご存知なんですね」
 空井は自分で言っておきながら胸がチクリと痛んだ。
「まあ同期ですし。同期って特別じゃないですか?同じの釜の飯じゃないですけど、お互い新人の頃とか知ってるし、結構失敗とか見られちゃってるし」
 苦笑してそう言うリカに、空井は自分の知らないリカを藤枝は知っているんだと改めて実感させられた気がした。

「私、同期にともみって子がいるんですけど……航空救難団のときに報道してた……」
「ああ、あのときの方ですか」
 空井は航空救難団と正確に報道されたときのことを思い出した。
 あのときの女性のことか。
 あの報道の裏にはリカがいることはすぐに感じ取れたが、あの女性はリカの同期だったのか。
「はい。以前は同じ報道局で友達って言うよりライバルって感じだったんですよね。でも私が異動になってディレクターの仕事にやりがいを感じ始めてから、ライバルじゃなくて友達として見れるようになりました」
 リカの口から藤枝以外の、それも同性の同期の名が出てきたことに何だか少し安心した。藤枝だけが特別ではない、そう言っているように感じて……。

「でもやっぱり藤枝は畑が違う分、客観的なんですよね、お互いに。だから変なライバル心も抱かなくて済むし。楽ですね。やっぱり」
 でもその言葉が、やはり藤枝は同期でも特別な存在なのだと言われたような気がした。
 先程から妙に一喜一憂をしている。空井は何だか少し情けない気持ちになった。
「……そうですか」
 信号が赤になって空井は停止線で車を止めた。

「……空井さんもそうじゃないですか?その……芳川さん……」
「え?」
 リカの唐突な言葉に空井は目を瞠った。
「あ、でも芳川さん可愛いですもんね。同期でも女として見るときは見ますよね」
「そんなことは……」
「女の私でも芳川さん可愛いって思いますもん。あんな笑顔向けられたら誰だってドキドキしちゃいますよね」
 リカは空井が何か言おうとするのを遮るように言って俯いた。
 その横顔は髪に隠れてどういう表情だか読み取れない。
 
 空井は戸惑った。
 ここで秋恵の名前が出てくると更に居心地の悪さを感じる。
 リカにはやはり秋恵のことは触れて欲しくない。

『あの子が好きだったくせに』

 何だかそう言われているような気がして少し胸が痛んだ。
 だけど、今は違う。
 先程、あの二秒間で自分の想いは伝わったはずだと思っている。
 リカの演説を聴いて溢れてきた想い。
 どうしようもなく、この人に触れたいと思ったのは自分の正直な気持ちだ。

 あなたが好きです。

 その想いがあの行動を起こさせた。

 それなのに何故今秋恵のことを持ち出したのだろうか。
 自分のあの二秒の行動で自分の想いは伝わったと思っていたが、まだはっきりと伝えきれていないのだろうか。

「稲葉さんっ」
「はいっ!?」
 声高な空井の声にリカは驚き顔を上げる。

「あっ、あのっ!! じ、自分……い、今は彼女にそんな感情は持っていないって……稲葉さんはもうわかってくれてると思ってますけど……違いましたか……?」

 空井の言葉にリカは目を瞠り、空井の顔を見た。
 空井は真剣な目でこちらを見ている。
 その顔が赤く見えるのは夕焼けに照らされているからか、それとも……。
 リカは先程の二秒間のことを思い出した。
 
 いきなりのキスで呆気にとられたのは事実だ。
 この人の行動は読めない。
 自分の何がこの人にあの行為をとらせたのかわからない。
 だけど好きでもなんでもない人間にあのような行為を行うような人ではないことは短い付き合いでもわかっている。
 それでもほんの少しだけど不安だった。
 つい秋恵の話を持ち出してしまったのは秋恵という、空井にとっておそらく特別な存在に対する不安感がさせたことだった。
 だけど今、空井の気持ちがはっきりと見えたような気がした。

 リカは真っ赤になって俯き、
「……違いません」
 と呟くように言った。
 そんなリカの様子に空井の胸が高鳴った。

「あ……」
 空井が何かを言おうとしたとき、後ろからクラクションを鳴らされた。
 信号が赤から青に変わっていた。
 ハッとし、慌てて車を出す。
 チラリと横目で見たリカは恥かしそうに俯き、その顔はほのかに赤い。
 空井は高鳴る鼓動を抑えるように、運転に集中した。
 
 今彼女に向き合えば、先程の二秒以上の想いが溢れてくる。
 自分を止められなくなる。

 猪苗代湖の上空でもそうだった。
 
 入間でリカの父に対する想いを聞かされて、どうにかその思い出の景色を見せてあげたいと思った。
 聞いた景色は何となく見たことがあるような気がする。
 空を飛んだときの記憶を辿る。そして思いついたのが猪苗代湖と磐梯山。
 空を飛んだときに見たその景色を彼女の記憶の景色だと確信する。
 北海道行きの許可申請を出したときに機長に猪苗代湖の上空を通過するときにアナウンスを入れて欲しいと頼んだ。
 実際に見せてあげられないけれど、それでも感じて欲しかった。

 あのとき、猪苗代湖の上空を通過したとき、自分の隣で目を潤ませた彼女とても綺麗だと思った。
 こんなにも女性とは魅力的なものなのか。
 いや違う。彼女だからだ。
 空井はそう腑に落ちて、途端高鳴る胸に戸惑ったように目を泳がせた。

 本当は抱き締めたいと思った。せめて手を握りたいと思った。
 だけど職務中で、制服で。まわりに人もたくさんいて。
 だからそんなことが出来るはずもなく。

 それは今のこの状況、二人っきりの車中とは言えど同じことだ。
 あのとき口付けたことも本当ならば許されることではない。
 だけど想いが溢れて、どうしようもなかった。

 今は制服だ。職務中なんだ。さっき我慢できなかったけど今はしなければ。

 空井はそれを念仏のように胸中で唱え続けた。

 空井の葛藤を知ってか知らずか、リカも顔を窓の方へ向けていた。
 きっとこの顔は赤くなっている。それだけに顔が熱い。
 だけど今彼の方を見ると気持ちが溢れてしまう。
 今は仕事中だから。
 仕事を離れればきっと……。
 リカは赤くなった顔を誤魔化すように夕焼けの空を眺めていた。

 空井もリカも、今は仕事上だけの関係だけどもう少しで何かが変わると確信していた。

 ゆっくりと歩み寄ろう。確実に気持ちは寄り添っている。だから大丈夫。

 ―お互いにそう思っていたのに……。

 しかしその後、この二人が半年、それに加えて二年もの間、離れ離れになる事態に陥るとは、このときは二人にも、二人を見守る人たちにも、誰も想像だにしなかった。


 end

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